戦後71年目の渋谷ハロウィン、ますます盛況!
今年も渋谷ハロウィンはすごい盛り上がりを見せているようだ。
我が国におけるハロウィンイベントは、渋谷を中心にここ数年でどんどんと規模が拡大しており、今となっては社会現象ともいえる盛り上がりを見せている。マスコミの報道によると、世界的にも「ジャパニーズ・ハロウィン」の知名度はどんどん上昇しているらしい。
街を歩けば、いろんなコスプレを見ることができるらしい。
例えば・・・。
アーミールック!
そして・・・。
血まみれナーススタイル!
これらのコスプレはあんまりハロウィンに関係無いように見えるが、とにかくみんな楽しそうである。さて、渋谷のハロウィンは一体いつからやっているのだろうか。マスコミで取り上げられだしたのはここ5年くらいのことのように思える。
しかし、この渋谷ハロウィンの歴史は思いの他深く、その起源は戦前にまでさかのぼることができる。
ハロウィンは、我が国にクリスマスの文化が定着し始めた明治時代末期に共に流入した。クリスマスの文化が銀座を中心に我が国に根を下ろした一方で、ハロウィンの文化は渋谷を中心に定着した。しかし、大東亜戦争がはじまるとクリスマスとハロウィンは敵の文化であると弾圧されてしまった。だが、渋谷ではハロウィン文化は非常に根強く、時局にあっても「ハロウィン」の名称を伏せながらも国策に見合った国家的事業のような体で開催され続けたのだった。
その証拠として、こちらの国策ポスターがあげられる。
ハロウィンといえばカボチャ。ここでは時局を鑑みて、国家の「必勝」と「食料絶対確保」を目的とした栄養満点の食糧としてのカボチャの増産を表向きには掲げながら、ハロウィンをなんとか完遂しようとする熱意が伝わってくる。
71年前の渋谷ハロウィンも大盛り上がり。
渋谷とハロウィンの関係はこんなにも長く深かったのである。
71年前のアーミールック。
そして、71年前のナーススタイル!
こうやって現代と71年前の渋谷の様子を見比べてみると、いろんなことがわかってくる。どうして渋谷ハロウィンには、西洋のそもそものハロウィンの本義とは関係のない、血染めのナースやアーミールックといったコスプレが多いのか?それは、すなわち慰霊であった、ということは最早言わずもがなだろう。
戦後71年。今年の渋谷ハロウィンも大盛り上がりだ。一見単なるバカ騒ぎに見える様なこのイベントも、実は先の大戦で散っていった英霊たちへの追悼の気持ちが込められているということがわかると、また違った見え方をすることができる。あえて明るく振る舞い、父祖たちの築き上げたこの祖国の平和を存分に享受しよう・・・それがこの渋谷ハロウィンの本来の目的だったのである。
父祖たちよ・・・。
今日も日本は平和です。
それでは、ばいちゃ☆