俺はタクランケ!X

ハロー、ハロー聞こえますか?
こちら太陽系第三惑星地球・・・。
あなたの世界とちょっとよく似たこっちの世界。
そっちがこっちで、こっちがそっちのパラレルワールド。
平行と交錯、現実と虚構。
ここは、それらの混沌から滴り落ちた、雨粒のようなブログ。
そちらの地球のお天気はいかがですか?

<< August 2011 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>

2011.08.31 Wednesday

下関神社巡り・日清講和記念館(関門歴史散策 その4)

0

    巌流島を見た後、下関に上陸し

    「日清講和記念館」に行った

    ここもずっと生きたかった場所なのよね(*^_^*)

    入場無料で5時まで

    中には、伊藤博文と李鴻章が会談した部屋を再現したものが…



    絵で見るのと少し違うね

    こういったところで下関条約が調印されたんだね…



    関門海峡を大陸へ向かう戦艦が数多く往来していたことが

    清国使節団に恐怖感を与えたそうだ

    …だから下関にしたのかな



    李鴻章は一度凶漢に銃撃されてしまっているのだが

    暴徒から襲われないようにと、李鴻章が通った道が残されていた

    その名も「李鴻章道」


    細い道で、今では住宅街につながっていた



    さて、ここの隣にあった「赤間神社」にも行ってきました

    壇ノ浦の戦いで御入水された安徳天皇が奉られている神社

    江戸時代では「安徳天皇御影堂」といっていたそうだ


    なんだかお寺みたいだと思っていたら

    もともとは「勅願寺」というお寺だったんですね



    奥までいくと、壇ノ浦で戦死した平家一門のお墓が並んでいた

    中学の時にやった平家物語「敦盛の最期」で有名な

    平敦盛のお墓もあった



    この赤間神社は「耳なし芳一」の舞台にもなったそうで

    平家一門の墓地の横には「芳一堂」があり

    耳なし芳一像が奉られていた



    さらにその横には山に伸びる石段があったが

    だれも通っていなさそうで、先が森に埋もれて見えなかったのでいかなかった

    いったらどこへでるんだろう、少し怖い



    きっとマンションが建つ前は

    この境内から関門大橋を一望できたのだろうと思う

    いまでは全然見えなくなってしまっているのが残念

    こちらの神社って、ちゃんと国旗掲揚のためのポールがあるよな…



    ここを左に行くと、「大連神社」がある

    この神社はかつての満州国、遼東半島の先端に位置する大連にあった神社であり

    関東州の中心的な神社だったそうである

    敗戦後、ソ連軍の保護下に入ったが

    戦後、神体を日本に持ち帰り再建したものだという



    資料室へは社務所に「みたい」といえば見られるようだ

    今度行ったら見てみたいと思う



    その横には、大東塾の鎮魂碑が建っていた

    大東塾とは、私もこの度初めて知ったのだが

    「伝統右翼」に類され「大東塾が動くときは昭和維新の決起のとき」と言われたほど

    強大な影響力を持つ団体のようだ

    これは、昭和20年8月25日に天皇陛下へ敗戦を詫び

    割腹自殺をした14人の烈士の鎮魂の碑であった



    さて、少し歩いて…

    亀山八幡宮にも行った

    相変わらず、ボールが挟まっていた(*^_^*)



    ここでおみくじを引いたら、今日は「大吉」だった

    実は昨日、小倉城内にある「八坂神社」でもおみくじを引いたのだが「中吉」だった

    昨日、あんまりよいことが書いていなかったことが

    今日は結構よいことが書いてあって嬉しかった(*^_^*)



    今日も沢山歩いた

    とてもたのしかった(*^_^*)



    タツヤンには歯科大名物

    チャンポン屋の「チキン南蛮」を紹介したが

    タツヤンもおいしさに感激していた

    喜んでもらってよかった(*^_^*)



    それでは…ばいちゃ☆


    ▲top