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2016.02.29 Monday

デシ旅10:交声曲「海道東征」の作詞家・北原白秋の故郷を巡る!

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     デシベル君との卒業旅行も三日目(2/19)に突入!

     高千穂から数時間。いよいよ交声曲「海道東征」の作詞家である詩人・北原白秋の故郷、柳川へやってきた。

     ■待望の北原白秋の故郷・柳川へ!
     ■北原白秋の最期の帰省は「海道東征」がきっかけで!
     ■山門は我が産土・・・帰去来碑を訪問!
     ■柳川の人々も交声曲「海道東征」の再演を待ち望んでいる!?
     ■旅行の締めに柳川名物「せいろ蒸し」を食べる!



    ■待望の北原白秋の故郷・柳川へ!

     現在、琴奨菊の優勝で大賑わいの柳川であるが、私たちが訪問したのはそれ以前のことであった。福岡県に進学していながら、なかなかきっかけが無く、柳川に来るのは今回が初めてとなった。私にとって柳川は専ら詩人・北原白秋の故郷というイメージが強い。



     合唱を嗜む人たちにとって、北原白秋といえばもしかしたら男声合唱組曲「柳河風俗詩」かもしれない。私もいつも「もうし、もうし、柳河じゃ〜」と「柳河」を愛唱曲として歌っておきながら、一度も訪れたことがないのは間抜けだな、と思っていたので、来ることができて本当によかった。

     そういえば、北原白秋に関しては以前「北原白秋と歯科」という記事で取り上げたこともあった。北原白秋記念館にも、東京歯科大学の校歌に関する展示物などが数多く展示されていて、そんな記事も書いたな、ということを思いだしたりもした。

     記念館では、思いのほか交声曲「海道東征」に関する展示物も数多くあり、非常に旅の目的からすれば大満足であった。今回は、そのコンセプトに沿って、交声曲「海道東征」に関する話を中心に、私の柳川体験を綴っていきたいと思う。



    ■北原白秋の最期の帰省は「海道東征」がきっかけだった!

     実は私たちが北原白秋生家ならびに記念館に到着したのは4時半のことだった。閉館時間が5時だったため、30分ほどしか館内をまわることができなかったのだが、非常に楽しかった。平日だというのに、来館者も多く、どの方も思い思いに展示物を眺めていた。



     デシベル君が「あ、海道東征ありますよ」と言って私を呼んでくれた。デシベル君は全く合唱もやっていないし、私とは違う部活で体育会の人間なのだが、私が口を開けば「海道東征、海道東征」というので、すっかり「海道東征」という言葉もすらすら言えてしまうようになってしまった。ちなみに、デシベル君は定演の「海道東征」も聴きに来てくれた。



     呼ばれるがままに近寄ると、ショーケースの中に昭和16年に出版された海道東征のローマ字訳が展示されていた。本作は紀元二六〇〇年記念奉祝歌として制作されたのだが、本作以外にも国内外から数多くの楽曲が記念奉祝曲として寄せられたという。その当時、日本は国をあげて、様々な方法で、国内のみならず国外へも紀元二六〇〇年の機運を宣伝していただろうと思われる。このローマ字訳もその一環ではないだろうか?

     「Kaido-Tosei by Kitahara-Hakushu」

     日本人でもその復古調の歌詞を理解するのは容易ではないのに、外国人にローマ字で説明したところで、詩の本懐を伝えることができたのだろうか?是非とも中を見てみたいものだ。

     さて、北原白秋が生前最後に柳川を訪れたときの写真が展示されていた。



     写真には「昭和16年3月白秋「海道東征」の福岡日日新聞文化賞受賞の折、母校矢留小学校を訪問する。」とある。北原白秋はこの頃、病気で視力を殆ど失いかけながらも、東京から遥々、福岡日日新聞文化賞の受賞のために故郷柳川へやってきたのだという。この時の帰省が北原白秋最期の帰省となったそうだ。最期の帰省が交声曲「海道東征」がきっかけだったということを、私はこのとき初めて知った。ちなみに、福岡日日新聞というのは、現在の西日本新聞である。

     このときの帰省は北原白秋にとって、非常に思い出に残ったようで、東京に戻ってから故郷を思って「帰去来」という詩を書き残す。その詩には海道東征同様、信時潔が曲をつけた。「帰去来」という曲は、現在も、北原白秋の命日に柳川の街で歌い継がれている。記念館のほど近くに「帰去来」の記念碑も設置されている。



    ■山門は我が産土・・・帰去来碑を訪問!

     北原白秋は山田耕筰とともに、数多くの作品を残している。それに比べて、信時潔と共に制作した作品というのは、思いのほか少ないように思われる。ただ、これは私の個人的な感想なのだが、現代にも残り、人々の心を震わせる素晴らしい作品というのは、山田耕筰とともに作った曲よりも、はるかに信時潔とともに作った曲の方が多いように思われる。

     この「帰去来」もそのひとつだそうだ。



     石碑の横には、詩の解釈を記したパネルもある。



     このパネルに近づくと、「帰去来」が流れてきた。声楽家の方と合唱団による「帰去来」の演奏に、しばし歩を止めて聴き入った。病床にあって、もう二度と帰ることのできないであろう北原白秋の故郷への思いを綴った詩に、誠実な音運びをする信時潔のつけた旋律が、私たちの心を震わせた。郷土は違えど、故郷を思う気持ちは誰しも同じ。郷愁を誘う詩とメロディーに、思わず目頭が熱くなった。それを見て、デシベル君が「本当に好きなんですね」と言った。

     前項でも書いたが、本曲は、この柳川の街で北原白秋の命日に開催される「白秋祭」にて毎年歌われている。



     「故郷やそのかの子ら、皆老いて遠きに、何ぞ寄る童ごころ」。北原白秋は「帰去来」を執筆して間もなくしてこの世を去った。



    ■柳川の人々も交声曲「海道東征」の再演を待ち望んでいる!?

     この「帰去来」の記念碑から、さらにほど近くにある「矢留大神宮」へ参拝した。すると、境内にこのようなパネルが!



     北原白秋を「神道詩人」と仰ぎ、歌が二編ほど引用され、右半分は「海道東征」について書かれている。一見、曲について説明が書かれているのかと思いきや、どうも読んでみるとそうではないようだ。



     海道東征
     大東亜戦争後封印されていた交声曲「海道東征」の復活、白秋が晩年に日本神話を基に作詞し、信時潔が作曲した不朽の大作。
     (昭和26年5月3日、アメリカ上院でのマッカーサー証言を思い起こし)
     目覚めよ!日本、誇りと自信を取り戻し、蘇れ!日本、今一度!




     わざわざ「海道東征」の題字も、北原白秋の筆跡が引用されている。そして、最初の一文を読んだ感じ「海道東征」に関する説明書き・・・かと思いきや、いつの間にか、「海道東征」ひいては日本に対する熱い思いが綴られている。熱過ぎて、文章にまとまりがなくなっている感じが、むしろその熱い気持ちが伝わってくるような感じがした。



     もしかして、この神社も「福岡県神道青年会」なんだろうか。こうして遠き地からも、私たちの交声曲「海道東征」の再演が熱望され、かつ後押しされているような気がして、なんだか嬉しい気持ちになった。

     ちなみに、パネルにある「マッカーサー証言」とは、マッカーサーがアメリカ上院の軍事外交合同委員会において大東亜戦争を「日本の戦争は自衛戦争であった」と証言したことのようだ。(詳しくはこちら

     今朝参拝した天岩戸神社の立て看板然り、色々と神社サイドも様々な気持ちが沸々としているようである。



    ■旅行の締めに柳川名物「せいろ蒸し」を食べる!

     念願の北原白秋記念館へ行き、さらに帰去来まで堪能した私たちは、最後に「せいろ蒸し」を食べた。

     日ごろからお世話になっているDr.オッサーに以前、小倉で飲みに誘っていただいたとき、「福岡にいる間に、絶対に柳川のせいろ蒸しは食べた方が良い!すごいぞ!せいろ蒸しを食べてから北海道に帰ってこい!」と強く勧めていただいたので、どうしても本場の「せいろ蒸し」は食べてみたかったのである。

     レンタカーの門限に間に合うかどうか微妙なラインだったのだが「せいろ蒸しを食べずに小倉に帰れるか!」と、せいろ蒸しを強硬!せいろ蒸しを待つこと約一時間ほど・・・。



     ついに待望の「せいろ蒸し」!



     「これがせいろ蒸しかぁ!」

     ひとつひとつをしっかりと蒸しあげてくれるため、この長い待ち時間は美味しさの証!ということらしい。しかし、一日千秋の思いで待った「せいろ蒸し」、寸出のところでなかなか出てこず、焦らしに焦らされた私は、出てくるや否や待ち切れず、がっついて口の中を火傷してしまった。せいろ蒸し童貞の私。何事もがっついてはいけない。

     三日間の旅を振り返りながら、せいろ蒸しに舌鼓を打った。「本当にありがとう!楽しかったし、デシベル君がいなかったら、こんなに行きたかったところに行けなかったよ」とお礼を言った。デシベル君も「こちらこそ楽しかったですよ」と言ってくれた。

     食休みもほどほどに、車に乗り込み高速へ。「旅行は楽しかったけど、レンタカーの返却時間に間に合わない!」と二人で急いだ。ハンドルを握るデシベル君!見守る私!私にできることは何か・・・と考えた末、社内のBGMをアップテンポにすることしかできなかった。

     オフコースの「逃すなチャンスを!」をかけたとき、デシベル君が「父親が好きなんです」と言っていたっけ。私の選曲も成果が結実したのか、なんとか時間には間に合った。いや、わかってる、本当にがんばったのは、運転を全てやってくれたデシベル君だということは。冗談、冗談。



     楽しい旅行ほど、終わるときはなんだか切なくなってしまうものだ。三日間本当にありがとう!楽しかったぜ、デシベル君!


     それでは、ばいちゃ☆

     「デシ旅」完


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