阿久悠から感じ取る「一流とは何か?」
家に帰って来てテレビをつけると、ザ・タイガースの「色つきの女でいてくれよ」が流れた。
そして、続けざまに岩崎宏美の「ロマンス」。
お、なんだなんだと思っていると阿久悠特集だった。なにやら明日、8月1日が阿久悠の命日ということで、4時間もの大特集番組だった。
阿久悠といえば言わずと知れた昭和の大作詞家だ。あの歌もこの歌も阿久悠。あの時代、作詞家が阿久悠しかいなかったのではないかと錯覚してしまうくらい、テレビから流れてくる往年のヒットソングのほとんどは「作詞 阿久悠」である。
私が好きな尾崎紀世彦の「また逢う日まで」も、河島英五の「時代おくれ」も、石川さゆりの「津軽海峡・冬景色」も、全部阿久悠。あと、ヤマトファンである私にとっては、宇宙戦艦ヤマト関連の曲のほとんどすべては阿久悠作詞であることも、ここで触れておかねばならないだろう。
番組では貴重な当時の映像とともに、何人かの歌手をスタジオに招いて安住アナが当時の話しを聴いたりしていた。トークの後は、収録スタジオのステージでのライブも。スタジオには観客が一人もいなくって「寂しくない?」と思ったが、そもそもそういう仕様の番組のようだった。
ちなみに、その何人かの歌手の中には山本リンダもいた。山本リンダがマイペースでぐいぐい語っているのを、安住アナがちょっとひいている感じが面白かった。
さて、私はこの番組をみて、思ったことがある。
番組では、阿久悠の著作から引用しながら、ヒットメーカーと言われた阿久悠が、如何に非常にいろんな人の影響を受けて、苦悩と葛藤を繰り返しながら詩を書いていたが、よくわかるように紹介されていた。私はてっきり、阿久悠は才能があふれ出るままに、次から次へと詩を書いては、誰かが曲をつけていたのだくらいに思っていた。
時にはライバル作詞家の言葉遣いに。時には別ジャンルの音楽の世界観に。時代を代表する作詞家が常に「ああ、やられた!」とか「こうしとけばよかった!」とか、悔しさや羨ましさを胸の中にぐるぐると蠢かせていたなんて思いもしていなかった。
一流とは!?と言うと、なんだか逆境ナインみたいな命題だけれども。その成功に胡坐をかいているわけではなくて、ふんぞり返らずに常に悩んで、常にもっとよいものを・・・と思って葛藤している者が一流だろうか。常に謙虚で葛藤し続けている人が一流なのかもしれない。別の言葉で言えば、常に何かと勝負している人が一流なんだろうか。これは歯科医師というか、どんな職業にも言えることだろうと思う。
ちなみに、阿久悠がライバル視していた作詞家として、なかにし礼の名前があがった。合唱をやっていた私にとっては、なかにし礼の作詞した合唱曲に取り組んだことがあったので、そういう意味で馴染みのある作詞家だった。
阿久悠が衝撃を受けたとして番組で取り上げられていたのは、なかにし礼が作詞した「夜と朝のあいだに」だった。
私は個人的には「ピーターって歌うんだ!」と、ゆとり丸出しの驚き方をしてしまった。それにしてもローボイスが素敵。
なかにし礼で知っている曲が少ない手前、あまり断定的なことは言えないけれど、なかにし礼って、夜明けが好き?夜明けに人生の何かを感じ取りがち?
だって、なかにし礼が作詞した合唱曲「そして夜が明ける」も、歌いだしは「眠れ眠れ・・・」。
一方、ピーターも「お前も静かに眠れ」と歌っているし。たまたまかもしれないけど、夜明けが好きな作詞家なのかなぁ・・・なんて思ったり。
ちょっと話はそれたけれども、阿久悠の番組ときっかけに一流について考えたよ、というオハナシ。それでは、ばいちゃ☆