幹事は父、場所は叙々苑。
私たち夫婦と如月家。
「今日は・・・お母さんの還暦のお祝いってことでいいんだな?」となぜか確認する幹事・父。そう言いたくなるくらい、色々とお祝いしなければいけないことも確かに多かった。
まず妹の大学院修了と学位取得、それに伴った送別。そして、私の退職と誕生日。でも、一番のメインは母の還暦。
「赤いちゃんちゃんこは着ないの?」ときいてみると「それは当日の楽しみにとってあるの」とのこと。ということで、赤い母の姿は誕生日当日までお預けとなった。
母に私たち夫婦からのプレゼント。よもやまさんが選んでくれて、二人で買いに行った。
よろこんでくれてよかった。
私も誕生日プレゼントをいただいた。
歯のネクタイピン。「あ!眼鏡かけてる!」と父。父は裸眼Ver.を持っているらしい。これで父子でオソロとなりました、ありがとうございます!
初めての叙々苑だったが、かなり美味しくて驚いた。
店員さんに焼いてもらっちゃったりして。
かなりオナカイッパイ・・・ご馳走様でした!
家に帰ってからも「おいしかったな〜」と夫婦で余韻に浸ってみたりして。
焼肉の余韻もそうだが、母ももう還暦か・・・と、しみじみ思って見たり。来週から実家の歯科医院に常勤として入るわけだが、なんだか区切りとしては非常に丁度良かったのかな、と改めて思ったりした。
実際の誕生日は母も私も来月だから、まだだけどね!
それでは、ばいちゃ☆
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立つ鳥跡を濁さずで、今日は朝から机やユニット、技工棚の整理に没頭。
バケツ5杯分の模型を処理。研修医時代の模型とかもなんとなく取っておいたけど、ひとつひとつに思い出があるな・・・と思いながら処分。来なくなった皆はどこへ行ったんだろう・・・皆元気かな。
跡を濁さず立つのも大変だ・・・。
きちんと技工部からお借りしていた咬合器も返却。後輩がこれを見て「借りすぎじゃないですか?」と笑っていた。
棚からは大量の旧義歯。さようなら、思い出たち。
机もきちんと綺麗さっぱり。
雪大病院でイチバン一緒に仕事をしていた技工士の緒方さんから餞別の品をもらった。
ありがとう!
でも、4月からも客員としてたまに来るといったら、まだ来るんだ!と少し残念そうだった。そんな残念がらんで・・・もう少しお世話になります。
明日から有給で来なくなるので、職員証とPHSを返却。首輪を外して、いよいよ辞めるって実感が湧いて来た。
夕方の医局会では私の最終症例検討会。
上級医の先生方から色々とアドバイスをいただいた。
教授が「ふ、今日は如月の最終症例か。厳しくいくか!」と笑っていたので、冗談かと思っていたが、きちんと厳しい愛の鞭をいただいた。
私は今日で退局だが、いただいたアドバイスは臨床家として今後に生かしていきたい。本当にありがとうございました!
ただその一方で、1補綴特有の雰囲気も十二分に味わうこともできた。それもこれで最後かと思うと、なんだかおもしろさがこみあげてきた。
それにしても、これまで色んな先生方の最終症例検討会を見てきたが、こんなに質疑応答が出るのは後にも先にも私くらいではなかっただろうか。しかも検討会終わりにも医局で第2ラウンドが用意されているとは。教授に救っていただき切り上げることができたが、おかげで送別会に遅刻するところだった。
正直、もうちょっと気持ちよく送り出していただけるものかと思っていたが、しっかりと後ろ足に砂をかけていただいた。この御砂、頂けなかった労いのお言葉の代わりと推察いたします。拝受した御砂、一生忘れません!
送別会は教授の隣!チームHに囲まれて!幹事はブンカダイくん!
さっきまですごい嫌な気持ちだったけれども、そうだこの先生方にお世話になっていたんだ!と思い出すことができて、これまでの日々に思いを馳せることができた。
国内外の学会遠征、深夜の実験・・・楽しかったこと、つらかったこと、あげればきりがない。教授、H先生、本当にありがとうございました!
実験中の雑談を思い出す、そんな楽しいひとときを過ごすことが出来た!
教授のお気に入りトピックスは、韓国への学会出張にて、私が終始韓国人に間違えられたという話。出国前の千歳で日本人スタッフから韓国語で応対された話は鉄板。
研修医に「おい、知ってるか!」と、私の肩を叩きながら笑って話をしている教授を見て、この上ない喜びを感じた。
磯兵衛さんにも大変お世話になりました。忘れないでね!
そして最後に退局祝いの盾をいただきました!
教授のお名前で授与される最後の盾とのこと。そのような名誉をいただくことができ感無量でした。8年間、大変お世話になりました!
あまりにもいつものように楽しんで、いつものように散会してしまったけれど、教授も御退官だし、こういう機会も今後はなくなるのか・・・と思い返して、初めてハッとした。
特にH先生や磯兵衛さんとかとは、いつもの感じすぎて、じゃあまた明日〜みたいなテンションでお別れしてしまった。まだ自分でも辞めるということがわかっていないみたい。
4月からは実家の歯科医院の常勤となるが、客員として雪大病院にはちらちら顔を出す予定。そのときはH先生や磯兵衛さんにも挨拶して、またおしゃべりしたいな。
だから全然お別れというよりかは、そういう意味では単なる区切りということで・・・と自分の中でなんとか思い直した。
ということで、立場は変わりますが、皆さま今後とも何卒よろしくお願いいたします!
それでは、ばいちゃ☆
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退職前日に?
という心境だったが、当番は当番。配当されたらどうしよう・・・と思っていたが、さすがにそんなことはなかった。
一緒に出ていた研修医とおしゃべりしながら、静かに時間が流れるのを待った。
その研修医がとある新患に絡まれていた。
「あんた名前なんていうの?はん、読めねえや!」
なんと失礼な・・・と思ってカルテを見ると、やはり80代男性。どうも歯の無い80代の男性というのは、なんともはや・・・という仕上がりの方が多いような気がする。
退職する私に出来ることは、研修医に「歯の無い80代男性には注意しろ」と根拠のない助言を残すことしかなかった。
今日は、我ながら退職前日とは思えないほど、なかなかアクティブな患者さんが多かった。
お別れと患者さんからお菓子をいただいたり・・・という場面もありながら、この期に及んで義歯の排列試適をするなど、本当に辞めるの?と思うようなアポイントだった。客員歯科医師の申請を出しておいてよかった。
夜は、明日の最終症例検討に向けてのスライドチェック。
本多正明先生の咬合補綴治療計画セミナーのテキストを引っ張り出して復習したり。今日も新患当番中は本多先生の著作を読んでいた。
まぁ、1補綴のことだ。8年もいたので知っているが、多分どんだけ仕上げて言っても、何かしら言われるとは思う。
以前、症例検討会にケースを出した時も「スピード感がない」とか言われて、いささか困惑した。当講座では治療用義歯を挟むとそのように言われる傾向があるのかも?じゃあ、今回も言われそうだな。
スピード感といえば・・・出張先でも、何十回も義歯調整して良くなっていない人がいて、それに私が調整を加えたところ、患者さんは良くなったと喜んでくれたのに、「私たちのスピーディーな診療の邪魔をしないで」と叱責されたことがある。
スピード感については、この教室の中では相対的にある方だとは思うけど。最後までよくわからなかったな。
前々回の医局会でクソに質問攻めを食らわせたので、報復質疑がくるかもしれない。
クソに対して「根拠に乏しい」とギャンギャンに詰めた手前、きちんと根拠を並べだてておかないと恥ずかしいよね。
まぁ、何を言われるにせよ、これが最後だと思えば乗り切れそう。
いつも写経みたいに文字だらけのスライドで、結局写真がないからよくわからん・・・みたいな症例検討が多いので、後輩たちには「これくらいはしないといけないんだよ」と先輩としての背中を見せつけたいと思う。
ちょっと饒舌が過ぎたかな。ビールのせいってことで。
それでは、ばいちゃ☆
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日中は珍しく特にこれといった用事もなかったので、明後日にせまった医局での最終症例検討会に向けての抄録とスライド作りに精を出した。
そして、その予演会を「木村家の食卓」で今夜行う予定にしていた。
ちなみに前回の食卓の様子はこちら。
今回は久しぶりにゲスト無し。
今日は一日、出不精を決め込んでいたので、ウーバーイーツで夕飯をオーダー。
スープカレーを食べて汗だくになったので、すぐにシャワーを浴びて、パジャマに着替えたら・・・食卓開始の時間にはすっかり眠たくなった。日曜日の夜にやるもんじゃないな・・・と思っていたら、父も寝ていたらしい。なかなかログインしないなと思っていたら、そういうことだったのね。
そんな時間帯にも関わらず、今日も多くの方に参加していただいた。
きっと皆さんも眠かったでしょう、本当にありがとうございます。
大学勤務8年間の集大成!
・・・と意気込んで作ったものの、色々と資料が足りなかったり、ああしておけばよかったとか、こうしておけばよかったとか、色々と気になるところができてきた。スライド作成ってそういうものだし、そういうところに気が付くことで成長できると思うことにして・・・。
クローズドな場なので、医局会で言うには憚られるような自分の正直な気持ちとか、裏話(?)とかもざっくばらんに申し述べていたら1時間も喋っていた。
後輩たちから質問も出て、ディスカッションも盛り上がった。
日曜日の夜に御参加いただいた皆様、そしてお父さん、今日もありがとうございました!
ちなみに今日食べたスープカレーはこちら。
べす。
私が一番好きなスープカレー屋さん。ウーバーだと頼めてしまうことがわかってから、しばしば頼みがち。全然映えないけど、なまら美味しいんだよね、これ。
明後日までに、煮詰められるところは煮詰めて・・・最後の発表に備えたい。
それでは、ばいちゃ☆
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土曜日だったので、午前中は実家でお仕事。それがなんとか終わって、一息ついていたら、かつての中国人留学生・馬から久しぶりにLINEが入った。
なんと馬はパーティーに出席するために、中国から日本にやってきたのだという。
日本まで来たのはいいけれど、スーツを忘れてきたとのこと(というかトレーナーで出席するつもりだったらしい)。
ユニクロで買うのであれば「感動ジャケット」なるものがあるよと勧めた。もしそれで駄目そうなら貸すから連絡くれと言ったところ・・・。
「感動服買いました。」
人民服みたいに言うてからに・・・。
それと同時に、パーティーに出席予定の諮問官ヤスから「スーツ?ネクタイいる?」とLINEが来たので「もちろん!」と返しておいた。
ちょっと早めに会場へ。
たまたま同じホテルの違う階でセミナーが開催される予定だったので、そちらに出てからパーティーに出席する予定にしていた。
16時から2階のクローバーで「北海道医療大学歯学部クラウンブリッジ・インプラント補綴学分野同門会主催学術講演会」を聞いて、18時から3階の扇の間で退官パーティー。
安藤琢真先生による「治療オプションとしてのPRO ARCH & ZYGOMA」というテーマ。
医局員として退官パーティーの方へ17時集合だったため、時間の許す限り聴講。残念ながらZYGOMAのお話は聴けずに中座。それでもかなり勉強になったし、かなり面白かった。父に勧められて聴講することにしたけれど、父が勧めてくれた理由もわかった気がした。
ということで、退官パーティーへ。
国内外から沢山の方が参席された。
感動服を着た馬と再会。久しぶり!
社会人大学院生だった諮問官ヤス。ネクタイもってきてエライね。
隣の席できちんと諮問されました。というのは半分冗談で、色々話せて楽しかったし、勉強になった。私の逆サイドには入局同期のコジマだった。
そして開宴。
いろんな方の挨拶を聞いて教授に思いを馳せたり・・・。
懐かしい写真を皆で見て笑ったり・・・素敵な時間を過ごすことが出来た。
教授が最終講義でも言われていた「人の和を大切に」を具現化したようなパーティーだった。
教授ともツーショット写真を撮ることが出来た。8年間、大変お世話になりました!
上の先生方は二次会へ。私は馬を札幌駅まで見送った。
馬は明日は小樽観光をするらしい。
非常に心温まるパーティーでした。参加出来てよかったです。
それでは、ばいちゃ☆
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出勤するよもやまさんを見送り、ちょっとゆっくりしながら朝の支度をした。
今日はせっかくの有給なので、先輩の歯科医院を見学しにいくことに。
さっぽろ元町歯科クリニック。
去年の夏にも見学させていただいた。
今日は見学だけでなく、毎週金曜に開催されているミーティングにも参加させていただき、お昼ご飯までごちそうになってしまった。
めっちゃ楽しかったです!先輩、ありがとうございました!
そのまま先輩の歯科医院を後にして、街まで出た。
今日の夜は妻とお笑いライブデートの予定だったのだ。
地下街のカフェでパソコンを開いてちょっとだけ仕事をしながら、仕事終わりの妻を待った。
妻が私を見つけやすいようにあえてテラス席にしていたのだ。
今回は真空ジェシカのライブ。妻がチケットを取ってくれた。「お笑いを沢山みて、いっぱい笑う一年にしたい」と妻は常々口にしているのだが、今日のライブはその計画のひとつ。
会場は道新ホール。
多分、去年開催された「兵藤・小藪のおしゃべり一本勝負」というライブのときぶりか。このライブも妻と一緒に見に行って、大いに笑ったが、タイミングを逃してブログにはしていない。
・・・タイミングを逃したというか、色々考えていたら書けなくなってしまったのだ。
これまで、お笑い通ぶって、このブログでも色んなお笑い番組やライブを批評したり感想を述べたりしてきた。ナイツの独演会の感想とかは、そういったお笑いファンの交流サイトにリンクを貼られたりしたこともあった。
だが、今になって読み返してみると「何様?」といった文章が多く、なんというか痛々しくて恥ずかしい。だから、あんまり知ったような感じで書かないようにしているのだが、行ったということと、行って楽しかったことは書いておきたい。
感想をずばり一言、すごく面白かった!
一番沸いたのは、冒頭のゴー☆ジャス。
一番笑ったのは、トム・ブラウン布川の「ハローケイスケね」。
一番印象に残ったのは札幌吉本所属の「秘蔵」だった。多分大丸で見たことあった気がするが・・・すごい面白かった!
最後の寄席のコーナーで、真空ジェシカは出脳のネタをやっていた。
一年前にhitaruで見たときも同じネタだった。札幌だと出脳なのかしら・・・と思ったが、たまたまかとも思った。司会のトンツカタン森本曰く「7分の持ち時間のところを15分やっていた」とのこと。
そして真空ジェシカ川北の影響で、いま夫婦では「もちろん!」を乱用してしまっている。
4月も妻が色々とお笑いイベントを抑えてくれているので、今からとても楽しみ。
基本的に有名人は敬称略。すみません、どうかあしからず。
それでは、ばいちゃ☆
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医員になってから3年。月1〜2回程度ではあったが、振り返れば色んなことを思い出す。
思い出したことを、イチイチここで書くようなことはしないけれど、どの局面にあってもスタッフさんのお陰でなんとか今日までやり切ることが出来たと思う。
3年も通っていると、患者さんの中には「如月先生で」と言ってくださる方もいて、今日はそういった方たちとのお別れの連続だった。電話で「行けないけど入れ歯の具合はすごく良いです」とわざわざ私によろしく伝えてくださる方もいた。
私が今日で最後であることを告げると、皆さんガク―っと首を折って「先生いなくなっちゃうんですか」と残念がってくれた。最後まで診てあげられなくて申し訳ない気持ちもあるが、名残を惜しまれると来た甲斐があったな、と嬉しくも思う。
ただ、今日は最後とは思えないくらい、かなり充実した一日だった。
だが、もう最後だと思えば、それはそれで頑張れた。かなりアクティブな処置をした方もいたが、その方にも「先生のところに通いたいです」と言っていただき、とても励まされた。
何が本当に良いのかは患者さんが一番よくわかっている。
だから色々言われても、結局は患者さんが喜んでくれることで、なんとか頑張れたのが、ここ小樽出張なのであった。
また、これはなくなった富良野出張にも共通して言えることなのだが、この出張業務を通じて自分の義歯臨床の実力が客観的にどれくらいかわかったのは、とてもよかったことかもしれない。
歯科診療室にて。私。もちろん自撮り。
いつも昼食を頂く医局は引越し作業でバタバタしているとのことで、スタッフの方が病院食を診療室まで持ってきてくれた。最後に大好きなサバの味噌煮。嬉しかった。
そして、最後なので・・・とスタッフの方がコーヒーをご馳走してくださった。本当にありがとうございました。
最後の患者さんが終わり、スタッフさんともお別れ。
なんと餞別の品までいただいてしまった。「先生がいなくなるのは病院としてはとても残念」と言っていただき、最後の最後で本当に報われた気持ちになった。3年間ありがとうございました!
いよいよ別れの時。さらば小樽よ!
もう理不尽に怒られることもなければ、忖度で頭を悩ませることもない。これで、自由だ!
それでは、ばいちゃ☆
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その節は色々とお世話になった・・・本当に結婚式は何もかもリルさんのお陰だった。改めてありがとうございます・・・という気持ちで門をくぐった。
結婚式のときにお世話になったマダムも挨拶に来てくださり、お祝いの言葉をかけていただいた。
あっという間だったような気もするし、かなり長かったような気もする。もう1年かと思う一方で、まだ1年かという気持ちあり、何とも言えない不思議な感覚に陥った。それくらいこの1年が充実していたということなのだろう。
入籍、結婚式、ハネムーン・・・この1年のことがしみじみと思い出される。不思議と話題に出たりして、言葉で振り返るようなことはしなかったが、きっと妻も同じように静かに振り返っていたに違いない。
お料理はやっぱり全部美味しかった。飲み物はワインのペアリングを勧められたが、以前別のお店でペアリングをしたときに、立ち上がれなくなりそうなくらいベロベロになったので、料理に合った白と赤をそれぞれ一杯ずつグラスでいただくことにした。
妻は少食なので・・・と事前にお伝えしていたが、どれくらいの量が良いかを最初に聞いてくださった。やはりここはおもてなしも安心して委ねることができる。変な言い方かもしれないけれども、嫌な思いをしてしまうんじゃないか?という冷や冷やがない。
リルさんから夫婦へのケーキのプレゼント。そして、私から妻への花のサプライズ。喜んでくれてよかった。
最高に幸せな一日となった。
よもやまさん、これからもよろしくね!
それでは、ばいちゃ☆
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患者さんたちともいよいよお別れといった感じで、ある人は実家を、ある人は近医を、またある人は引継ぎの先生を紹介。
「どうかお元気で」と皆さんから励ましのお声をいただく。お別れは寂しいけれど、そういって励ましていただくと、これまでの全てが思い出されて、そして報われたような気持ちになる。なかには「先生に診てもらいたかった」と恨めしそうにこちらを見てくる方もいるので、そういう方には「ごめんなさい」と謝るしかない。信頼されすぎて謝らなきゃいけないってこともあるんだな、と。人生は勉強と気づきの連続ですな。
最後の最後まで。全身全霊で全力投球!うなれ5倍速!吸えバキューム!!
と勢いづいた矢先にこれだよ。愛機2番のイニシエユニット。いよいよ寿命か?半日で治ったからいいけど・・・。
お昼休みに磯兵衛さんとカフェに行った。
いよいよこうやってランチをするのも最後かもしれない。先輩にも色々お世話になりました。そもそも正規の医員として年単位でカッチリ残れたのは、先輩の尽力によるもの。本当にありがとうございました。そしてごっつぁんです!
患者さんから餞別をいただいた。「歯科医師として当たり前のことをしているだけです」と断るも「先生だからよかったんです、どうか受け取ってください」と。
皆さん、本当にありがとう!!
診療の合間に有床義歯学会の認定医申請書類を出しに郵便局へ。
後ろを振り返って懐かしむだけではなく、常に前も向いている。これが受理されれば有床義歯学会認定医、言うなれば「入れ歯認定医」をゲットできるわけである。ますます「入れ歯ニキ」っぽくなっていく。
診療終わりに、日曜バイトでお世話になっていた精進歯科の院長先生にご挨拶すべく澄川へ。
院生時代の日曜日はほぼほぼここででお世話になっていた。医員になってからもちょこちょこお世話になっていたが、ここ1年以上はめっきりご無沙汰になっていた。
そしていよいよ大学病院退職ということになり、このままフェイドアウトしてしまうのも失礼だと思い、しっかりとお世話になったお礼を伝えに来た次第である。
なんだか懐かしい。本当に毎週のようにお邪魔していたのを思い出す。ここで開業医としての立ち振る舞い、治療、さらに言えば保険算定のハウツーなど、学ばせていただいた。自分が患者として受診したい歯科医院のひとつだ。
お昼は斜め向かいのブロンディーで、院長先生と一緒に昼食をいただいたが、今では日曜は営業していないらしい。マックスバリューのテナントもところどころ変わっていて、しばらく来ていなかったんだ・・・と肌で感じた。一方で、私がバイトとしてお邪魔していた頃からいるスタッフさんたちが「お久しぶりです〜!」と懐かしんでくれて、ちょっと嬉しかった。
お礼を伝えに来たのはずだったのだが、院長先生から「ご結婚されたと伺ったので、よかったら一席設けましょうか?」と言っていただいた!しかも大学院卒業のお祝いということで、妹も同席させていただき、兄妹でしっかりとお言葉に甘えて、しっかりと御治療になってしまった。
本当にごちそうさまでした・・・!!
6年間、大変お世話になりました!今後とも何卒よろしくお願いいたします!
それでは、ばいちゃ☆
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前回の様子はこちら。
これまで「義歯のカタチ」「総義歯の調整」「部分床義歯の調整」と回を重ねてきたけれど、最終回のテーマは「総義歯の顎位」。
私がこれまで色んなセミナーや教科書、論文を読んできて培ったものを後輩たちに還元。
わかりやすいなって思ったそこの研修医!そりゃそうだよ、有名な先生の受け売りだもの!もちろん引用元はすべて明示。人のふんどしは人のふんどしですと、きちんと言ってから相撲を取った。
むしろ後輩たちには、これをきっかけに、私がこれまで受けてきたようなセミナーにどんどん参加して欲しいと思う。それも伝えた。ふんどしを履いている本人の話をぜひ聞いてくれと。これは盗んだふんどしなんだよ、と。
ふんどしゼミ。
ただ、私がこれまで勉強していて、ずっと悩んでいたことがある。
総義歯の勉強をしている中でよく聞くのが「合わない義歯を入れていると前咬み癖がつくから、適合の良い義歯を入れると下顎位は後ろへ動く」というものである。
一方で、有歯顎の咬合再構成のセミナーなどに出ると「不良補綴物によって下顎位が後ろに押し込まれているから、治癒すると下顎位が前に動く」という話をよく聞く。
前なのか?後ろなのか?
しかも、有歯顎のセミナーでは「咬合再構成の基本は総義歯」と大抵言われる。総義歯が基本のはずなのに・・・どうしてそこでギャップが生じてしまうのだろうか・・・と、ずっと考えていた。
そして、どちらも実際に臨床現場で起こっているので、どちらも間違っていない。正しいのだ。じゃあ、どう解釈したらよいのか・・・。
といったところの、現時点での私の解釈をスライドにまとめた。
拙いながらも、自分の手掛けた症例を6つほど提示。200枚におよぶスライド、ゼミそのものは2時間半に及んだ。質疑応答もあり、非常に盛り上がった。
つくづく総義歯って歴史学だと思う。私は歴史が好きなので、よりそう思う。
よく総義歯は終わった学問と言われるが、終わっているからといって勉強しなくてよいというわけではないと思う。さらに言えば、終わっていると思われている中でも日々新しいことがわかったり、意外とまだわかっていないことがあったりするところは、本当に歴史学と同じだな、とも感じる。
そんな中で私が、最後の最後に受講生たちへどうしても贈りたかった言葉がこちら。
義歯を勉強するというのは、そういうことなんです。
私は自分が思い描く「歯科医師の原風景」を追い求めて、より一層、歯科医師らしくあるために精進していきたいと思う。
さあ、みんなも頑張ろう!とにかく色んなセミナーを受けなさい!と激励して、私のゼミは終了した。
最後にアンケートも取った。
みんなからの声に感激。やってよかったと本当に思えた。みんな、最後までついてきてくれてありがとう!!
全体での打ち上げは前回やったんだけど・・・何もなく終わるのは寂しすぎるので、行けるメンバーで軽く飲みに行くことに。
大学の近所の飲み屋で。
手前の彼女が、会場の手配や設営を全てやってくれた。本当にこのゼミの立役者、改めてこの記事でもお礼を言っておきたい。ありがとう!!
後ろの二人はまだ研修医。これからきっと有名になるだろうので、必ずお世話になった先生を聞かれたときに私の名前を出すように頼み込んでおいた。よろしくお願いします。
今回、このゼミのお陰で、自分の8年におよぶ大学病院での臨床をまとめ、振り返る貴重な機会を得ることが出来た。また、意外と曖昧だったりわかっていなかったりした部分も浮き彫りになり、これじゃいかん!と勉強しなおすこともできた。
みんなのお陰で、私が一番勉強することができた。そういう意味でも本当に企画してよかった、みんなありがとう!
これからもどんどん勉強していきましょう!
それでは、ばいちゃ☆
]]>【関連記事】【ハネムーン回想記】第16話:夜はかつての盟邦の雄たちとの共闘
7泊8日のツアーもいよいよ最終日。
昨日の興奮冷めあらぬ中、朝食会場へ行くとみんながいた。
昨日は自由行動だったが、最終日はまた全体での移動となった。
ガースーさんと相席した私たちは、お互いに昨日はどこへ行ったのか?という話になった。
ガースーさんは少し笑いながら「モモ夫婦と合流してタクシーに乗ったんですがね・・・」と語り始めた。昨日のガースーさんは途中「呪いのベルト事件」でおなじみのモモ夫婦と合流し、ホテルへ戻るためにタクシーに同乗したのだという。だが、タクシーの運ちゃんが道に迷い、さんざん連れまわされた挙句にホテルではなくテルミ二駅に着けられて代金を請求されたのだという。
さすがにおかしいと支払いを拒否していたらドアをロックされて閉じ込められて、しばらく問答したのだとか・・・。
「ローマの人はわからないって言えないらしくて、知らなくても知っているふりをするみたいですね」とガースーさん。
結局支払わずに済んだらしいが「モモ夫婦・・・やっぱり何か持ってますね」と笑っていた。
さて最終日は、割と朝早くにホテルを出て、みんなでヴァチカン美術館へ。
こういった美術館は事前予約がないとなかなか入場は難しいらしい。ツアー様様。
恐ろしく混んでおり、少しでも立ち止まったりすると「急げ!」とどやされた。乞食も全力で「金クレー!」みたいなことをおそらくイタリア語で叫んでいるが、それに気を取られて足を止めると警備に怒られる、そんな感じだった。
2班に分かれて入館。ヴァチカン美術館はこのツアー最大の目玉と言っても良い。よもやまさんもかなり楽しみにしていた。
ガイドの方が見処をしっかりと解説しながら教えてくれるので、本当にありがたかった。
中庭に出て「最後の審判」を見るための順番を待つ。
待っている間に解説をしてもらう。こういった解説用の立て看板が沢山あり、それぞれの場所でそれぞれのツアーのガイドさんが解説していた。
この絵の復元修復には日本がかなり関与していたらしい。修復したことで、このような鮮やかな青が表に出てきたんだとか。
松ぼっくりのオブジェで記念撮影。なんでここで撮ったのか、理由は忘れた。
「最後の審判」の部屋は私語厳禁で、絵も撮影禁止とのこと。そう聞いて、緊張しながら入室したのだが、なんてことはないイタリア人をはじめ諸外国の方々はめちゃくちゃ喋っていた。そんな喧騒の中で絵画見物。圧倒的スケール感に気圧されながら、時間が来たので退室。
そのまま美術館見学。
有名なやつも見れて満足。
それにしてもすごい人。世界中から来ているらしい。
目のところに水晶がはめ込まれている。他の彫刻も昔はああいう風に色を付けられていたけど、それがはがれちゃって今みたいになっているらしいが、水晶は色が落ちたりとかがないからそのままらしい。なんだか目が目だと急に人間っぽくなって、ちょっと怖いよね。
色んな展示を解説付きで見ることが出来た。それでも記憶に残っているのは、この圧倒的な人の数。
美術館を出た流れでサンピエトロ大聖堂の見学。昨日も来たけど、この日はクーポラまで行く時間は無し。昨日のうちに行っておいてよかった。
クーポラのところも大行列。それにしても係のおいちゃん、不機嫌すぎじゃない?
サンピエトロ大聖堂では聖水が売っていないか探したけれど、なかった。クーポラの通路が5年前と変わっているかどうかは結局のところわからず。上の売店がなくなったのかまだやっているのかもわからず。5年前にあったクーポラのところの売店には大量の聖水が売られていたんだけどな・・・。
聖水もどこにも売っていないので、売らなくなったのか。教授へのお土産にしたかったんだけど・・・。
そのまま空港へ。最後のバス移動。このときはまだワインボトル事件の前なので、こんなにお茶らけている。
ワインボトル事件は以前書いたので、本稿では割愛。
【関連記事】【簡易更新】割れると思っていた方が、割れないものだ(新婚旅行8日目)
大量のワインを手提げ袋に入れて機内預かりにしてしまったがために、ツアーガイドのTTさんから「何してるの!絶対に割れるわよ!」と言われてちょっと怒られた事件。
せっかくお土産に調達したのに・・・と意気消沈のまま出国。
意気消沈しすぎてか、ここからしばらく写真フォルダにデータがない。
気を取り直しての昼食。空港にて。夫婦でため息をつきながら食べた。この時の私に会えるのなら、教えてあげたい。結局、奇跡的に1本も割れずに済んだよ、と。いや、それよりも、もっとさかのぼってスーツケースに入れておくべきだったよと伝えるべきか。
割れてもいいように補充のお土産を買いながら、搭乗時間ギリギリまでイタリアをエンジョイ。
頼むぞー、割らないでくれよー、と窓越しに祈る。
機内食。行きでは米攻めされていた妻も、よいやっとイタリアンにありつけた様子。
電波障害?で、映画が途中で落ちたりなどしたが、搭載されているよくわからないゲームに夫婦で興じたりと、楽しい時間を過ごした。だがやはり遠い。片道12時間・・・特急オホーツクで札幌と網走を1往復・・・と思うと、まぁ近い?!?!
例えが下手なせいで、より距離感がわからなくなってしまった。
どう考えても着陸間際すぎるタイミングで、ばたばたとCAたちが動き出した。
軽食が配られたが、ドリンクは間に合わなかった。着陸準備にはいるタイミングだったためか、私たちの座席へのドリンク配布は割愛された。そんなことあるのか、最後の最後までイタリアだったな。
羽田に到着。皆さんと名残を惜しみながらお別れ。TTさんにもお礼を述べた。
皆さんとどこかでまた飲みましょう!と約束したのだが、結局実現していない。同じ北海道から参加だったヨギ夫婦とも結局飲めてないなぁ・・・。
羽田にて。札幌行きの飛行機を待つ間にエビス。ただいま・・・。
噂のワインたちは、国内線だとこのように丁重に扱われた。やっぱり日本最高!
千歳まではお義母さんが迎えに来てくださっており、そのまま車に乗せてもらって家まで帰ることが出来た。
お義母さんには早速、イタリアで調達してきたワインとチーズをお土産に手渡した。
お義母さんが買ってきてくれたお弁当を・・・濃い緑茶を入れていただいた。帰ってきた・・・と肩から力を抜け落ちたのを感じた。
それから時差ボケにはそこまで苦しまなかったが、翌日から仕事にしてしまっていたので、そこは休んでもよかったな、と思った。それから夫婦で交互に風邪を引いたっけ。それがこの旅行と関係しているかはわからないのだが、やっぱり心身ともに消耗が激しかったんだろうと思う。全身全霊で楽しんだし、合宿のようなスケジュールだったもんな。
これにてハネムーン回想記は終わり。じっくり書いていたら年をまたいでしまった。
ただ、今思い出しても、やっぱり楽しかった思い出しかない。7泊8日。ものすごく楽しかった。イタリアもまた行きたいし、今度はスペインとかにも挑戦してみたい。そのためにはお金を貯めないと・・・仕事頑張るぞ!
ということで、ばいちゃ☆
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左わき腹の伸びに定評のある診療。
夕方からは特急に乗って旭川を目指した。
今日はいつもお世話になっているテラバイト先輩から送別会に呼んでいただいた。テラバイト歯科への出張は、昨年いっぱいで終了していたので、テラバイト先輩やスタッフの皆さんとお会いするのも久しぶりだ。
移動も休憩にあてるのがプロの出張医。
というのは半分冗談で、特急オホーツクは自由席が少ないので、指定席を取ったという話。
そういえば、いつも乗っている特急カムイ・ライラックも今日から指定席が拡大して自由席が減っちゃうらしい。自由席ユーザーとしては、今後の混み具合が心配。
ゆったりと椅子を倒してのんびりしたかったので、隣席が空いていて、後ろの座席がないところを取った。
私も発車前のぎりぎりに取ったつもりだったが、ちゃんと隣にはおじさんが座ってきた。さらにぎりぎりに指定席を取ったということか。3Mの紙袋をぶらさげていたので、このおじさんももしかしたら同じ業界の人かもしれない。
真ん中の肘置きの領有権争いに勝利した私はちょっとビールを飲んでそのまま入眠。あまりにも寝すぎると、これはオホーツクなので網走に行ってしまう・・・が、ちょうどいいところで起きるのもプロの出張医。
ホテルは旭川席前のウィング。チェックインして、荷物を整理。
沖縄のお土産と、送別会で渡すお花を手にもって、いざ出陣。
兄さん、今日もお世話になります!
院長先生が来月から札幌でご開業ということで、今日はその送別会とのことだった。テラバイト先輩は理事長先生。
焼肉のかなめ屋さんは何度か連れてきていただいているが、本当に美味しい。
テラバイト先輩や皆さんに焼いていただいて・・・何から何まですみません!
二次会はスナックでカラオケ大会!
ここのスナックは、以前も連れてきてもらったことがあったが、火災で一度閉業していたのだとか。
そうそう、SJCD北海道のステップアップミーティングで、テラバイト先輩が自己紹介の時間に、そのスナックでのカラオケ大会の動画を映し出しながら「いつもこうやって楽しく仕事をして楽しく飲んでいます!あ、ここ、燃えました!」と言ったので、先輩の発表中にも関わらず「え!燃えたんすか!」と声を出してしまったので、妙に覚えている。
でも、不死鳥の如く復活したらしい。ママさんの顔を見たら、なんだか思い出してきた。
「三次会は寿司行きたいねー!でも、あの寿司屋の大将、亡くなったんだよね。」と、またもや衝撃の事実。昨年の忘年会の三次会で一度しか行ったことのないところだったが・・・美味しかったので残念。
そんな感じで、これまでの飲み会を振り返りながら・・・今日も完全燃焼!
兄さん、これからもよろしくお願いします!
退職される院長先生は、むしろ私とはエリアが近くなるので、札幌で飲みましょう!と約束した。
テラバイト歯科の皆さんも、また逢う日まで!!
テラバイト先輩、今日も本当にごちそうさまでした!!
さりげなく左わき腹を伸ばして左右のバランスを取っているのは秘密。
それでは、ばいちゃ☆
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前回は5年ぶりだったが、今回は半年ぶり!
【関連記事】九州時代の先輩・TESSYさん、お久しぶりです!
「札幌楽しかったからまた来るわ!」と言ってはいたけど、本当だった。
雪降りしきる中、ようこそ札幌へ!
道もつるつる・・・。
TESSY先輩、大丈夫か?と思っていたが、ちゃんと横転したらしい。内地の皆さん、お気をつけください!
前回と違うお店へ行こうということで、今回は「炭焼きジンギスカンやまか」へ。
以前、中村茂人先生セミナーの懇親会で行ったことがあり、美味しかったのでまた来たいと思っていたのだ。
やっぱり私はマトンが一番好きだ。ジンギスカン盛り合わせ、最高に美味しかった。
近況報告と、大学時代の思い出話。今回は前よりちょっと掘り下げた感じで、色々と話せてより楽しかった。
そして、掘り下げたとこで、ずっと心の中で引っかかっていたことを打ち明けることができて良かった。
それは、もちろん学生時代の話である。先輩と私は学生時代にゴスペラーズのコピーバンド(カスペラーズ!)をやっていた。そのライブでのとある失敗・・・いや、失敗そのものよりも、そのあとの立ち振る舞いをずっと後悔していた。
私がリードボーカルのところで、すっぽり歌詞が飛んでしまって、演奏を中断し仕切り直しさせてしまったのだ。しかも仕切りなおしても歌詞は飛んだまま戻ってこずに、結局歌えないまま終わってしまった。
それがあまりにもショックで、かなり取り乱した。自分がミスしてしまったこともそうだが、それをフォローしきれなかったこと、さらには自分のミスで先輩たちを振り回してしまったことがショックだった。普段優しくて無口な先輩(YOSSY先輩)がこぼした「マジか」という言葉が今も脳裏に焼き付いている。
そのことをしっかり謝ることができていなかった・・・とずっと気にしていた。動転しながら「スミマセン、スミマセン」と低く小さな声で呟くようには言っていたが、それではその失敗に対して誠意がなさすぎる・・・と。
そのライブ以降も何回か一緒にはなったが、話題に出すのも怖く、大学も違うので卒業してからはさらに接点もなくなってしまった。思い出してもやもやしては「先輩たちが普段通り接してくれているから大丈夫」と言い聞かせてきたのだが・・・。
今夜、意を決して。するとTESSY先輩は「そんなこともあったね。てか、僕も間違ってたからね」と。良くあることとして、全然気にも留めていなかったような感じで許してくれた。先輩の寛大さに改めて感謝した・・・。
二次会は宇宙。
後輩も呼びつけてカラオケ大会。
TESSY先輩の出身高校は合唱界では誰もが知る全国強豪校。後輩も私も手前味噌ではありますが、知る人ぞ知る合唱名門校。名門対決!と自分で煽りながら、かなり盛り上がった。
私は先輩の歌う、Baby Booの「プラネタリウム」が好きなので、それを聞けたので満足。この曲もカスペラーズでよくやった。というか、そのバンド活動で初めて知ったが、今では青春時代の思い出の一曲となっている。
誰かが「TSUNAMI」をいれた。前述の歌詞飛ばし、実は「TSUNAMI」だったんですよね・・・。「歌わないの?」とTESSY先輩が笑っていた。またひとつ許された気持ちになった。
そんなこちらの心の機微など知る由もなく、カウンターに座っていたオイチャンが楽しそうに歌っていた。
先輩のおかげで懐かしく、楽しい夜になりました!
次の来札は7月とのこと。またやりましょう!ごちそうさまでした!
それでは、ばいちゃ☆
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電車の中からもちらっとナチュラクスホテルが見える。おかげさまでかなりリフレッシュできた!ありがとう、ナチュラクス!
根室線でガタゴト揺られながら滝川まで行き、そこから深川へ。
根室線は脆弱なので、雪や鹿で泊まらないか心配だったけれども、定刻通り深川へ。
ここで豊田君に拾ってもらう予定だったのだけれど、事故による渋滞に巻き込まれてしまったとのこと。私はハイヤーで舟山歯科を目指した。「舟山歯科まで」と言うだけで、運チャンが「はいよ」と車を走らせる。やはりすごいね、深川のランドマーク。
舟山歯科はリニューアル工事がどんどん進んでいて、行くたびに何かが変わっているので、最近それが楽しみ。物の場所も変わっていることが多いけど、スタッフの皆がすぐに優しく教えてくれるのでありがたい。
ここでも沖縄のおすそ分け。
私が戦跡を巡ったという話をしたら、とあるスタッフの人が知り合いのおじいちゃんが沖縄で戦死して・・・という話をしていた。そういう話が出てくるなんて、さすが旭川(厳密には深川だけど)。
今日はホワイトデーということで、カズナリ先生がスタッフみんなにお返しを配っていた。こちらもさすがです。私からはちんすこうということで・・・。
深川に来るだけでInstagramのフォロワーが増える。カズナリ先生は発信力も、やっぱりすごい。
豊田君は遅れつつも無事に到着。4台前の車が事故にあって、そこから渋滞していたらしい。
「もうちょっと早く出ていれば巻き込まれなかった・・・けど、タイミングが悪かったら事故そのものに巻き込まれていたかも・・・」
なんだかそういう、意味が分かると怖い話みたいなやつなかったっけ。最近、YoutubeのShortで、そういうのばかり流れてくる。
お昼は三人で藤に行った。
私は「カレーライスかな〜」と呑気に言っていると「久しぶりに天丼でしょ」とカズナリ。
ということで、久しぶりの深川名物。
あまりのボリュームに目がうつろ・・・。
完食は出来ず・・・。カズナリが「もう二度と食べない」と言っていた。前もそう言っていたような。30代が食べるようなもんじゃないね・・・。天丼じゃなかった豊田君まで胃もたれしていた。
千鳥の相席食堂とかで紹介されていそう。この天丼、ちょっと待てぃ!のスイッチあったら押すもんな。
ここに来る途中も、路肩を歩いていた老人が、自分で押していたシルバーカーにおもむろに座りだして、寒空の下、車道の真ん中で休憩し始めたところを見てしまった。
(イメージ:シルバーカー)
文章だとこの衝撃と面白さを伝えきれないのがもどかしいのだが、これなんてもう、相席食堂だったらちょっと待つところだろう。
ちなみに、その老人がおじいさんだったのか、おばあさんだったのか。意見は真っ二つに割れて決着がついていない。インタビューすればよかったな。
少なくとも私の患者ではなかった。
今日の仕事はかなりパフォーマンスがよかったと思う。
前回、解決しきれなかった方を笑顔にして帰ってもらうことができたので、それが何より一番良かったことだと思う。
今月は今日しか来れないんだけど・・・色々と豊田君にアフターフォローをお願いしている。舟山歯科はドクター同士で連携が取れるので、本当にありがたい。
診療後はみんなでおしゃべりしたり、症例について話し合ったり。この時間がやっぱり一番楽しい。
帰りは駅まで豊田君に送ってもらった。
また来月もよろしくお願いします!
また、朝日放送の皆さま。相席食堂の次のロケ地、深川がおすすめですよ。深川はちょっと待てぃ!が沢山あります。ぜひぜひ。
それでは、ばいちゃ☆
]]>めっちゃ楽しくて、それきっかけで今月も誘っていただいた。
ちょうど深川出張の前の日だったので、今回の前泊地を富良野に設定。
診療終わりに特急に飛び乗った。
本当に時間がギリギリで、外来から医局、大学から駅、改札からホームへと久し振りに走ったので席についた頃には膝が笑っていた。
乗りたかった電車に乗れないと、1時間待たなければいけない。札幌での1時間は富良野での2時間に相当する。
滝川駅で乗り換え。快速狩勝。車内は国籍を問わず観光客でいっぱいだった。その隙間を縫うように座して富良野へ。
ということで、1カ月ぶりの富良野。
まさかこんなにすぐ来ることになろうとは・・・と思いつつも、よくもまぁ毎週通っていたもんだとも思った。医局の誰からも労われることも感謝されることもなく、それどころか嫌味なんかを言われることもあったが、2年もの間、無遅刻無欠勤だったことも表彰して欲しいくらいだったよ。
今となっては富良野時代のスタッフさんたちはこうやって声をかけてくれるし、旭川方面に友人は沢山増えたし、今の「入れ歯ニキ」としての生活のきっかけとなったので、よかったんだけどね。
今宵のお宿はナチュラクスホテル。
前述の「旭川方面の友人」の一人、ひーくんに事前に連絡をとり、予約を取ってもらっちゃったりした。友人というか先輩だけど。先輩に「君付け」は失礼だったら、ひー兄さん。
富良野駅から、本当に目と鼻の先。ここはひー兄さんの実家。
実は富良野時代は、ドラム歯科への通勤路として、このホテルの駐車場を横切って歩いたりしていたのだ。以前それをひー兄さんに言ったら、真顔で「やめてください」と言われた。その節はすみません。
当時はコロナ禍で休業していたが、こうして泊まる日が来ようとは。
いつも外観は見上げていたので、興味津々。
部屋もめちゃくちゃ綺麗でいい感じだった。一階には大浴場もあって、かなり助かった。
浴室と寝室が丸見えなのが、ちょっとエッチですね。
荷物を置いて、そそくさと飲み会会場へ。
みんなに沖縄土産も。忘れずに持ってきた。
飲み会はすごく楽しかった。楽しかったけど、写真を撮るの忘れた。
院長とかになってしまったら、おそらく聴けなくなってしまうような、スタッフさんたちの本音の連続に、最初は笑っていたが、だんだん怖くもなった。だが、非常に勉強になるし、なかなかない貴重な機会なのでありがたい。
とあるベテランスタッフさんから言われたのだが、私が「スタッフの話を聴くことができる理解あるドクター」なのではなく、「まだそういう時期」かもしれないのだという。なるほど、確かに今のみんなと私は雇用関係にないわけだし、私自身も人事や経営のことはまったくわからないから「そんなことはない」と力強くは言えない。
「いずれ・・・なっちゃうのかもよ〜」と、また別のスタッフさんが言う。
そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。今日のやり取りはYボタンを押して覚えておくことにしよう。
院長になったときに「ふかくおもいだす」で反芻すれば、その時にこそ何か思うところがでてくるのではないだろうか。
日付が変わる前に解散。私もみんなも明日は朝から仕事。今日もとても楽しかった。
コロナ禍ということもあったかもしれないけど、私が出張医として通っていたときに、この飲み会が開催されていれば・・・色んなことを皆と情報共有しながら、もっと楽しく通えたかもしれなかったな・・・と。
今呼んでもらって楽しく飲めているからいいんだけど!
それでは、ばいちゃ☆
]]>♪ハッピーハッピーハーッピー♪
「よーし!今日もお仕事がんばるぞー!」
張り切って廊下を歩いていると、たまたま通りがかった、他の講座の上級医とエンカウントした。
「あ!ねえ、如月先生!」
「はい・・・(苦手な人につかまっちゃったな)」
「あの患者さんの、あの件なんだけど・・・ダラダラ!」
「はい・・・(その件は俺には関係ないんだよな)」
「先生は退職するんでしょ?引継ぎは大丈夫?あの患者さんは大丈夫な人?」
「はい・・・(大きなお世話だし患者さんに失礼なんだよな)」
「その患者さん、実家の歯科医院に連れて行って、そこでやりなさいよ」
「は?」
患者さんが希望すればそのようにしているけれども、大学職員のセリフとは思えず耳を疑った。朝からすごく嫌な気持ちになってしまった・・・が、気を取り直して。
日程が日程なので、そろそろ本当にお別れといった患者さんの連続である。
皆さんから、言葉の限り感謝していただき、そして別れを惜しんでいただき、私も感無量だった。
「お子さんが出来てお父さんになった先生も見てみたかった」とも言っていただき、本当に家族のような絆すら出来ていたことに終わりになって気づかされた。
皆さん、どうかお元気で・・・!
夕方の医局会ではクソがケースプレゼンテーションの予演会をしていた。
クソ「ペリオが―、咬合高径がー・・・」
(なんてずさんな内容なんだ)
私は怒りすら覚えた。ただ、その怒りはかみ殺して、上級医たちがひとしきり質問と指導を終えたのちに、私も色々気になるところがあったので、質問してみた。
「何を根拠にそれをしているんですか〜!?」
クソ「あーでもない、こーでもない・・・ダラダラ」
(駄目だこいつ・・・何にもわかってない!)
(言ってることも、まったく意味不明でわからない!!)
クソ「ペリオリスクのある患者さんでした!」
「だとしたらペリオへのアプローチがずさん過ぎませんか?」
クソ「ペリオリスクは実際にはなかった!」
「え?今あるって・・・あるけどないってどういう・・・」
医局長「はーい、終わり終わり、もう終わり!レロレロレロ」
(普通に質問していただけなのに、なんか俺が感じ悪いみたいじゃないか・・・)
今日は患者さんとは沢山の素敵なお別れを経験することができた。
だがその一方で、朝から晩まで、嫌な思いをした日ともなった。
♪デーンデデーンデデデデデーン♪
大学を辞めることにしてよかった!
こういう無益で嫌な気持ちになることが、今後はなくなると思うと、残り2週間ちょっと・・・なんとか頑張れそう。
かくして、流行に乗ったものの、動画ではなく静止画なので、イマイチ乗り切れなかったな。
反省!
それでは、ばいちゃ☆
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全4回の予定のうち、今日が3回目。なんだかんだであっという間である。
今日のゼミのために、先週末は休日も返上して大学に缶詰めでスライドを作っていた。私の8年に及ぶ大学生活の集大成として、誰かに頼まれたわけではないけれど、ある種の使命感をもって全力投球で臨んでいる。
前回の様子がこちら。
1回目が「義歯のカタチ」。2回目は「総義歯の調整」。
そして、今回は・・・!
「部分床義歯の調整」である。
先日、プライムの泉さんから受け取ったセミナーのチラシをゼミ受講者全員に配って告知。
続いて、沖縄土産のちんすこうを配布。沖縄戦の概要を導入として話、定刻通りにスタート。
今日のトピックスとしては、遊離端義歯への対応、部分床義歯の設計、部分床義歯の咬合採得の3本柱。
私はこの大学の出身ではないけれども、8年・・・臨床のみならず教育現場にも出ていたので、この大学がどういった思想で部分床義歯の設計について考えて実践しているのか、そしてそれを学生にどのように教育しているのか、さらには卒業生たちがどのような考えを持って羽ばたいていくのか、大体のことはわかっているつもりだ。
まずは、この大学の部分床義歯教育の素晴らしいところをピックアップしてまとめた。それが私の義歯設計の基礎ともなっているからだ。
だが、辞める身なので忖度なく申し述べるけれども、大きく欠落している部分もあると感じていて、それが何かというのも余すことなく講義に盛り込んだ。
これでゼミを受講した皆には、遊離端義歯の調整、さらには部分床義歯の設計で路頭に迷うことはない!・・・はず。
しっかりと講義で話した後は・・・懇親会!
私の空前の沖縄ブームに、皆にもつきあってもらった。
お酒を飲みながら、さらに義歯や臨床の話で盛り上がりました!
次回で最終回。名残惜しいけど、ここから何か大きな流れに結びついていくと良いなぁ!
北海道から、義歯で困っている患者さんが一日も早く、一人でも多くいなくなりますように!
もちろん死亡による終診ではなく、治癒によるケースクローズね!
それでは、ばいちゃ☆
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夫婦で九州から来札するとのことで、こちらもよもやまさんと夫婦で。スケジュールの都合上、あんまり時間はなかったけれども、それでも連絡をくれた後輩に感謝。
まこんぬは去年の10月に結婚式で会って以来。
まこんぬは大学のコーラス部の後輩。先週はトンヌ先輩とも会えたし、なんだかコーラス部週間で私は嬉しい。
何が食べたいか聞いたところラーメンとのことだったので、味噌ラーメン発祥の「味の三平」へ行くことにした。
文房具屋さんの中に味噌ラーメンの始祖が。
人気店だけど穴場だし、地下を使えば殆ど地上に出ることなく行くことが出来て、待つことになっても屋内で温かい。
そのうえ美味しいから、味の三平・・・最強。
さすがの人気店、ほとんど開店時間にいったけれど待った。でも、回転も速いので、そこまで待たなかった。
席は残念ながら離れ離れに。まこハズバンドは初北海道とのこと。ラーメンで味が選べること、替え玉がないことに感動されていた。確かに福岡は豚骨一択だし、替え玉ありますもんね。
私もひっさしぶりに食べた。むかーーし、小学3年生の時に、総合学習のテーマが「ラーメン」だったから、それでインタビューをしに来た事があるけど・・・それからは来た事あったかな?多分あるんだろうけど、全然覚えていないので、体感ではその小3のとき以来。
すごい美味しくて、連れてきてよかった!と安心した。
それから天気も良かったので、ちょっと札幌の名所を歩きながら紹介。
テレビ塔!
時計台!
まこんぬ夫婦から、お土産までいただいてしまった。
本当にありがとう!!
よもやまさんが、まこんぬの人柄や気配りに触れて「すごい!」と感動していた。まこんぬも、よもやまさんのことを「優しくて素敵な方」と言ってくれた。私はそれを聴いてなんだか嬉しくなった。よもやまさんにはまこんぬを、まこんぬにはよもやまさんを紹介することができて本当によかった。
また、夫婦で福岡に遊びに行きたいし、その時にはぜひ会いたいものだ・・・。
それでは、ばいちゃ☆
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前回まではこちら。
【関連記事】沖縄戦に思いを馳せる・・・嗚呼!(その2:沖縄陸軍病院 南風原壕群20号)
ここでガマ体験をした私は、さらに追体験を深めるべく、今度はアブチラガマへ向かった。
アブチラガマとは何か。パンフレットの冒頭を引用して説明したい。
アブチラガマは、沖縄本島南部の南城市玉城字糸数にある全長270メートルの自然洞窟(ガマ)です。
沖縄戦時、この自然の洞窟は糸数住民の避難指定場所や、日本軍の地下陣地・倉庫としても使用され、戦場が南下するにつれて南風原陸軍病院の分室となりました。
アブは深い縦の洞窟。チラは崖。ガマは洞窟のことを言うらしい。
ここも予約制だったが、お願いしたらなんとかいけた。
入壕料、ガイド料、ヘルメット・懐中電灯のレンタルが全てついて1200円だった。
私たちの前に修学旅行の団体がいて、それを待ってからの入壕となった。
受付のあるセンターには遺品がたくさん展示されていた。
これらは米兵が戦利品として持ち帰ったものを返してもらったのだという。
色々面白くて、見ている間に時間となり、ガイドの方がやってきた。
ガイドの方から最初に沖縄戦の概略などの話があり、知識の無い方でも大丈夫な構成になっていた。
全長270メートルの壕を実際に入ることが出来るのだから、すごい。ただ、壕内は撮影禁止だった。
ガイドの方に連れられながら入壕。足場は悪く、中は真っ暗。
この壕は広くて、中から水も沸いているので、なんとか助かった命もあったのだとか。そういった方の体験談はホームページなどから拝見することができる。もちろん私は予習済みでアブチラガマに挑んでいた。
南風原の沖縄陸軍病院壕の記事でも書いたが、この空気感は実際に来てみないとわからないものがある。来てもわからない部分もあるのに、来なかったらもっとわからない。
アブチラガマの最深部には再起不能と判断された負傷兵が次々と送り込まれていたのだという。治療はもちろん、食料や水も与えられることなく、ただただ死ぬのを待つ場所として。
ガイドの方が懐中電灯を消してみてくださいと言った。私たちは忽ち暗闇の中に放り出された。自分が存在しているのかどうかすら疑わしくなるほどの暗闇。
沖縄戦における県外出身者の戦死者では北海道が最も多いということは、このブログでも頻繁に取り上げている。
ガイドさん曰く、アブチラガマにも北海道出身者の方がいたとのこと。おひとり、生還した方がいるらしい。
しかし、北海道から行先も聞かされずに沖縄に来て、何もかも郷里と違う場所で、それだけならまだしも、負傷して最後は再起不能と判断されれば、この暗闇の奥底に捨て置かれる・・・。その無念。言葉にできない絶望。その兵士らの胸中や如何に。そう思うと、ぐっと目頭に熱いものがこみあげてきた。
ここは人生を終える場としては、あまりにも暗く、悲しい。
壕の中腹には井戸があり、空気抗もあった。そこは、水もある。空気抗からは太陽の光が注がれ、それに希望を見出して生還した方もいたとのこと。そういった地獄のような体験談ですらも、救いのある話に思えてしまうほど、深い絶望がこの壕にはあるような感じがした。
「もっと高性能の懐中電灯があったんだが・・・」と終始残念そうにしているトンヌ先輩のお陰で、なんとか絶望に飲み込まれずに壕を出ることが出来た。
出口のほど近くにある慰霊碑に手を合わせた。
帰りに、私の強い希望でもう一か所。バックナー中将のお墓を見てみたいと、さらにトンヌ先輩に車を走らせてもらった。
なにもないところに、ひっそりとたたずんでいた。
バックナー中将は沖縄戦の最高指揮官。アメリカの歴史上、敵軍の攻撃によって戦死した者の中で最高位。
敵の大将を討ち取った場所を見ておきたかった。
前線の視察中、我が方の狙撃によってこの地で戦死したらしい。バックナーの戦死によって、米軍による民間人への無差別虐殺が発生したことは、この記事を書くために調べていて初めて知った。
ちなみに、遺骨はここではない。それは彼の故郷ケンタッキー州にあるとのことだ。
この日はトンヌ先輩と、近くのA&Wへ行くことにした。ネイティブは「エンダー」というらしい。
この流れでALL AMERICAN FOODというのは、矛盾しているようだが、決してそんなことはない。
かつての敵。今では味方とはいえ、やはり敵のような。大きくて邪魔なくせに、無視はできずに、魅力もある存在、それがアメリカ。そういう意味でも、この日の夕飯はまったくもってアメリカの味であった。
かくして今回の沖縄戦跡巡りは終了!
私の我儘を聴いてくださり、行きたい場所へ全て連れて行ってくださったトンヌ先輩!
本当にありがとうございました!
それでは、ばいちゃ☆
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前回の続き。
【関連記事】沖縄戦に思いを馳せる・・・嗚呼!(その1:旧海軍司令部壕)
この日、海軍壕公園から、トンヌ先輩カーで沖縄陸軍病院として使用されたという「南風原壕群20号」へ向かった。
沖縄だというのに、少し肌寒く、雨も降ってきた。
目的の壕は大きな公園の中にあった。ここで戦争があったのが嘘のような平和な景色。
「沖縄陸軍病院壕」の案内表示があったので、やっぱり此処で間違いなさそう。正直、あまりにものどかで「ここが?」と疑っていた。
ハブに注意しながら壕を目指した。
あった!
ここは実際に壕の中に入ることが出来て、しかもガイドもつくとのことだった。
しかし、なんと!事前予約制!
自分のリサーチ不足を嘆いた。
が、ダメ元で受付の方に聞いてみると「いいですよ〜」と。代表者が名簿にサインするとのことで、どこから来たのかを書く欄に「札幌」と書いたところ「札幌からお越しで」と少し驚かれた。こちらは沖縄ですと、トンヌ先輩のことはそう説明した。
入壕料は一律300円。
受付の前に座っていたオバちゃんがいて、この人たちもガイドを待っているのかな?と思っていたら、ガイドだった。
最近見つかった、アメリカ軍の艦砲射撃で打ち込まれた砲弾の破片らしい。かなり重くて驚いた。
促されるままにヘルメットを装着。
懐中電灯も貸し出された。
ということで、いざ入壕。
おばちゃんの沖縄弁での解説が小気味よかった。「アメリカさん」と言っていたのが特徴的だった。「沖縄県民30万、日本軍10万、それに対して上陸してきたアメリカさん。アメリカさんは何人ですか?・・・51万ですね」と、改めて聞くと恐ろしい物量の差だと思った。
この壕は風通しがよかったために、蝋燭で灯りをともすことが出来たという。だから病院として使用されたんだとか。
当時の環境を出来るだけ再現するために、真っ暗なままにしているんだとか。
そう、この戦跡巡りはフィールドワーク。現地に行かないとわからないものを感じるために予定を組んでいる。正直、大学のゼミレベルのことはやっていると思う。勝手にね。
狭くて暗い。そして、湿度が高い。むわっとしている。コツコツと何度も天井に頭をぶつけた。ヘルメットをかぶっていてよかった。
壁面が黒いのは、米軍の火炎放射などの跡なのだという。病床につかわれていたベッドの足の焼け残りなどもあった。
こんな狭くて熱気のこもった空間に怪我人がすし詰め状態だったなんて。しかも真っ暗。いつ出られるかもわからない絶望の中で、パニックになった方も少なくなかったようだ。
懐中電灯のあまりを消して、しばし暗闇の中に身を置いたが・・・確かに、自分でも身動きが取れない状態で此処に担ぎ込まれたら・・・発狂は必至だと思った。
映画ではよく見るけれども、実際にそうだったところに入ってみると、全然違う。ぐっと追体験の質が高まったような感じがした。
出口。やっと明るいところに出ることが出来た。空気が美味しかった。
父祖たちが、先の大戦で体験したであろう想像を絶する地獄の苦しみを、ほんの少しだけでも感じることができたのではないかと思った。今はただ、自分たちがそのような目に合うことなく、平和を享受できていることに感謝したい。
父祖たちの受けた苦しみをただ漠然と過去の物として認識するのではなく、可及的に詳細に調べ、追体験を深めるべくフィールドワークに乗り出しているのは、感謝の一端である。
そして、客観的な分析を加えた歴史というものに、最後に血を流し込むのは、こういった実際に触れたり感じたりしたものであると私は信じている。
この沖縄陸軍病院壕の閉塞感は、出来れば誰もが静かに体験してほしいものだと思ったし、そのうえで「沖縄決戦」を見て欲しいと思った。
それでは、ばいちゃ☆
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でも、朝ご飯は沖縄。まだ余韻引きずってます。
ちょっと早起きしていくと、指定席に無料で座れる。
これぞ、三文の徳。
この時間の普通電車は快速車両なんだよね。これよりも1本後だと、指定席のない車両で、さらにかなり時間ギリギリになってしまう。
小樽駅から病院までの路線バスも、たまたま高速バス車両。六文くらい得した気分。三途の川も渡れます。
吹雪の中、ようやく到着。
小樽出張って、他の出張先とは違った疲れがある。行くのも正直気が重いし、帰りはどっと身体が重くなる。
小樽は割と近いし、勤務時間も短いし、スタッフの方はすごく感じが良いので、そういったストレスはないのだが、歴戦の上級医たちと一緒に診なければいけないので、ある種の緊張感がある。
しかし、それも今日を含めて残り2回と思えば・・・足取りも幾分軽くなる。
とある患者さんに、もう出張医として此処に来なくなると伝えたところ、「すごくショックです」と言っていた。
ショックを与えてしまったのは申し訳ないことなんだが、そうやって名残を惜しんでくれるのは嬉しいかった。
「いままで色んな先生に診ていただきましたが、一番よかったです。」
患者さんから会話の流れで褒めていただくことはたまにあるけれども、面と向かってしっかりと真正面から褒めていただくことはなかなか無いことだ。そう言っていただいて本当にありがたいが、非常に恐縮した。
でも、こういう風に言っていただくと、此処に来ていた意味もあったな、と。なんだか報われた気持ちになった。
今日の病院食。よくわからないけど、美味しかった。これを味わうことが出来るのも残りわずか。
今日は患者さんの数も多く、ひとりひとりの処置も重かったので、終わりがいつもよりも押してしまった。
小樽駅の売店で、妻の大好きなトマトジュースを買う。小樽出張の唯一の楽しみ。妻がとても喜んでくれるので、とても嬉しい。写真は病院の本棚。味わい深い並びに思わずシャッターを切ってしまった。
朝は吹雪いていただけれど、帰りには晴れていた。
前回、前々回と快速に乗った際にとマナーの悪い客に嫌な気持ちにさせられたので、鈍行で。ただでさえ小樽帰りは精神を消耗した状態なので、出来るだけ心の波を荒立てたくない。窓の景色を見ながら、のんびり椅子に座りながら帰路に就いた。
小樽出張、私のシフトは再来週。
わざわざ私に会うために再来週に予約を取ってくれた患者さんも何人かいたので、しっかりと皆とお別れしてフィニッシュしたい。
それでは、ばいちゃ☆
]]>そりゃ昨日も一昨日もお休みいただいていたもんね。
医局には今月の充足率(患者さんを診ている度合い)が貼りだされていた。
172%!
私・・・今月いっぱいでやめるんだけど・・・。最後の最後まで全力で突っ走りたい!
さて、今日の夜はJPDA若手育成の会。テーマは義歯の咬合調整。
それぞれの咬合調整の道具や手技についてショートプレゼンを行い、ディスカッションをしようということになっていた。
前回の若手育成の会の様子はこちら。
【関連記事】【JPDA】演ずる側にまわる覚悟はできているか!?
若手育成の会に参加することによって、着実に義歯臨床がブラッシュアップされていく実感がある。おそらく、なんでもざっくばらんに聴ける雰囲気と、等身大の自分を見てもらうことでクリティカルなフィードバックをもらうことが出来るからだろうと思う。
緊張するけれど、いつも胸を借りるつもりで、捨て身で挑んでいる。
沖縄遠征に行く前にスライドは準備していた。
先輩たちの後だと発表し辛いので、トップバッターを名乗り出た。
かなり咬合接触点を皆さんに見ていただきながら、きめ細やかなアドバイスとフィードバックをいただくことができた。特に北條先生からのコメントを頂くことが出来てとても勉強になった。
もっと「甘い!」とか「全然だめだ!」と言われてしまうかも・・・と思っていたが、山崎先生からも「特に言うことはないよ」と言っていただき、ほっと一安心。
北海道の若手の中では「入れ歯ニキ」として活動(?)している私としては、自分の手技は間違っていないことがわかってよかったし、今回のプレゼンを経て、さらにレベルアップすることが出来たように思う。
先輩方のプレゼンもかなり勉強になった。気になることや知りたいことが多すぎて、でも言葉がまとまる前に喋り出してしまうところもあり、うまく質問できない・・・と思いながらも聴きたい気持ちは押さえきれず、めちゃくちゃ質問してしまった。
それでも若手育成の会の先生方は皆さんとても優しいので、どんなに言葉足らずな質問でも、丁寧に答えてくださり、非常に恐縮しながらかなり勉強になった。私がこの「若手育成の会」を勝手に「木村育成の会」と思っていることは秘密である。
最後に永田先生が発表されたが、そこで「補綴科の手」というエピソードがあった。
上下の総義歯を同時にもって調整していたところ、そのように言われたことがあるのだという。総義歯を同時にもって調整するというのは、歯科医師同士でも意外なことに驚かれることがしばしばあるらしい。
永田先生のスライドを見て、私の義歯の持ち方が先生とまったく一緒なことに感激した。
これは私の「補綴科の手」。これも自信をもって押していきたいと思う。まず週明けのゼミで、早速後輩たちに指導しよう!
今回の若手育成の会は3時間近くにおよんだ。
次回も非常に楽しみ。また頑張りたい。
それでは、ばいちゃ☆
]]>
北谷のビーチを兄妹で眺めていた。
妹と海。米軍がここから上陸してきたんだな・・・とつぶやくと、また戦争の話?と言われた。
妹が撮った海と私。なぜか、ねじ式。朝も雨が降って、ご機嫌斜めな沖縄の空。
カタツムリなんて、久しぶりに見た。
お土産を買って、ホテルで一息。荷造りをして集合時間を待つ。
あの人に・・・この人に・・・頭の中のリストを反芻。
頼んでいたワンボックスのタクシーに乗って那覇空港へ。
ラウンジで一服。
トンヌ先輩から勧めてもらった「タコス巻」。初日に教えてもらって食べたのだが、すごく手軽で美味しかったので、最終日も。そしたら如月歯科みんなでこれを買っていた。
ちょっと足りなかったので、別の売店でポーク玉子ロール。いずれもありそうでない。
特にタコス巻は札幌のファミマにも置いてほしい。
来るときは大阪を経由したが、帰りは東京。まずは羽田行きの飛行機に乗る。
楽しかった旅行もいよいよ終わりかと思うと名残惜しい。
羽田までの飛行機は映画も見れる奴だったので「シン仮面ライダー」を見た。
映画は2時間ちょっと。フライト時間とほぼ同じで、ラストシーンが見られなそうだったので、終わり際10分は早送りして見た。コマ送りしていたら、その切り替わりでパッパッと敵と主人公が死んでた。終わりってあっけないのね。ネタバレごめん。
行きは真面目に入れ歯の本とか読んでいたけど、帰りは結局開きもしなかったな・・・。
写真は行きの飛行機でどや顔で入れ歯の本を読む私。
東京から、ついに札幌行きの飛行機に。
どこか寂しそうな父。我々も同じ気持ちですよ。
東京でもかなり寒かったが、千歳に着いたら、さらに寒かった。
沖縄は26度だったが、千歳は-6度だった。20度の落差、なかなか耐え難い。
最後はスタッフさんを送り届ける流れで、私も家まで送ってもらった。改めて、お父さん、お母さん、本当にありがとうございました!
沖縄の余韻に浸りながら、北海道の寒空に身体を慣らす。
嗚呼、沖縄・・・。
また行きたいものです。
今後は、タイミングを見て、沖縄の戦跡巡りのこともじっくり書いていきたい。
それでは、ばいちゃ☆
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昨日は単独行動をとらせて頂き、私はひとり戦跡ツアーをしていた。
【関連記事】沖縄戦に思いを馳せる・・・嗚呼!(その1:旧海軍司令部壕)
今日からは本体に合流。
ここで一緒に巡らなかったら、何のために如月歯科で沖縄に来たんだ?ということになってしまう。来月から常勤でお世話になるので、ここでいっちょ親睦をさらに深めたりますか!ということなのだ。
ということで、5年ぶりの沖縄。
まずはレンタカー、母の運転で美ら海水族館へ。
異例の寒波襲来ということで、思ったより涼しかった。といっても、氷点下の世界から来ている私たちには暑いくらいだった。
お父さん、お母さん、連れてきてくれてありがとう!来年度から、勤務医として還元しなければ!
平日だからもっと空いているかと思ったけれど、かなり混んでいた。
圧巻の大水槽。妹が「ジンベイザメ2匹いなかったっけ?」と言っていた。調べてみると1体は亡くなっていたらしい。合掌。
ジンベイザメと如月親子。妹はスタッフさんたちと撮っていた。
そのままナゴパイナップルパークへ。
相変わらず、商魂たくましい感じ。でも、ちょっと垢抜けちゃった。
どうやら2020年あたりに大改装したらしい。以前のちょっと野暮ったいというか、狂気性をはらんだ面白さは薄れてしまった。パパパパパパ言っているテーマソングの音量もなんだか下げられてしまったような。もっと量、質ともにものすごい勢いでかかっていたような気がするのだが・・・。
5年前の慰安旅行にいなかった妹は「楽しみにしていたのに、残念」と悲しそうだった。
カート1台に6人乗り。私たち兄妹は後部座席。何度か振り落とされそうになった。
コースは変わらなかったけれども、お土産コーナーとか、もっと雑多で殺伐とした感じで、それがよかったのに。
ワイナリーもできちゃってさ。兄妹で試飲しちゃったりしてさ。母に「運転しんどかったら変わるからね!」と言っていたのもすっかりわすれて。ワイン購入しました。
なにより、貝類展示館がなくなっていた。それもショックだった。
(※問い合わせたところ、別の施設に移動したらしい)
妹は恐竜コーナーが目当てだったらしく、すごく嬉しそうだった。全員で記念写真。慰安旅行だけど、家族4人に対してスタッフ2人と、ほぼほぼ家族旅行である。アットホームな職場です。衛生士さん、常に募集してます!
学位もいただきました。博士(パイナップル)。
夜はホテルの近くで沖縄料理屋さん。5年前と同じお店。名前は変わっていたけれども、どうも同じみたいだった。
土砂降りの中、ホテルで傘を借りて移動。5年前も雨が降っていた気がする。
やっぱりオリオンビール。
調子に乗って残波も。かなり濃かった。これはオーバーキルだった。
沖縄料理に舌鼓。5年前よりも沖縄の味に馴染んできた気がする。
楽しい旅行!繰り返しになるけれど、父よ母よ、ありがとう!
ホテルで軽く2次会。楽しくおしゃべりして解散!これまで歴代の慰安旅行の思い出話や、これから旅行するとしたらどこにするかとか、そういった話題でとても盛り上がった。
明日は北谷でお土産を探して、昼過ぎの飛行機に乗って札幌に帰る。沖縄がすでに名残惜しいが・・・楽しい事って本当にあっという間だ。
家族の絆も深まったし、スタッフさん達とも仲良くなれたし。来年度からますます頑張ろうと決意も新たにしたところで、今日の記事を締めたいと思う。
それでは、ばいちゃ☆
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来ている・・・が、那覇空港から私は今日は別行動。
なぜなら昨日話したように、ひとりで沖縄戦の戦跡を巡る予定にしていたからである。
空港からホテルまで移動して荷物を預けてから動き出すのでは時間が足りないということで、嫌がる妹にキャリーバッグを押し付けて、私はトンヌ先輩と合流して、そそくさと空港を後にした。
今日の戦跡ツアーの予定はこちら。
旧海軍司令部壕(海軍壕公園)
↓
沖縄陸軍南風原病院壕
↓
糸数アブチラガマ
↓
バックナー中将戦死之跡
場所の選択は私。それをトンヌ先輩に相談して、順番を決めてもらった。
まず最初に海軍壕公園の旧海軍司令部壕。
那覇市街を一望できる位置にあった。これを見てトンヌ先輩は「そりゃここに司令部を置きますな」と口にしていた。
那覇空港からほど近くだったので、まずここから見ていくことにしたわけだが、なんてことはない。
旧海軍司令部が那覇空港から近いというのは、もともと那覇空港が旧海軍の小禄飛行場だったからであった。
飛行場があり、それを守るために司令部がある。そういうことだったのか。
入場料は600円。沖縄県民であれば半額の300円。
壕はかなり深く、少し湿度の高い感じを受けた。自分がアメリカ兵だったら・・・敵がひしめくこんな狭い地下壕を行かなければいけないのは本当に嫌だろうな、と。壕に入っていく手前、敵の目線を想像してしまった。
天井はやや低い物の、身長が176cmの私でも立って歩ける場所が多く、頭を打ち付けるようなこともほとんどなかった。トンヌ先輩が「アメリカ兵だったら天井が低すぎて大変だったでしょうな」と。
おそらく当時の日本人の平均身長から言えば、まったく問題なかったのだろう。
しっかりと整備されている印象で、中は非常に広かった。まだ公開されていない部分もあるらしいので、本当はもっと広いらしい。
自決した手りゅう弾の弾痕がなまなましく残る部屋。
醜米覆滅。反対側には神州不滅と書かれていた。
懐中電灯を常に携帯しているトンヌ先輩。ふさがれている通路の奥もこれで見ることが出来た。
かなり奥まで続いている。
この壁一面の楔のようなくぼみは、つるはしの跡だという。
この司令部を中心とした日米の攻防「小禄の戦い」をネットなどで調べてみると、かなりの激戦だったことがわかった。
南部に一度撤退した後、再び此処に差し戻された海軍。撤退するときに運べない重火器を破壊してしまったため、竹槍で応戦していたという話もあるらしい。このあたりの経緯は映画「沖縄決戦」でも描かれている。
この陸海軍の連携の行き違いによる重火器の破壊がなければ、小禄の戦いはもう少し違っていたかもしれない・・・が、それをものともしないアメリカ軍の圧倒的物量によって、やはり全滅は避けられなかったかもしれない。
通路には「沖縄県民斯ク戦ヘリ」の電文を書き起こしたものが掲示されていた。
トンヌ先輩がそれを見て「よくその折々で読まされましたよ」と言っていた。
旧海軍の展開した「小禄の戦い」に思いを馳せながら、次は沖縄陸軍病院南風原壕群20号へ向かった。
本当はこの記事で全て振り返ろうと思っていたが、書き始めるとこのように、一か所だけでもこの分量になってしまった。実際、ひとつひとつかなりじっくり書きたいので、記事を分けながら時間を見つけながら、じっくり振り返っていくことにした。
それでは、ばいちゃ☆
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白い雲!
明日から、如月歯科の慰安旅行で沖縄へ行くのだ!
心はもう沖縄。沖縄、沖縄〜!
民族の怒りに燃える島、沖縄よ〜!
2泊3日で沖縄旅行。そのうちの1日をもらって、私は自由行動させてもらうことにした。
自由をもらって何をするかって・・・そりゃ、平和学習でしょ。
「ひめゆりの塔」は5年前に行った。そのときも如月歯科の慰安旅行だった。
だから、今回はさらにディープな戦跡をめぐることにした。
ちなみに「戦跡ツアー」で検索すると、いろんなツアーが出てくる。
ツアーの内容もつぶさにチェックしたが、初心者向けのものが多かったのでパス。
私の知的欲求を満たしてくれそうなツアーもいくつかあったが・・・。
うーん、わからないけど、多分、俺駄目じゃん?ということになった。
そこで、ツアーのコースを洗い出して、行って見たいところをピックアップ!オリジナルの戦跡ツアーを組んだ!
旧海軍司令部壕(海軍壕公園)
↓
沖縄陸軍南風原病院壕
↓
糸数アブチラガマ
↓
バックナー中将戦死之跡
5年前同様、トンヌ先輩に連れて行ってもらう予定だ!今からすごく楽しみ!
個人的に一番楽しみなのが「バックナー中将戦死之跡」。
こちらは糸満市のホームページより。
「アメリカ軍史上において最高位の階級で戦死した事例」
即ち、我が軍最後の大戦果ともいえるわけである。映画「沖縄決戦」でも、戦死のシーンが描かれている。「バックナーが死んだ!こりゃ御嘉賞もんですぞ!」と嬉しそうに言う長参謀演じる丹波哲郎の顔が浮かぶ。
私も敵の大将を討ち取ったところを実際に訪れ、ぜひ思いを馳せたい。
前夜祭ということで、家族で決起会。
戦跡を巡るのは私だけ。那覇空港からトンヌ先輩と合流して、そのまま戦跡ツアーに行く予定。だから、明日は家族やスタッフの皆さんとは別行動。みんなはどこに行くんだろう、戦跡のことばかり考えていたので、よく考えたら全然知らない。もしかして皆も戦跡を巡る予定だったら、どこかで合流するかも!?そりゃないか。
明日は朝5時起き。なので、もう寝ます。
それでは、ばいちゃ☆
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実際、私は歯科医師なので、色んな歯科医院のクチコミを目にすることが多い。
内容や数に神経をとがらせている同業者も多い。実際、それを見てやってくる患者さんも少なくないからだ。
読んでみると嘘か本当かはわからないが、これがまた辛辣なことが沢山書いてある。知り合いのところだったり、バイト先だったりすると、ちょっと内情がわかったるするところもあるから、面白かったりするが・・・。
大学を辞めて自分もクチコミにさらされる立場になると思ったら、途端に怖くなってきた。
「跡取り息子になった途端に自費の話ばかりして感じが悪い」とか書かれたらどうしよう。
そう思っていたところに、この提訴だったので、ちょっと心強い。
怖くなったのにはきっかけがあって、最近、実家の如月歯科に辛辣なクチコミが投稿されたからである。
ババアは母。医者は父。
実家の患者さんの年齢層はいずれも高めで、ネットなんか知らないような人たちばかりだと思って油断していたら、この有様である。
これまで長年、クチコミゼロで星1つ。グーグルからも忘れ去れたような歯科医院だったが、最近、星が2つになって喜んでいたのに・・・。
今、我が家ではババアがグーグルに問い合わせて削除依頼を出している。親が消そうとしているのに、ブログにスクショを貼り付ける私は親不孝者かもしれないが、そこは粗品のように、実家への悪いクチコミを茶化すくらいのモチベーションでいきたいと思っている。
これがまた、うちは小さい歯医者なので、投稿された時期、シチュエーション諸々で、アカウントが如何に匿名でも、誰がこれを書き込んだのか、すぐにわかってしまうのだという。既に特定済み。思うところは改善しなければいけないと思うが・・・そんなに嫌なら来なきゃいいのに、しっかり予約を取って帰っていくという。不思議だ。
クチコミというのは不思議なもので、不平不満ばかりが饒舌に書かれる。
やはり負のエネルギーというのは強い。確かに、私も飲みの席で、賞賛より悪態ばかりが口から漏れ出てしまう。
やり場のないもやもやを、こういうところに吐き出すしかないのかもしれない。また、不満を感じる人というのは繊細な人が多いような気がする。よく気が付くということだ。そういう人は、饒舌かもしれない。
風俗ではわざと悪評を書き込むことで予約を取りやすくしようとする「オキニ隠し」という文化(?)があるが、歯科医院に関してはそういうわけではないだろう。
あんまり「良いコメント」というのは見たことがないような気もするし、引きも弱い。
ただ、良いコメントって書くの難しいよね。
親も読んでいるのでちょっと書きにくいし、グーグルのクチコミではないのだが・・・。
昔、大人のお店に行っていたときにオキニから「ぜひクチコミを書いてください!」と頼まれて書いたことがある。
私は言葉の限りを尽くして賛辞をしたためたのだが、結局そのクチコミは掲載されなかった。どうして?と思って、クチコミサイトに問い合わせたところ、表現があまりにも性的で過激だという理由でお蔵入りしてしまったらしい。
良い塩梅で褒めるというのも、非常に難しいな・・・と痛感した。
風俗のクチコミというのは、非常に紳士で褒め上手。情報の客観性も割とある気もする。グーグルで不満を書き込もうとしている人は、いったん風俗サイトにアクセスしてみてからにしてほしい。風俗サイトのクチコミはやさしい世界。クチコミの理想郷。
どうして風俗のクチコミがこんなに平和なのか。店にもよるだろうけれども、もしかしたら隠されたノウハウがあるのかもしれない。ぜひ知りたいので、詳しい方、教えてください。
とりあえず今「No1.風俗嬢のクチコミを増やす方法」というブログを読んでいる。
内容的には、なかなか面白く、全然馬鹿にできないかもといった感じ。その実際を見て学ぶためにお店に行ったら・・・それは経費で落ちませんかね?
世の中そんなに甘くないか。
それでは、ばいちゃ☆
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特急ライラックから、朝の景色を見下ろす。
すると、川から濛々と湯気のようなものが出ていることに気が付いた。
写真だとちょっとわかりづらいかも。
不思議だな、と思って調べたら「気嵐(けあらし)」と言うらしい。すごく寒いときになる現象とのこと。
それもそのはず、今日は氷点下15度。寒いさむい。
今日も深川で入れ歯ニキ。
三者三様、十人十色の入れ歯模様。突然怒り出すジジイも入れば、手を合わせて感謝するババアもいる。怒鳴られると萎縮するのがゆとり世代。だが、感謝されると腕の奮いがいがある。持ち味を生かすのもゆとり世代。
そういえば、ゆとりってすっかり言われなくなった気がする。
多分、私たちの世代が社会を構成するメインの世代になってきたということじゃないだろうか。どうなんでしょ。
それでも他の世代から「ゆとり」って言われたら、バチギレしちゃうと思う。心のゆとり全くなし。ゆとり教育受けてなかったら、もっとなかったかも。祖国に感謝。ありがとう日本。
お昼はちょっと押しちゃったので、近場のラーメン屋で。
いつもこういうときに後輩ムーブが光る豊田君。素敵。
何度かここにきているけど、ちゃんと醤油の旭川ラーメンを食べたのは初めてかも。お麩はいってたっけ?嬉しい、美味しい。お麩、好き。
豊田君はキクラゲ苦手らしい。こういうとき、いつも最初にもらう。そのせいか、昨日今日ですごい太った。最近、踏み台昇降さぼり気味。やんなくっちゃなぁ・・・
二人で一つずつ梅おにぎりを頼んだんだけど、豊田君のお皿には種が吐き出されており、私の方にはなかった。
「あれ?種あった?」
もしかして私、種と気が付かずに、バリバリかみ砕いた?まさか。
豊田君、午睡。
午後もあの手この手で入れ歯ニキ。
早く終わった分、カズナリ先生の処置を見学できた。
早くて上手くて綺麗。ほれぼれする。憧れちゃう。
そんな感じの内容でInstagramにアップしてメンションしたら「僕も入れ歯ニキに憧れます」と返事が来た。
めっちゃ嬉しくて、それもまたストーリーにあげた。
ヘトヘトになりながら帰路に就いた。
たまたま自動再生でイヤホンからTULIPの「悲しきレイントレイン」が流れてきた。なぜだかわからなかったけれども、ぐっとくるものがあって、涙目になってしまいそうだった。
だが、泣く間もなく入眠。起きた頃には札幌駅。
夕飯は今朝、旭川駅で購入したぎんねこの焼き鳥弁当。
保冷剤をつけて、よもやまさんの分も!
次に行くのは3月の中旬。となると、あっという間に4月か・・・来年度からも何卒よろしくお願いします。
それでは、ばいちゃ☆
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そう言ってくれると、担当していた者としては大変ありがたい。
だが、その中のひとりだったはずの方に「4月以降は如月歯科のほうに・・・」と言ったところ「え?雪大病院に通い続けたいんですけど!」と言われてしまった。
あれ、前回、しっかりと話し合ったはずなのだが・・・。
その話し合いも、私が「来てくれ!」と説得をするわけではなく、「来たい!」と言ってくださる方に「大丈夫?本当に?」と繰り返し聞くといったものだ。おかしいなぁ。
さらに「先生よりも上手な方をお願いします!」とも。
「そんな人はいません。」
そういうわけか今日の私は、なんだか・・・むしゃくしゃしている。
その一方で「死ぬまで先生を追いかけます!」と言ってくださった方もいて「ついてきてくださいね!」と転院以上の決意をしかと受け止めた。
放課後は歯学部講堂でメンターのH先生の講演を聴いた。
臨床ばかりやっていたら知ることのなかった世界を、H先生に見せていただいたなぁ・・・と。講演を拝聴しながら、自分の大学院生としての日々を思い返したりした。
研究チームのメンバーですと、自分を含むチームHの集合写真が最後のスライドに出てきたのが、とても嬉しかった。
そのまま帰り支度をして、旭川へ。明日が深川なので、その前入り。
イランカラプテ、特急入れ歯、ただいま発進。
途中で、JPDAのweb三水会。
山崎先生の講演を拝聴しながら一路、旭川へ。
ちょうどいいところで電波の入りこまない長いトンネルに・・・最後まで聴けずに無念。
そして、旭川。今日もかなり寒い。
実はうっかり、ホテルを2つ取ってしまっていた。
自分のせいではあるものの、このミスが心をさらにささくれ立たせた。コートホテルとウィングホテル。最近はすっかり定宿となっているコートホテルにはダメ元で電話してみたけれども、やっぱり駄目だった。
そういうわけで今日はウィングの方へ。
このミス、いつかやりそうだとは思っていたけど・・・。
夕飯に行こうと思っていたラーメン屋がことごとく閉まっていた。
鼻水を垂らしながら繁華街を歩いていると、とある焼き鳥屋のおばちゃんと目があって、ドアを開けて招き入れられた。とにかく温かいところならどこでもよいという心境で、えいと入店。
ちらちらっと頼んでみたけれど、ちょっとばかし高いような気がした。安い居酒屋の焼き鳥すらも高いような気がしてしまうくらい、なんだか心がささくれ立っていたのかもしれない。
一杯飲み切ったところで帰ることにした。明日もあるし、一人で深酒しても仕方がないし、充電4%しかないのにQRコードから読み込んで注文しないといけなかったし・・・。
テーブル会計とのことだったので、おばちゃんを呼んでチェックしてもらう。
「80円とか小銭はないですか?」とぶっきらぼうに言い放つおばちゃん。
私はわざわざ財布のチャックを開いて、それをのぞき込んで、非常に残念そうな表情を作って「もうしわけない、小銭ないです」と言った。
あった。
50円玉と10円玉の組み合わせでも出せたし、10円玉8枚でも出せた。でも、決して数えてなるものかと。このおばちゃんは私をそういう気持ちにさせた。
どうも今日はそういう気持ちの日だ。早く寝よう・・・。
それでは、ばいちゃ☆
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遅刻して聞けなかった!なんてことが無いように、アポイントもかなり気を付けて組んでいた。
歯学部講堂はほぼほぼ満席で、教授の人望を反映しているようだった。
我が1補綴が誇る教授直轄の動物実験班の中でも核となるチームHは、もちろん最前席で!
演題は「補綴歯科と私」。若い頃の写真がふんだんに盛り込まれて、教授の思い出話も沢山聴くことが出来てよかった。
やはり「人の和を大切に」というお言葉、私も座右の銘として頂戴したいと思います。
歯学部のほっこりとした温かい雰囲気の中、講演は終了。涙はなく、笑いありのお話で、とても面白かったです!
講演後は色んな人たちからの花束の贈呈が。
たまたま高齢者歯科学講座からは妹が贈呈係になっていた。
H先生ら有志からも!
最後は医局の皆で教授を囲んで集合写真を撮って散会。いよいよひとつの時代が終わろうとしているんだなぁ、と。そんなことを感じたりした。
夜は勉強仲間の先輩・ヒロ先生から誘っていただき焼肉。
こちらはこちらで非常に盛り上がった。皆さん、開業もしくは事業継承されていることもあり、割とそれ関連のお話が多かった。来年度から大学を出る身の私としては、非常に襟を正すと言うか、怖いというか、そんな感じで頷きながら聴いていた。
私は欠員補充で呼んでいただいたが、その結果懐かしのSAMデンチャークラブ!
どの飲みコミニティでも準レギュラーの私。次はぜひ、レギュラーで呼んでください!
それでは、ばいちゃ☆
]]>それが終わったらそのまま「木村家の食卓」でのケースプレゼン!
そんな感じで、かなりハードな一日だった。
自分で勝手に設けた発表の場で勝手に決めた日程。さらに日中はハードな処置の連続。我ながら自分のスケジュール調整の下手さを呪いつつも、なんとかやり切った!
その中で私なりに気合いを入れて作成したスライドだったので、それぞれの場で反響をいただきとても嬉しかった。
今はほっと一息つきながら、遅めの夕飯。アドレナリン分泌も終わってきたところで、ブログに起こしていきたいと思う。
18時。診療終わり。後輩が取ってくれた部屋で木村ゼミ2回目。
今回のテーマは「総義歯の調整」。
前回は「義歯のカタチ」。
今回も沢山の後輩たちが集まってくれて、非常に盛り上がった。
前回は全員にあてながらの講義だったけれど、今回は内容の関係上、割と一方的に話す感じになってしまった。そうなると、本当にわかっているのか、どこまで伝わっているのか・・・それがわからなくてちょっと怖い。
なるほど、教育の難しさというのは、こういうところにあるのか・・・と、大学退職間際になって感じるに至った。
それでも質問が出たりすると安心する。少しでも伝わったかな?
質疑応答も含めて、みっちり2時間。
そのまま「木村家の食卓」に突入!
ここからはウェビナーで。テーマは「松丸先生セミナーを受講して」。
7月に受講したハンズオンセミナーの振り返りを、ある程度経過を終えたところでしなくっちゃと思っていたので、それを今日させていただいた。
【関連記事】松丸先生のダイナミック印象セミナー2daysを受講しました!2日目
このセミナーでは実際に自分の患者さんを診ていただいたのだが、本当にものすごく勉強になった。
その患者さんひとりだけの話ではなく、私の義歯臨床が、このセミナーを受ける前と後ではまったく違うものになった。もちろんレベルアップしたという意味で。
アドバンスドでありながらもベーシックな。非常に得るものが大きかった・・・いや、大きすぎたのではないか?と不安になるくらい、充実したセミナーだった。
その時一緒に受講した先生方もお招きして、皆さんにプレゼンを聴いていただくことが出来て本当によかった。「写真が綺麗ですね」というお声もいただくことができて、とても嬉しかった。
さらに実際に義歯を製作していただいた福中技工士にもゲスト出演していただき、ラボサイドでの行程などについてのプレゼンもしていただくことができた。
セミナーで取り扱った症例について、ラボサイドからのフィードバックもいただくことができ、本当に勉強になった。本当にありがとうございました!
そんな感じで喋りに喋った3時間。
自分の症例をまとめて発表するというのは、やっぱり非常に勉強になるな・・・と痛感した。それに加えて、わかっている先生方や一緒に勉強している人たちに見てもらって意見を頂くというのは、かなり有難いことだと感じた。
今後もますます義歯臨床を頑張ろうと思った。
このブログをお読みの皆さま、どうか今後ともご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願いいたします。
ちなみに、次回のゼミは「部分床義歯の調整」。次回の木村家の食卓は、私の医局で発表する最終症例検討をシェアする予定です。どうぞお楽しみに!
それでは、ばいちゃ☆
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おめでとぉー!!
本当のお誕生日からはちょっと経ってしまったけれど、満を持してお祝い。プレゼントは何が良い?と聞いたところ、「すごく蟹が食べたい」とのことだったので、今回は氷雪の門へ。
氷雪の門と言えば、稚内にある慰霊碑。
さらには、それを題材にした映画もある。
確かこの映画は学生時代に遊就館で見たはずである。
何か所縁があるのか?と思っていたが、ちゃんと机に置かれていたお店の歴史に書き記されていた。
戦後、たらば蟹は外貨獲得のために全て缶詰めにされていたらしく、生で食べたり炭火で焼いて食べたりするのは漁師のみだったという。それを「氷雪の門」の初代店長が目を付けて努力したことで、今日の私たちのように美味しいたらば蟹をいただくことができているのだという。
こういう歴史って大事。情報も調味料だ。有難さが増す。
というわけで、たらば蟹のフルコース。
箸置きもたらば蟹。かわいい。
これは親爪と呼ばれる部位らしい。
炭火で焼いても良し。日本酒まで頼んでしまった。
蒸しても良し。たらば蟹はどうやっても美味しくなるな。
やっぱり蟹を食べるときは無言になるね、なんて。
しゃぶしゃぶにしても良しだなんて、隙がない。
一番好きだったのは天ぷら。これ、もう一個食べたかったな。
最後は蟹雑炊でフィニッシュ。どのお料理もとても美味しかった。
よもやまさんも喜んでくれたのでお祝い大成功!
また蟹食べいこう!
ばいちゃ🦀
]]>オカダカズチカ選手が渡米前最後の試合、そして私が大ファンの内藤哲也選手がSANADA選手とのタイトル防衛戦ということで、行かねば!とチケットを申し込んだ。
午前中は実家の手伝いに出ていたため、念入りに入れ歯の型取りをしていたら思ったより押してしまった。
14時スタートだったが、13時半から試合は始まっているということで、急いで向かったが遅刻。ギリギリ本間選手のこけしは見れたのでよかった。
よもやまさんともなんとか合流。私は今回もロスインゴのシャツを着て観戦。今回はロスインゴベルナプレスデハポンとJust 5 Guysの5連戦なので、本当に楽しみ!
会場にはオカダカズチカ選手が渡米前最後ということで、花束が沢山置かれていた。
オープニングセレモニーでOnちゃんが登場!
Onちゃんの登場でさらに会場も盛り上がった!
お昼ご飯を食べる余裕もなく会場入りした。会場にたこ焼きとか売っているだろと思っていたが、どこにもなく。売店でポテチとグミを購入して、それで空腹をしのぎながら観戦した。
オカダカズチカ選手の登場は第2試合。確か最初に対戦カードを見たときは棚橋選手もいたはずだが・・・と思って調べたら、ケガで欠場していた。棚橋選手は解説席にいた。第4試合でネメス選手から挑戦者に指名されていた。
ドロップキックもレインメーカーも見ることが出来てよかった。「これでお別れではないんで」と目を潤ませていた。
熱戦に次ぐ熱戦。こりゃあ来てよかった、本当に。
ロスインゴとJust 5 Guysとの5連戦はどれもかなり熱い試合だったが、最後の内藤・SANADA戦は段違いの熱さだった。
もしかすると、こういった内藤選手のガチの試合をきちんと見たのって初めてかも。
これまで大勢の中のひとりに内藤選手がいたり、あとは飯塚選手に入場前に倒されて医務室から登場みたいな脚本色が強い試合はあったりしたけれど、あれもタイトルはかかっていなかったし。うん、初めて。「ないとぉー!」と私も大声を上げた。
制御不能、予測不能のプレイスタイルで、かつてパレハだったSANADA選手を圧倒。もうひと展開あるか?とも思ったが、割とあっさりと内藤選手が勝利。格の違いを見せつけた形となった。
最後のマイクパフォーマンスでは、解説席にいたオカダ選手をリングに。試合で熱を帯びた会場のボルテージは最高潮に!
内藤選手とオカダ選手の熱いパッションを感じるやり取りに、思わず涙が出そうになった。本当に来てよかった。
帰りは月寒中央の「くう蔵」へ。1年前の記事を読み返したが、そのときもまったく同じ行動パターンで驚いた。
よもやまさんも楽しかったと言ってくれてよかった。よもやまさんはヒクレオ選手と高橋ヒロム選手推し。二人の試合もすごくよかったよね!と言いながらビールを流し込んだ。お互いに昼飯抜きのスケジュールだったので、五臓六腑にしみわたった。
午前中はちょっと大変だったけれど、プロレスとよもやまさんのお陰でとてもよい休日となった。
それでは、ばいちゃ☆
]]>【関連記事】【ハネムーン回想記】第15話:ローマの休日を見ていないのに
随分と間が空いてしまったが・・・。
新婚旅行最終日!ローマにて1日自由行動で、日も沈みかけたくらいの時間から続きを書いていきたいと思う。
コロッセオから地下鉄で数駅。ポポロ広場へ。
よもやまさんも私も疲労困憊といったところだが、最後の力を振り絞って、ローマをさらに踏破することに。
怪しい行商人が音の出るおもちゃをガチャガチャ飛ばしていたが、特に話しかけられることもなく。
サンタ・マリア・デル・ポポロ教会は閉館していた。さすがに17時をまわっていたからね。聖女テレサの法悦はまた今度。
そこから再びスペイン広場を目指して、ウィンドウショッピング。
そして、たどり着いたブルガリ本店!
ここが本店かー・・・と二人で眺めた。入ってみようかな?と思って、中をのぞいてみたけれど、とてもじゃないけれど入れる雰囲気ではなかった。メイド・イン・イタリーの優越感には浸れず、無念。
ここまで来た事を、新宿伊勢丹のブルガリで担当してくれた方に報告しよう・・・と思っていたけれど、結局せずに大分時間が経ってしまった。
ここからテルミ二駅方面に歩いて、途中で見かけた良さそうなレストランで夕食を取ることにした。
これがこの度の新婚旅行における最後の晩餐。
二人でこれまでの日々に思いを馳せながら・・・。ツアーのメンバーにも恵まれて、とても楽しい旅行だった分、終わってしまうのがとても悲しい。
アンチョビのピッツァ。
これは・・・なんだっけ?美味しかった!
きっとまたイタリアへ来よう!そんな気持ちになった。
イタリアの野良猫。
そこからさらに歩いてテルミ二駅へ。後はタクシーに乗ってホテルに戻るだけ!
すごい行列。これずっとタクシーの列。2時間は待った。その間に、色んなことが起きた。
まず、私の前に並んでいた男性が、日本の地下鉄にもいそうな感じの怪しい人だった。
というのは、ずっと怒っていて、うろうろうろうろ。イタリア語でずっと独り言。眼鏡をかけていたが、ポッケからもう一つ眼鏡を取り出して、重ねてしていたり。
やばいなぁ・・・こいつとずっと隣り合わせか・・・と思っていたが、しばらくたって、謎の女が登場。そいつも見るからに怪しい女だったが、その男と熱い抱擁を交わして二人でどこかへ行った。
その男のひとつ前にいたイタリア人の御婦人も同じ心境だったようで、私たちと目を合わせて肩をすくめて「やれやれ」という顔をした。
かなり並んでから、ツアーで一緒になっていた一組の夫婦と遭遇。ホテルまで帰るところということで、一緒にどうですかと合流。すると後ろに並んでいた御婦人がちょっと怒って「横入りをするな」みたいなことを英語で行ってきた。同じ一台のタクシーに乗るんだと説明すると、「ならいいわ」と納得された。
それから、浮浪者と思しき男が大音量で音楽をかけていたり、それでちょっと癒されてみたり。前の日もいた「金くれ!」と直球で物乞いしてくる奴もいたり。そいつからこの日も避けられて物乞われなかったり。
タクシーがようやっと見えてきたな・・・くらいの頃合いで、一組の家族がぐいぐいと列をかき分けて進んできた。
知的障害者の子どもを盾にして「障害者を連れているんだから仕方がないだろ」と。なんと卑怯な。見ればわかる、並べるレベルだし、並ぶべきだ。もし子供のことを慮っているのであれば、子供を盾にして押し入って進まないだろうし。
私の前後の御婦人たちが、これ以上横入りさせまいと通せんぼ。
こっちだって2時間は待っている。それを急に割り込んできて、しかも障害者だからいいだろうと、不届き千万。世界中どこにでも振りかざすヤツってのはいるもんだなぁ、と妙に感心した。
私の前のイタリア人の御婦人と、私たち日本人グループ、後ろにいる英語を話す御婦人と、卑怯者家族での闘いとなった。前からはイタリア語で、後ろからは英語で。多分「横入りすんな」と言っている。
脳裏にかつての日英同盟、そしてドイツはいないけれど日独伊三国同盟のポスターが浮かんだ。イタリア、お前は途中で寝返って戦線布告してきたが、今日はそれは不問としよう。
私も盟友からの使徒。日本語で応戦しようと、できるだけ大きな声で。
三国の共闘によって、列の順番を死守。私たちの肉の壁でイタリア人の御婦人をタクシーの乗せ、私たちは英語の御婦人のガードのお陰でタクシーに乗り込むことが出来た。
最後の最後でアドレナリン大噴射の夜となった。
無事にホテルに到着。
なんとなく部屋からの景色を見て気分を落ち着かせた。
翌日、日本へ戻る。戻る前に、バチカン美術館へ行く予定となっていた。
ワイン瓶を巡る経緯はすでに書いているので、特に盛り上がりはないが、また時間を見つけて日本までの家路を書いていきたい。
それでは、ばいちゃ☆
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札幌から小樽に近づくにつれて、雪が勢いを増していった。小樽だけが豪雪と思いきや、札幌にいる先輩に聞けば、札幌もかなり降っているらしい。
なんやかんやで、小樽出張もあと3回。残り僅か。
「ぜひ如月で」と言ってくれている患者さんを一人でもカッチリさせて居なくなりたい。
そういうわけで、今日もかなり頭を使った。回数制限があるというのは、なかなか厳しいけれど、面白くもある。
さて、今日はまっすぐ帰らずに、いったん大学へ寄った。
今日は、妹とその恩師のK先生と飲むことになっていたからである。
K先生はいつも「如月兄妹と飲みたい」と言ってくださっていて、私たちも常々「先生と飲みたい」と思っていた。
だが、なんだかんだで日程を決めることもなく延び延びになってしまっていた。この度、先生も私たちも雪大病院を退職する。退職してしまっては、妹は東京に戻るわけだし、さらにタイミングを合わせるのが難しくなってしまいそう!ということで、今日になった。
一次会は妹が手配してくれた焼き鳥屋。
二次会はK先生行きつけのスナックへ。
ご飯がとても美味しいとのこと。だから一次会もちょっとセーブした。
K先生の旦那さんと妹の友達・白湯ちゃんも合流。二次会って言っているけど、これが一次会で、さっきの一次会はゼロ次会と言っても良い。
白湯ちゃんは妹と中学からのお友達。高校、大学は違ったけれども、研修医で雪大の高齢者歯科に入局したところで再会。世間は狭いととるか、運命ととるか。
K先生の旦那さんは、初対面の白湯ちゃんが道に迷っていることを受けて、外まで迎えに行ってくれる心優しき方だった。
一緒に飲んでいて思ったのは、妹は良き先生、良き友人に恵まれていたということだ。
妹が東京から雪大に来るとなったときに、研修先の相談に乗ったが、私は高齢者歯科学講座を勧めたのだ。
そういうわけで私にも勧めた責任があったのだが、妹の大学院卒業を見届けんとする今、むしろその責務を全うしたといっても良いだろうと思った。本当に、よかった。
楽しそうな妹の姿を見て、兄者たる私も非常に心穏やかにお酒を飲むことができた。私はちゃっかり常連さんたちのカウンター席に座って皆を見たりして。
ところで、常連さんたちからK先生の旦那さんは「監督」って呼ばれていたけど、どうしてですか?今度聞いてみよう。
白湯ちゃんが食べていたチャーハンが羨ましくなって、私たち兄妹もそれぞれ注文。本当にご飯がどれも美味しかった。ここのお店は今度個人的に来ようと思う。
三次会もまたK先生夫妻が常連のお店。
旦那さん曰く「本当に歌のうまい人が集まるところ」とのこと。日によってはまじでヤバイらしいが、今日は大丈夫とのこと。それを聴いて一安心。
酔いに酔って咀嚼筋のマッサージをするK先生と、それを受ける白湯ちゃん。高齢者歯科の皆さん、本当に仲が良さそうで素敵です。
平和で、ひたすら楽しい夜でした。
K先生、本当にありがとうございました!また飲みましょう!
それでは、ばいちゃ☆
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ご冥福をお祈り申し上げます・・・。
吉田さんと言えば、TULIPの初代ベース。
TULIPのメンバーの殆どが、財津さんが他のバンドから引き抜いて来たのと違って、吉田さんは確か中学からの幼馴染。唯一、友人と言えるような距離感だったはずなのだが、80年に脱退した。
脱退の本当の理由については、私はこのブログのコメント欄で、とある読者の方とのやり取りで知ることとなる。
「本当の」というのは、吉田さんの脱退理由については、リーダーの財津さんは「わからない」と言っており、私はずっとそれを信じていたからである。私のようにリアルタイムでファンになったわけではない世代は、なぜかはわからないけど、突然やめるに至ったんだと言われてしまえば、そんなこともあるんだなぁ、くらいに思うものである。
しかし、一時期、コメント欄で熱心に音楽ファンの方とやり取りをしたことがあった。
その方とのやり取りをきっかけに、私は吉田さんと財津さんの間に確執があったことを知った。
その確執については、私の曖昧な記憶では、吉田さんのコーヒー店のホームページに記事があったような気がした。
それを読んで、衝撃を受けた・・・が、今ホームページにアクセスしてみても、そういった記事へのリンクはない。もしかしたら、他の何かだったのかも。
この度の訃報を受けて、ちょっと調べてみると、そういった話題の動画が沢山あがってきた。
どの動画も、なんだか嫌な見出しである。こんな嫌なサムネを作る人はTULIPファンではなかろうと思いつつも、1本2本ちらちらっと見てしまった。
こんな動画に再生数で加担してしまったことは悔しいし、内容も大したことはないものばかりだった。サムネのような煽りに見合った内容はなかった。それにしても、これらはおしなべて再生数が低い。
ただでさえ動画が嫌な感じなのに、こういうクソコメもしっかり書き込まれていたりする。
こんな古いバンドにも、まだアンチがいるんだな・・・と。
個人的にはアイコンがつげ義春なのに、紅白に出ているかどうかが評価基準になっている曖昧さである。「心の旅」を「心」、「サボテンの花」を「サボテン」と略しているところを見ると・・・もしかしてアンチを装ったファンか?
「期待したほどヒットしなかった」ともあるし。好きと嫌いは紙一重ともいうしね・・・。
そんなクソ動画、クソコメはいいんだけど、そういうわけで最近は吉田さんの歌を聴いている。
吉田さんと言えば・・・早くおいで、もう一杯のウヰスキー、居留守番電話、僕の鼻毛は長い?
私の頭の中に、真っ先に流れてきたのは、今日の表題にもした「言葉が出ない」。
「魔法の黄色い靴」のジャケットで、こちらにピースをしている吉田さんのイラストが切ない。
合掌。
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夜はめんたい重と分けっ子した一双のラーメン。
嗚呼、福岡の余韻・・・。
今日の診療も滞りなく。
昨日いなかった分、急患の方から連絡が来たり。
そんな中で明日のカンファレンスの打ち合わせをしたり。
磯兵衛さんからは「え、インプラントカンファ出るの?来月辞めるとは思えないね!」と言われた。確かに、まだまだアクティブな方が沢山いる。それどころかフェイスボウを片手に診査している方も沢山いたりして。
それでも、引継ぎは磯兵衛さんや後輩たちのお陰で円滑に進んできており、患者充足率(患者さんを診ている度合い)もかつては300%を超えていたが、今は110%程度に落ち着いてきている。それでも100は越えている。だから、ちょっとずつ患者さんは手元から離れていっている。
そんな中、ある後輩からは「先生からの引継ぎ、怖いです」と言われた。
磯兵衛さんからも「前医よりも良い処置が出来る伸び代があると引継いだ人と信頼関係を築きやすいんだけど、如月の後は伸び代なさそうだから緊張するんだよな」と言われた。
この8年間、おそらく100人以上の引継ぎ患者を診てきたが、正直伸び代しか感じたことがなかった。伸び代の連鎖の中で、私も成長したということか・・・。
夕方の医局会では、先週に引き続き、研修医たちの予演会。
今年は研修医が4人いるが、みんな発表が素晴らしく良い。
いずれもきちんと写真があって、どこに留意して処置をしたのかが視覚的によくわかり、ビフォーアフターの客観的な評価もなされていた。特に富岡・F・製糸工場の発表は、JPDA(日本有床義歯学会)の定例会に出しても良いような感じで、非常に心強かった。予演会後、彼にはJPDAの入会を勧めた。
私なんかT-condでバイトアップした、通称「ティーコンバイトアップ症例」でいまだにH先生からいじられるし・・・。
オトウト弟子のファンタジスタみちおに至っては、発表内容が義歯科にも関わらず義歯ですらなく、「歯を抜きましたが、その歯は画角に収まっていないので写真にはありません」と、終始患歯が登場しないまま終わった発表だってあった。
比較対象がやばすぎるが、それでもそれぞれが義歯をしっかりと作って、その評価までして。素晴らしいじゃないか。全員に私が聴講して感じた「調べて欲しいこと」をポイントにまとめて、こっそり送り付けた。
ところで、ある研修医の発表を聴いていて思ったんだけど・・・。
よくよく考えたら「入れ歯を作りたい」っておかしくない?
すごい細かいことかもしれないけど「入れ歯を作って欲しい」じゃないか?
たまに見かける「主訴 入れ歯を作りたい」。
私なんて、常に「入れ歯を作りたい」と思って生活しているんだし、良い「入れ歯を作りたい」から色んな勉強をしているわけで。「入れ歯を作りたい」なんて言われたら、おお!君も仲間か!なんて言って、入れ歯の聖典「総義歯臨床形態学」を手渡してしまうかも。それはもったいないからビギナーには医歯薬出版の「無歯顎補綴治療学」の方がいいかな。
いやいや、まずは九州歯科大学の募集要項を手渡すか。なぜなら国家資格がないと、入れ歯は作れないからだ。
えーっと、今が80歳だから、今から現役合格したとして・・・九州歯科大学なら登院実習で義歯製作できるから、留年しないでいけば85歳で入れ歯を作れるよ!研修医になるころには87歳。人によっては歯科界のレジェンドたちより年上のフレッシュマン爆誕の予感。それよりはまず、予備校の願書からですかね。代ゼミがいいと思います。
・・・と、いつも「入れ歯を作りたい」って言われたら、そこまで考える。我ながら、無駄な頭の使い方である。面倒くさい奴と思われるのは嫌だから、患者さんにはもちろん、こういうことはわざわざ言わないけど。
でも「入れ歯を作りたい」と言う人と「入れ歯を作って欲しい」って言う人では、何か違うだろうか。ちょっと意識して見てみるか。
それでは、ばいちゃ☆
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よもやまさんも私も有給休暇を取って、昼過ぎの飛行機でのんびり帰路に就く。
初九州にして初福岡のよもやまさんと話していると、色々と面白い。
まず、麻生グループの広告。
福岡空港の到着口のところにも大きな広告があるが、よもやまさんはこれを見て、麻生グループは大手うどんチェーンだと思っていたらしい。
あと、言われて初めて気が付いたのだが、天神駅では「右側通行」が推奨されていた。
「右側通行」と書かれた貼り紙の写真を撮っておけばよかったんだけど・・・無念。ブロガー失格。
調べたものの、あんまりみんな気づいていないっぽくて、画像無し。だから口頭で失礼。
確かに、よもやまさんの指摘の通り、天神の駅構内には「右側通行」と書かれた貼り紙がたくさん貼ってあった。しかも、他の駅でも階段の上り下りを指示する矢印が右側通行となっていたのである。
なぜ驚いているかと言うと、札幌では左側通行だからである。
右側通行、左側通行の歴史を調べてみると、意外と奥が深そうなので、時間があったら今度改めて掘り下げてみようかと思う。
ここでいう「時間があったら」は、飲み会に「行けたら行く」くらいのニュアンスでお願いします。
そういうわけで、色んな発見があった福岡遠征となった。
昨日から今日にかけて宿泊したのは「平和台ホテル」。福岡の老舗ビジホ・・・だが、言っちゃ悪いが安宿。その割に看板はでかい。
そんでもって私は「ピョンファデホテル」と呼んでいたけど、多分違う。
安さ重視で選んだが、味わいはあるものの、ちょっと味わいがすぎる感じ。老舗すぎる!よもやまさんがいたから心を保っていられたけど、ここに一人だったら、ちょっと泣いてたかも。
お金のことをあんまり気にせずにホテルを取れるくらいに稼ぎたい・・・。
でも、フロントの感じとかはすごくよかった!もしかすると今度の船越ペリオで来るときには、一回は利用してしまうかも。
朝ごはんは、私の希望で「牧のうどん」へ。福岡のやわやわなうどん、大好き。
平日ということもあって、そんなに並ばなかったけれども、大盛況。
お昼も兼ねていたので、がっつりいただきました。
よもやまさんは福岡のうどん、もとい「うろん」は初めて。
ド豚骨のラーメンというのは、札幌には無い無い言いながらも、探せば実はあるのだが、この福岡のうどんってのは、まじでないんじゃないかしら。
ゆっくりと空港でチェックインをすませて、滞りなく搭乗。
昨日、太宰府で梅ケ枝餅のファンになったよもやまさん。しかし「2日でカチカチになる」と言われ、お土産として持って帰ることはあきらめていた様子だった。それを昨晩、船越先生に話したところ「空港にあります」と。
そのお言葉通り、空港のお土産屋さんに梅ケ枝餅は確かにあった!しかもラスト1個!
ということで、急いで購入。船越先生、ありがとうございます・・・。
これをこのまま明日まで置いておくとカチカチになってしまうらしいが、今日中に冷凍させてしまえば1カ月は持つらしい。ありがたやありがたや・・・。
家に着いてから、お茶を入れて、冷凍する前に1個ずつ食べた。
梅ケ枝餅で福岡の余韻に浸る・・・。
お土産で色々買ってきたので、しばらくは余韻に浸れそう。
かくして楽しい福岡遠征となった!
ちなみに、千歳できちんとお財布を回収した。大変お騒がせいたしました。
皆さんも、千歳から福岡行きの際には、搭乗口には魔物が潜んでいるので・・・お気をつけて。
それでは、ばいちゃ☆
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昨日は別行動だったが、今日は一緒。
手始めに警固神社へお参り。驚くべきことにもう桜の花が!恐ろしや!
天神から西鉄電車で、よもやまさん待望の太宰府天満宮へ。
相変わらずのカルミン。
西鉄電車の車両が、カルミンの色彩であるということは、常々このブログで発信しているところである。が、なかなか共感してくれる人が現れずにいた。
カルミンそのものが製造中止になってしまった今となっては、賛同者の出現は絶望的かと思われた。
しかし、よもやまさんに「ほら、カルミンみたいでしょ」と言ったところ「本当だ」と。これまで西鉄電車を知る者はカルミンを知らず、カルミンを知る者は西鉄を知らず、その境界線をまたいでいるのは自分しかいないと思っていたのだが・・・ついに!
このよもやまさんの「本当だ」を聴くために、私は妻をこの福岡まで連れてきたかもしれない。
そして太宰府天満宮!
定遠館にも行った。この砲弾痕を顔ハメと言ったよもやまさんのセンスに脱帽である。
かなりたくさんの参拝客がいた。
おみくじも引いた。
色々と刺さるところもあり。「大転換の運気」という運勢の欄は、職場が変わる自分への神様からのメッセージのような気がした。
だが、それよりも・・・。
失物(財布)・・・遠くにあれど出る。確かに、今は千歳で保管されている。
旅行・・・吉、注意を怠るな。怠った結果、失物(財布)が・・・。神は見ている。道真公あざす。
太宰府は梅が綺麗だった。
梅ケ谷餅をきちんと食べたのは初めてかも。お抹茶と一緒にいただいた。
よもやまさんのリサーチによれば、お店によって触感が質感が違うのだという。てっきり、どこで買っても同じものかと思っていた。確かに、今回は2つのお店で食べ比べをしてみたが、ちょっと違う感じがした。
再び天神へ。
今夜は船越先生に「御馳走します」と言っていただいていた。今回の福岡遠征、大学同期の結婚式ということで旅程を組んだが、今となっては船越先生との会食がメインイベントとなっていた。
集合場所は船越歯科。一度、今晩泊まるホテルにチェックインしてから、手土産を持って船越歯科へ。今日がベーシックコースの1回目とのことだった。
研修室が開いていたので、のぞいてみると、船越先生がオイデオイデと手招きしてくださっていた。誘われるがままに入ると、船越歯科の勤務医のみなさんが待っていてくださった。「研修会が終わって、ちょうどいいから先生が来るまで、ちょっと飲もうということになった」とのこと。
そういうわけで、船越歯科の皆さまに妻を紹介することができた。
私にとっては驚愕のサプライズだったゼロ次会を経て、船越先生とタクシーに乗って、今夜の会場へ。
船越先生行きつけのお寿司屋さん!
出てくる料理はどれもものすごく美味しかった。
船越先生とじっくりお話することもでき、非常に得難い時間を過ごすことが出来た。
そのまま二次会へ。
正直、ペリオケースをひとつもない状態で、研修会・・・しかもベーシックを修了しただけの私が、こんなにもよくしていただいていいのだろうか?と嬉しい半分、恐縮半分。
その気持ちを伝えたところ「咬合補綴がわかっていることは非常に武器になる」「義歯を一生懸命やった君がペリオを頑張ろう!と思ってくれただけでも研修会をやっている意味があると思う」と有難いお言葉をいただいた。
今年の10月からはマスターコースを受講予定。それまでに、一生懸命ペリオに取り組んでいこうと、改めて思った。半年後には症例をお見せできるようにしておきたい。
船越先生、今日も本当にありがとうございました!おかげさまで、最高の夜になりました!
それでは、ばいちゃ☆
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夫婦で寝坊しかけて、出発からちょっと危ない橋を渡る。昨晩、やはり酒を飲んでいたらやばかった。
そんなこんなで無事に空港に到着。
今回、私は大学時代の親友のひとりD.C.の人の結婚式に参加するべく、福岡へ行くことになっていた。
北海道の翼が福岡まで伸びてくれるなんて、なんとも心強い。私が学生の頃なんか、JALとANAで合わせて3便しかなかったのだから、福岡も割と近くなったものである。
今回はせっかくなので、有給も取って連休にした。なぜなら、よもやまさんと一緒に観光することにしていたからだ。
よもやまさんは私と出会った頃から、ずっと九州に行って見たいと言っていた。それが今回、ついに思いが叶うのだ。
かつて九州で暮らしていた者として!薩摩隼人のクォーターとして!よもやまさんをしっかりとエスコートしなければ!と喜び勇んで飛行機に乗ったはいいものの、搭乗口で財布を落とした。
しかも、落としたことに自分では気付いておらず、福岡に着いたところで呼び出されて発覚した。財布そのものは千歳で保管されることとなった。福岡に着いた瞬間、一文無し。エスコートするどころか、いきなりよもやまさんからお金をお借りすることになった。すみません。
福岡に着いたということで、いきなり一幸舎!
このラーメンだって、本当は私がご馳走したかった。ごちそうさまです。
よもやまさんは本場での初めての豚骨ラーメンに感動していた。昔、妹が小倉に来た時に匂いだけで体調不良になってしまったことがあったので、そうならないかちょっと心配だったけれど、美味しいといってくれたので一安心。
福岡は気温十数度。マイナス10度の世界からやってきた我々にとっては、体感20度の落差。温かいというか、暑かった。
D.C.の人の結婚式場のホテルに荷物を置かせてもらい、近場のカフェで一息ついた。
どうだ、財布を落とした男には見えまい。
もう梅が咲いている。すごいな。
時間が近づいて来たので、私はホテルに。よもやまさんは、今日はひとりで福岡観光。私がエスコートするのは明日だ。
ということで、結婚式。
ゲスリング部大集合。
私の右隣が常務、その隣がラーシラさん、みっちー、そして有機野菜くん。有機野菜くんは本当に久しぶりだ。大学卒業以来ではないか?
D.C.の人がひとりひとりにメッセージカードを書いてくれていたのだが、書き損じをぐるぐるに塗りつぶしたままにしていたり、席次表の肩書がなぜか私たちゲスリング部のメンバーだけ「新郎大学友人」ではなく、それぞれの肩書になっていたり。
D.C.・・・と脱力しながらも、結婚式は終始楽しい雰囲気だった。同期の結婚というのは、とても良いものだ!これで同期のゲス部は皆が既婚者ということになった。光陰矢の如し、だ。
D.C.の人のお陰で懐かしい同期とも沢山会えた。そして、妻・よもやまさんと九州旅行するきっかけにもなった。
披露宴が終わり、いったんチェックイン。
今回は奮発して会場のホテルに泊まることにしていた。
よもやまさんが後から帰ってきても困らないように、ホテルのフロントにカギをひとつ預けておいた。
ちょっと一服してから、会場の近くで二次会。
なんだかこの感じ、大学時代の昼休みを思い出す。懐かしいな・・・。
次にこのメンバーで集まるのはいつになるだろうか。当たり前のように毎日つるんでいたのが、まさか思い出になるなんて、その当時は思いもしなかったよね。
D.C.の人は高校時代の友人たちの三次会へ。私は、ちょいと一人でラーメンフィニッシュ。よもやまさんから部屋に戻ったという連絡を受けて、豚骨の匂いを身にまとい帰着。
明日はよもやまさん待望の太宰府天満宮へ行く予定。
それでは、ばいちゃ☆
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私はひょんなことから第1期で受講することが出来た。
私はこのセミナーを通じて、知識や技術といったところはもちろんのこと、臨床観がガラッと変わった。そして、沢山の仲間を得ることが出来た。今思い出しても「受けてよかったなぁ」としみじみ思う。
今回は1期生の再受講も第1回と第4回だけ受け付けてくれるとのことで、本当は明日の第1回も再聴講したかったのだが所用につき能わず。今回、私は第4回のみ参加の予定だ。
一応、勝手にとはいえ中村先生のお名前を標榜しているチーム「しげる先生の会」の一員として、道外から参加される先生たちに札幌の天候を伝えたりしてサポート。
明日、大阪から来るSBRが「これ札幌ですか?」と驚いていた。札幌も札幌、ど真ん中の雪大。「何を着てったらいいんですか?」と聞かれたが、そこまではサポートできず。申し訳ない。
今日は、今回受講することになった知り合いの先生たちを、しげる先生の会メンバーで囲もう!ということになっていた。勝手に決起会をする予定にしていたのだ。
そこには私が本多正明先生の咬合補綴治療計画セミナーで仲良くなった先生で、岡山から遥々来るという方も参加予定になっていた。むしろその先生をせっかくだからおもてなししよう!というのが発端だった。しかし、その先生からはお昼過ぎに「飛行機が欠航となり今日中に行けなくなりました」と悲しいお知らせが。
この大雪、そういうことも大いにあり得ると思っていたが、本当にそうなってしまうとは。むしろ私たちとの飲み会はどうでもよいので、セミナーそのものに間に合うようにお祈りした(どうやら無事にセミナーには間に合ったとのこと、本当によかったです!)。
そして、夜!
決起会そのものは無事に開催された!返す返すも岡山からの飛行機が欠航になってしまったことは残念至極だったが・・・。
ジジさんは今日はいないので、名前だけでもと思ってjiji。常呂くんが選んでくれたお店(いつもありがとう)。読み方はjijiとかいて「ジージ」らしいが。
私たち「しげる先生の会」メンバーの1期での思い出話をもって、2期生らへの激励とす!・・・と、決起会といっても、普通に飲んだだけなんだけどね。
計算上、2期受講生の約5人に1人は当会からの紹介。だから、今日はその皆を呼べればよかったんだけど、そこまでの組織力はなく、申し訳ない!
ジジさんは明日は来るとのことで、私が明日行ければ、全員集合だったのだが・・・残念。
5月に参加するときまでに、中村茂人先生の本を読んで復習しておかなくては!そしてサインをもらわなくては!
明日、私は朝5時起きだったので、今日はノンアルコールで失礼した。
ジョー先輩と常呂くんからは「どうして飲まないの?」とあの手この手で飲まされそうになったが、乾杯のビール一杯だけでなんとか抑えることが出来た。
仲間からのお酒のススメを断るなんて、修羅大男児としては、本当に断腸の思いなのだが・・・。
明日の朝5時に起きて、そのまま福岡へ行き、大学同期の結婚式に出席するのだ。起きれなかったらヤバイ。ただでさえ朝が弱いのに、いつもより時間が早いし、そこにアルコールまで加わったら・・・。
私には飲みすぎの寝坊で飛行機に乗れなかったという前科がある。
このとき飲みすぎたのは、もちろん、まったくもって自分のせいだ。だが、そのときもジョー先輩や常呂くんがいて、楽しくなってしまったという経緯があるので、今日はかなり警戒していた。人のせいにするみたいでいやだけど、気の置けない仲間とのお酒なんて、絶対に楽しくなってしまうし、一度飲み始めてしまったら「ここまで」とキリの良いところでセーブできる自信はまったくない。絶対に飲んでしまう。自分のことは自分が一番知っているんだから!
ということで、2期生の皆さん、頑張ってください!
中村茂人先生!5月に会いに行きます!
それでは、ばいちゃ☆
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旭川から豊田カーに乗せてもらい、カズナリ先生と共にいざ出勤!
昨日は温かくなってきた?とか言っていたけど、朝から水気の多い雪がボロボロ降っていた。まだまだ冬だった。すみません。
診療は今日も滞りなく。
準備していた義歯修理の人はバチっとはまって良い感じ。あとは、前回から「もっと最初に患者さんと話す」ということをテーマにしていたので、それも達成することができたんじゃないかと思う。
ただ、おひとり、思ったように調整しきらなかった方がいて、それが午前中のことだったので、そういったわけで今日はずっと「どうすればよかったんだ」と色々考えていた。もっとスマートにいけたのではないか?そもそも・・・。反省は次に生かさなければいけない。その人、次回はどんな顔してやってくるかな。
お昼休みは久しぶりにムッシュサンダカン。もしかすると深川で唯一の洋食屋さん。
美味しいけど、シェフが一人で回しているので、タイミングが悪いと入れない。シェフは頑張りすぎて腰を痛めてしまい、さらに入店は厳しくなったが、今日は行けた!腰のつらさ、よくわかりますよ、うんうん。
シェフのおすすめピラフ。しょっぱくて美味しいんだよね。しょっぱすぎてサラダが一番おいしい。
ちなみにカズナリは昨日のラーメンのダメージが大きかったらしく、今日は一緒には来なかった。「誰だよ、ラーメン行こうって言ったやつは」と言っていた。
午後はキャンセルがあったりして、カズナリ先生のオペをじっくり見学することができた。
オペ後に色々と無邪気に質問してみたりして。すごく勉強になった。
終業後に三人でフィードバック。色々と教えてもらったり、教えたり。この時間、かなり良いんだよね。
舟山歯科、リニューアル工事中・・・。
リニューアルが完了した暁には、症例検討会もガッチリやるみたい。
私も是非参加したいので「水曜の夜にしてよ」とわがままを言ったところ暫定的に、その要望が通った。やったー!ということで、来年度からは水曜日の夜に直接、舟山歯科だな!
というか、もしかして毎日症例検討するつもりなのでは・・・。
成果と反省を胸に抱きながら。帰りも豊田君に駅まで送ってもらった。
乗る予定の特急が鹿とぶつかり止まっていた。舟山歯科に戻らなきゃダメか?と思った矢先に、運転再開。15分程度の遅延ですんだ。ドキドキさせやがって・・・。
そういうわけで、大変お疲れ様でした!
また再来週!
ばいちゃ☆
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なんだかちょっと温かくなった?雪が溶けて足元びしゃびしゃ。
今日は舟山歯科のドクターで飲むことにしていた。今日も、のへ先生がお店を決めてくれた。
のへ先生とは舟山歯科の忘年会以来。あけましておめでとうございます!まさかのペアルック。イェール大学同窓会。
「みんなで飲もう!」と言ったカズナリ先生は仕事の兼ね合いで1時間ほど来なかった。豊田君も。だから、しばらくのへ先生と差し飲み。
料理も先に出してもらって、つまみながら、積もる話もあったりなかったり。
しばらくして全員集合!
ちょうど、先日見たばかりの「ストレイト・アウタ・コンプトン」の話をしたかったから、今日はすごくちょうどよかった。
私が映画のことを色々話していて、カズナリ先生が「本当にちゃんと見てんじゃん」と嬉しそうにしていた。
映画の話とはいえ、話題はHIPHOP。
カズナリ先生と私がそういったことを楽しそうにしゃべっているのを見て、「はじめて意気投合している」と面白いものを見る目でこちらを見ていた。
そこから、改めて「沖縄決戦」のコマーシャルを挟み、自然とトークテーマは臨床観みたいなところへ。
カズナリ先生が「正反対を見ていると思ったら根っこは一緒だったって面白いよね」と言った。私もまったく同じことを感じていたので、思わず指をさして「そう!そう!」と。自分が感じていたことを相手も感じていたら、そりゃもう、すごく嬉しいよね。
楽しすぎて、二次会。梁山泊の本店、ここにも久しぶりに来た。
からの、締めのラーメン。
さすがにこの締めのラーメンはいらなかった。蛇足。でも、そういう無益なラーメンって、うまいんだよなぁ。
ラーメン屋の前で、のへ先生が「私、帰るわ」と。「こいつらマジで今からラーメン食うのかよ」って顔をしながら言っていた。もしかしたら思っていなかったかもしれないけれど、あれはもう確認するまでもなく、そう思っていた顔だ。
だが、のへ先生が4人の中で一番賢かった。なにせイェール大学だからね。
一方で、豊田君と私は中途半端にラーメンへの未練を断ち切れず「ハーフサイズにしましょ」と言っていたが、カズナリがそれを許さず。「ハーフ食べるくらいなら食べない方がいいっしょ」と言い切り、店員さんにむかった「フル3つで!」と注文した。
店員さんが「・・・フル?」と言っていたので、誰かがすかさず「醤油」と言って、ようやっと注文が通った。
がんばれよ!明日の俺!
のへ先生から「よもやまさんと」ということで、バレンタインデーのチョコをもらった。
すぐにLINEで妻にも教えてあげた。札幌帰ったら二人で食べよ。
それでは、ばいちゃ☆
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もしかしたら夢の中で常呂くんと飲んで泥酔していたのだが、そこで携帯を無くしてしまい「どこ?どこ?」とキョロキョロしていたので、寝ながら首をぐりんぐりん動かしてしまっていたのかもしれない。
そういうわけで色んな種類の湿布を試している。レビューが書けそうなくらいだ。書かないけど。
ちょっと背中の方は皮膚が根負けしてきているので、肌が荒れないうちに除痛がすんで欲しい。
痛みに耐えながら、昭和のロボットみたいな感じで診療。
その中で私のことを個人的に「師匠」と言ってくれる研修医・富岡製糸工場Ⓐが「ぜひ見たい」というので、フェイスボウトランスファーのアシストについてもらって、患者さんにも協力してもらって、色々と解説してみたり。
師匠だなんて、もちろんそんな大したものではないけれども、私がこれまた勝手に師匠と仰ぐ先生方から教わったことの受け売りで、先輩としての威厳を保つことが出来た。
あと、今日のようなロボット状態の私にとって、アシストは普通に助かった。
その合間に、深川で預かった義歯の修理もしてみたり。
そんなこんなで体調の割には忙しかった。まぁ、体調っつったって、手先と頭は元気いっぱいだからね。腰と首がやられているだけで。
医局会では研修医が症例発表をしていた。今日は富岡製糸工場Ⓐ。
8年前の自分もやったやった。
研修最後に症例発表会があって、その予演会を医局会でするのがウチの習わし。
当講座の上級医はいずれも補綴学会の指導医。
そんな先生方の前で後輩へ意見したり指導するのは非常に畏れ多いので、後で伝えてやろうと色々と思ったことはメモ。
ただ、あまりにも細々しいことを一気に言われてもわからないだろうと思い、自分の中で飲み下した。わからないとやる気もなくなるものだ。実際、自分は研修医の時そうだった。そういう意味では学びのきっかけになるようなクリティカルになりそうなものをひとつ、ぽいっと投げてやろうと思い、おすすめの記事を家に帰ってから送りつけておいた。
読んだかな?
妻よもやまさんからバレンタインデーのチョコをもらった!
私たちの心のブランドとなっているブルガリのチョコ!すごい!
喜びながらも、もうホワイトデーのことを考えだしてみたりして。
よもやまさんにもちょっと食べてもらって、夫婦で久しぶりに「made in Italyの優越感」に浸った。
指輪も良い感じに味わいが出てきたなぁ、と。チョコを食べながらお互いの指輪を眺めた。
よもやまさん、どうもありがとう!
それでは、ばいちゃ☆
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深川のカズナリ先生のお勧め。
以前、お互いのバックボーンを知っておこうという話になり、カズナリ先生から勧められた。
彼と私は誕生日が3日しか違わず、同い年で同業者。
それにも関わらず、得意分野、趣味趣向、もしかすると性格まで、何もかもが違っている。
しかし、違っていながらも、どこか通ずるものがあるような気もする。もしかすると私の思い過ごしかもしれない、でもそんな気がするのである。
あまり褒めるのも癪ではあるが、正直に言えば、彼と一緒にいると、刺激的だ。もっと頑張ろう、高めようと自然と啓発されてしまう。パワースポット的な効力があるような気すらしてくる。
そうなってくると、彼が大切にしているもの、彼を形作っているものはなんだ?と。どんどん彼そのものへの興味が湧いてくる。そこに来て、勧められたのがこの映画というわけだった。
テーマもまったく馴染みのないもので、なかなか見る踏ん切りがつかなかった。だが、今朝は不思議と「あ、あれ見るか」とすんなり見ることが出来た。よもやまさんと一緒に見た。
これがかなり面白かった。かっこよかったし、こんな文化があるんだと驚きすらした。
HIPHOPが生まれた歴史的必然性もわかった。やはり歴史を理解するとすんなり落ちる。
映画そのものの面白さももちろんあるが、彼が勧めてくれたというのが、また一層味わいを深めてくれた。彼と出会わなければ、この映画はまったく見ることなんてなかっただろうから、そういう意味でも感謝である。
一方で、私も彼に勧めた作品がある。
それは「激動の昭和史 沖縄決戦」である。
人生で一本だけ。自分のバックボーンとして挙げるとすれば、やはりこの作品だ。
ストレイト・アウタ・コンプトンを見たのもあって、彼に「これが俺のベースだ」と勧めてよかったか・・・それを確認するために、沖縄決戦も見た。
やはり最高の映画。この作品も、妻と一緒に見た。私はもう何回見たか数えていないが、よもやまさんは初めての視聴だった。ついに妻にこの映画を見せることに成功した。妻は隣でボロボロ涙を流していて「あまりにも重い」と感想をこぼしていた。私も泣いた。
しっかりと見たうえで、改めてカズナリ先生に勧めた。お互いに勧めた映画の感想を言いながら、お酒を飲みかわしたいものである。
相手を知ろうとすることで、むしろ自分が浮き彫りになっていく感じ。その違いを味わうもよし、共通点を見つけようとするのもよし。同じでも、違っていても、とても楽しい。人間って不思議。みつを。もしくはみすゞ。
今日はそんな休みだった。
皆さんも、ぜひ、どちらの映画も見てくださいね。どちらもU-NEXTにありますので。
それでは、ばいちゃ☆
]]>演者は船越先生ということで、ずっと楽しみにしていた。
昨晩はかなり雪が降ったようで、家を出て一歩目からこの有様。
すぐにあきらめて、両足ゆきだるま。
船越先生は講演の際は必ずアリナミンをお飲みになるということで、差し入れ用に購入。自分もちゃっかり飲んでおいた。
父と一緒に船越先生をホテルまでお迎えにあがった。
無事に先生を北大にお連れすることが出来た。
演題は「長期症例から学ぶ再生療法やインプラント治療の将来展望」ということで、数多くの長期症例を見ることができた。
ベーシックコースで拝聴した講義の復習にもなり、非常に勉強になった。
座長は父。去年もだったから2年連続。
まずは船越歯科の場所を航空写真から・・・。
あ、天神コア。懐かしい。
途中休憩を挟みながら、船越節炸裂でとても楽しく拝聴することができた。
妹と聴講。これは遠くから父が撮ったもの。私は全然気が付いていなかったが、どうやら妹は気づいていたようだ。
私も質問させていただくことができた。
お昼はお弁当が出た。妹と食べた。父は船越先生と演者控室で食べていたのかな?見当たらなかった。
最後に船越先生の著作を紹介する座長父。
北大同窓会から感謝状の贈呈。
私も記念写真を撮っていただいた。船越先生、今日も本当にありがとうございました!
来週、大学時代の親友の結婚式に出るべく福岡へ行くと伝えたところ「じゃあ一緒にご飯を食べよう!」と誘っていただいた。恐縮至極だが、なかなかない機会。非常に楽しみ!
来週も何卒よろしくお願いいたします!
父も座長お疲れ様でした!
それでは、ばいちゃ☆
]]>
今日はスタッフさんたちがいなかったが、妹も参戦。
家族だけでの診療日となった。妹、父、私。撮影は母。
妹と私。撮影は父。
父と私。撮影は妹。
メインでの治療はご覧の通り私。だが、一昨日からの腰痛を抱えていたので、ここぞというときは妹にお願いした。あと、妹は片付けなどのバックヤードのことも色々やってくれて、本当に助かった。
そして、今日の最後は一家総出で吸着義歯の概形印象。
JPDA若手育成の会で山崎先生から「印象採得の動画を用意しておかないと!」と言っていただいたので、妹にも協力してもらい、ついに動画撮影にチャレンジすることが出来た。
患者さんにも協力していただき、ファーストテイク。
何度もリハーサルをしてみて、カメラアングルも確認。
父にも練ってもらっていざ!
一応動画の確認もして・・・。
ちょっと兄弟子に見てもらおう・・・。
そういうわけで、今日はなんとか乗り切ることが出来た。
受付に母、ドクターの妹、院長父、長男坊ワイ。今日は4人でお送りしました!
みんなでお昼ご飯を食べる流れだったが、私は14時から整体の予約をしていたのでお暇することに。
ひとりで近くの縁やにいった。
なんとしばらく欠品となっていた味玉が復活していた!
それにしてもスタッフ不在で家族だけというのは、いままでありそうでなかったが・・・まぁ、それもなかなか味わい深くてよかったネ!
それでは、ばいちゃ☆
]]>
湿布の効果もむなしく、なかなか厳しいものがあり、通勤も診療も歩くさまはまるでマーチングバンド。
写真だとわかりにくいんだけど、ちょっとした交差点でこの高低差。
そんな山あり谷ありの険しい道を乗り越えて、たどり着きましたるはアテニヨル。
今日は高校時代の恩師(ひらてぃ)に妻を紹介するというイベントが控えていた。
そもそも数カ月前に、恩師に妻を紹介したいということで、日時を決めてセッティングしていたのだが、妻の体調不良で流れてしまったのだ。その後はなかなか先生もお忙しく、日程を合わせきれずにいた。
だが今回は、高校同期のはっしーが帰札するタイミングで声をかけてくれた。それがうまい具合にハマり、それをきっかけに、またそういった場を設けることが出来た。声をかけてくれたはっしーに感謝である。
というわけで、ついに妻を紹介することができた!
実は、タツヤンも参加予定だった。むしろこのお店を予約してくれていたのは彼だったが、突然の病欠。タツヤンはいないが、タツヤンの名前で入店するという展開に。タツヤンとはまた今度セッティングしたい。
馴れ初めを含めた近況報告。はっしーの話、ひらてぃの話。そして懐かしい高校時代の話など、話題は尽きなかった。
ひらてぃは「あの部長挨拶の長かった彼と飲んでくる」と奥様に言って出てきたとのこと。「伝説の部長挨拶のことは言っていないの?」と。はっしーも笑っていた。
私は別にあえて言っていなかったわけではないが、確かによもやまさんにその話はしたことがなかった。
私が合唱部の部長だったときに、挨拶で10分以上喋ったというだけの話なのだが、それが歴代最長記録らしい。いや、確か更新されたのかな?でも、いまだにトップ3には入るらしい。今でも部長挨拶といえばと茶化してしただく。
よもやまさんは「高校生のときから話が長かったの!?」と驚きながら笑ってくれた。
ひらてぃが「データもってるよ」と、私の部長挨拶の録音データを即座に共有してくれた。一応、よもやまさんにも共有しつつも、私も久しぶりに聴いてみることにしたが・・・あまりの恥ずかしさに半分くらいしか聞けなかった。
なにせ思ったよりだらだら喋っていたものでね・・・。
ひらてぃは、私がしゃべっているときに、よもやまさんが私に優しいまなざしを向けているのを見て「お似合いの夫婦」と思ってくれたらしい。本当に久しぶりにお会いできたこともよかったですし、妻を紹介できて本当によかったです!
楽しくてついつい飲みすぎてしまった。
はっしーからはバレンタインデーということでお土産までいただいてしまった。
我ら夫婦の大好物、Nenrinya!お気遣いくださいまして本当にありがとう!!
帰り際、ひらてぃに「部活のように仕事を頑張っています」と伝えた。私が今日、先生に一番伝えたかったことはそれだった。
北高合唱部での日々が、私に物事の頑張り方を教えてくれた。最近、本当にそれを痛感する。あの日、合唱に情熱を注いだように。今はその注ぎ口が仕事に向いている。
歯科医師としてのベースは九州歯科大学が涵養してくれたものだが、そのさらにコアの部分・・・例えば課題の見つけ方、そこへのアプローチ、さらには努力の方法・・・それは札幌北高であり、北高合唱部で培ったものだと思っている。
改めて、あの青春の日々を懐かしく思いつつ、それを支えて導いてくれた恩師ひらてぃに心の中で感謝した。
ひらてぃが「今度は退職祝いをしよう」と言ってくれたので、また来月セッティングしたい。
先生、今日もありがとうございした!はっしー、またね!
それでは、ばいちゃ☆
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ホテルスエヒロ、なかなか渋くて良いところだった。
これまで前入りは殆ど旭川だったけれども、滝川も悪くない。
滝川駅から鈍行で深川へ。特急だと一駅だけど、普通だと三駅。
途中、車窓から江部乙温泉が見えた。
なるほど、江部乙温泉に前入りなんてのもいいじゃないか!と勝手にホクホクしながら深川へ。
駅まで豊田君に迎えに来てもらった。
今日は前回までのあらゆるエラーを全て回収することが出来た。
どうするべか・・・と作戦を立てていたので、それがうまい具合にはまって良い感じだった。
あと、来年度から毎週来ることになるので、初めましての患者さんとはもっとしっかり「どんな入れ歯を作るか」ということを話し合うことにした。
これまでは月に1〜2回だったということもあって、とにかく急いで義歯を作ったり修理したりと落ち着かなかった。こんにちは、ハイ、マルモって感じで終わらせては、急いで次の人を呼び入れる感じ。物理的にも精神的にもかなり余裕がなかった。
カズナリ先生とちょっと今後の方針について話す機会があり、それを受けて、いかに自分が肩で息をしていたかを感じた。ふっと肩を落としてもっと大きな視点で見ると、自分にはまず最初の話し合い、患者さんへの情報提示が足りていなかったと気が付くことが出来た。
これは良いタイミングと思い、この1年を勝手に総括してみることにした。
実は舟山歯科における今年度の自分にはテーマがあった。
まず、深川市と舟山歯科における義歯に対するイメージアップ。
私自身がこの土地の患者さんたちに、まず感じてもらいたかったのは「入れ歯だから咬めない」のではなく「悪い入れ歯だから咬めない」のであって、「入れ歯でもこんなに咬めるんだ!」ということである。
深川の患者さんたちの雰囲気を見ながら、入れ歯のイメージをあげるために、かなり技工指示書にも目いっぱい書き込みを入れてきた。ラボは「とんでもないのがきた!」と思ったかもしれないが、おかげで技工物のクオリティも最初に比べれば格段に上がってきた。いつもありがとうございます。
しかし、患者さんたちが、その恩恵を感じてもらえているかはちょっと未知数。
「先生のお陰でこんなに咬めます、ありがとうございます!」となっているか「ラッキー!なんか知らんけどいい感じ!」程度か。ちょっと後者っぽくなっている気もする。粉骨砕身で頑張っていた身としては、それはちょっと悲しい。だがそれは私が前述したように患者さんに対する情報提示が足りていないからだと思うので、結局は自分のせいでもあるのだ。
せめて深川の入れ歯ユーザーたちの中で、「あそこには入れ歯の上手い歯医者がいる」と口コミで広がっていて欲しい。そう言って患者さんが来てくれたら、この1年で播いた種は無駄じゃなかったといえる。
さらにはカズナリ先生と連携して症例に取り組んだり、豊田君に義歯製作のハウツーなどを見せることで、ドクターサイドの義歯に対するイメージアップも狙っていた。
その中で一緒に仕事をしているラボの限界もわかってきた。
そして、自分自身が何をどこまでやれるのかという実力や精度、さらに言えば商品価値も確認することが出来たように思う。もしかするとカズナリ先生によって啓発されて自己肯定感が上がっているだけかもしれないけど!
ただ、その一方で、このままでは前医が製作した義歯の修正、ラボのエラーの修正、それに加えて時間と回数に制限をかけられたことで生じる自分自身のエラーの修正と、一言で「入れ歯の治療」と言っても、その実体は誰かの失敗のしりぬぐいや軌道修正に過ぎないのではないか?という虚しさも感じ始めていた。
ここで、この1年を通して私の心の中に掲げていたテーマはある一定の結果を得たと判断して、「誰かの失敗の修正」ではなくて、きちんとした「治療」をするための環境整備。とにもかくにも患者さんの理解を得るためにはどうしたらよいかを考えるタームに突入したと思う。
そんな感じの話を豊田君と昼食を食べながらした。
でも、豊田君コンディション悪めだった。ごめんね。
菊寿司さんのランチメニュー、天丼!大変おいしゅうございました!
ちなみに、豊田君だけじゃなくて、「自分の商品価値」とか語っておいて私もバッドコンディション。
頭は元気なんだけど、実は今朝から激烈に腰が痛かった。ずっとカズナリ先生やスタッフのみんなにも「湿布ない?湿布ない?」と、悪い子を探すなまはげのように呼び掛けていた。
結局、舟山歯科には湿布はなかったので、お昼休みに豊田君にツルハまで連れて行ってもらい、湿布を購入。医局で豊田君に貼ってもらって、午後の診療もなんとか乗り切った。
豊田君に貼ってもらった記念に湿布だらけの背中の写真を撮ろうか迷ったけど、おじさんの汚い背中の需要なんてないと気が付いて、やめておいた。そりゃ私が岡田紗佳だったら、湿布貼った背中をインスタにあげたら大バズりだろうけど。おじさんの湿布背中なんて、炎上すらしないよ。静かに垢BANだよ。
ということで、今日も無事に終了。
修理をするために預かった患者さんたちの入れ歯を抱えて札幌への帰路に就く。入れ歯特急咬ムイ。雪にも負けず定刻通りの運航状況です。
深川市民諸君!また来週!
それでは、ばいちゃ☆
]]>切符は深川行きになっているが、今日の目的地はそこではない。
今日は・・・1年ぶりに富良野へ行くのだ。
医局の方針で富良野出張がなくなり、私が富良野に行かなくなって早1年。
【関連記事】富良野でやっておきたかった10のこと、8〜10!
ドラム歯科のスタッフさんたちとは、辞めてからもやり取りは続いていた。飲みましょうね!とは折に触れて言ってもらっていたけれど、ついに本当に飲み会に誘ってもらった。
久しぶりに会える!みんなと飲める!でも、飲むのは初めて!久しぶりだし初めてだし、なんだか緊張!
そんな気持ちを抱えて滝川から、快速狩勝に乗って富良野を目指す。
この感じ、かなり久しぶり。毎週行ってたなんて、よく頑張ったよ自分。
コロナ禍も収束した思わせる多数の観光客。
気づいたら囲まれていた。彼らは場を支配して展開する。
そうこうしているうちに到着。久しぶり。愛される富良野。それをまた愛する私。
ドラム歯科を横目に飲み屋へ急ぐ。
飲み会は近くの居酒屋でやっているとのこと。札幌からだったので、さすがに開始時間には間に合わず、ちょっと遅れての参加に。
皆さま、お久しぶりです!
みんな「本当にきた!うける!」と温かく迎え入れてくれた。
「結婚した?痩せた?パーマかけた?色気づいた?!」
長いようで短い、短いようで長かった1年。積もる話もあったりなかったり。皆さんの近況を聴いたりしながら、楽しくも懐かしい時間を過ごすことが出来た。
2年間の富良野出張、姉さんをはじめスタッフの皆さんには本当に色々と良くしていただいて、助けてもらった。皆さんからやめるときにもらった寄せ書き、今もデスクの上に大切においてありますよ。改めまして、本当にありがとうございました!
皆さんと出会えたこと、そしてそのときの縁が、切れずに今もこうして残っていることに、本当に感謝です。
まだまだ居たかったけど、終電が近いので中座。私が帰る前に記念写真。
皆さん、また誘ってくださいね!!マジで!
本当は富良野に泊まりたかったけれど、観光シーズンのせいかホテル代馬鹿高かったから仕方がないね。
今日は滝川で一泊の予定にしていたので、また根室本線に乗ることに。22時27分の滝川行き。
富良野よ、さらば!また会う日まで!断腸の思いで帰路につきます!
ということで、滝川はホテルスエヒロ。駅から徒歩10分ちょい。
素泊まり5000円程度。滝川泊も悪くないじゃないか・・・と思いながら就寝。
最高に楽しい日となった。また頑張ろう!
それえは、ばいちゃ☆
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手前がH先生(鬼)、右が磯兵衛さん(鬼)、奥が鬼なる私だ。医局会と医療安全講習会の合間の時間で!
当研究班で最も重要視される季節の行事。今年もH先生の呼びかけで実施された。
大学院生のブンカダイと、馬と入れ替わりでやってきた中国人留学生も呼んで、5人で。
ちなみに、馬からは時々、本当に時々だが近況報告が来る。
彼は中国で臨床家として頑張っているみたいだが、着実に日本語は下手になっていっているようだ。
しかし、今度の教授の退官パーティーには来日するらしい。研究班一同、久しぶりに会えるのを心待ちにしているのだった。
馬の近況はさておいて・・・H先生が中国人留学生に日本の豆撒きを英語で説明していた。
留学生はいまいちピンと来ていないようだ。
そんな我々なんて意に介さない師匠。
乱馬「・・・・・・・・・・・・。」
H先生が「鬼」とホワイトボードに書いた。留学生はまだピンと来ていない様子。鬼という字を見て首をかしげる留学生。
「あれ?中国に鬼って漢字ないのかなぁ?」とH先生。留学生は困った顔で「字はありますが・・・これは中国語で何と読む?」と。逆に質問されてしまった。
私の脳内には中国映画の「鬼が来た!」が浮かんだ。
浮かんだけれども、留学生の前では言えない。ちなみに中国映画だけれども主演は香川照之。
私はちょっと得意げに「発音は『クイ』だったはず!」と言った。
ほら、留学生の手前、大きな声では言えないけれど「小日本鬼子(シャオリーベンクイツ)」って言うじゃない。こんな時に戦争の知識が役に立つなんて。
「クイ」と言うと、留学生が「ちげーよ」みたいな顔をしていた。
そんな中で磯兵衛さんもネットで調べていて「本当にクイだ!」とネットの画面を見せてくれた。そこには「Qui」とあったので、「クイ」であって「クイ」ではないのだろう。中国語の発音は難しい。
なんだかんだで、留学生にも趣旨を理解してもらって、豆撒きを完遂した。
そのまま安全講習へ。
リスクマネージャーの先生が「見ごたえのある動画」と言っていたが、本当にそうだった。
何やら聞くところによると、新潟大学が制作したビデオらしい。すごい。
全部みたかったけれども講習ではcase2の「血管迷走神経反射」とcase4のアナフィラキシーだけ上映された。
ビデオの合間合間に「世にも奇妙な…」のタモリみたいな雰囲気で解説してくれる謎のストーリーテラー。「誰だ誰だ」と言いながら、「新潟大学 教授」で調べたら、ずらっと教授陣の写真が。その中にストーリーテラーもいた。大変失礼いたしました。おそらくcase1から見れば、テロップが出てきたのかもしれない。圧倒的世にも奇妙なタモリ感でした。
その後、ちょっと技工をして帰宅。
残業をしたよもやまさんと、たまたま家路が一緒になり、近所のガストで夕飯。
こんな近所でやまやのもつ鍋が食べられるなんて。ありがたいこってす・・・。
みなさんは豆撒きしましたか?
今宵、鬼が行くのは・・・あなたの家かもしれません。
大学は辞めるけど、客員歯科医師としては残ろうかと思っているので、来年も豆撒きだけ来ようかな。
それでは、ばいちゃ☆
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今はすっかり離れてしまっているが、中学から大学と、青春時代を合唱と共に過ごしてきたわけで。
そりゃ時々懐かしくなるわよね。写真は大学1年か2年のときの合唱をしている私。
社会人になってからも、学生時代は部活は何していたの?と聞かれることがある。
スナックとかで好きな歌を目いっぱい歌い上げて、その後に「合唱部だったんだ!」となるのが最も気持ちの良いパターンである。
そのほかにも卓球部、放送部、弓道部と、常に合唱部と何かを掛け持ちしていた私は、シチュエーションによって答えを変えることもあるが、大体「合唱部」と答えることが多い。
「合唱部」と答えると他の部活を答えるときよりもリアクションが良いことが多い。リアクションが良いというのは、誰もが何かしらの思い出エピソードを持っていて、それを教えてくれたりするのだ。
それくらい合唱というものが、割とみんなにとって馴染のあるジャンルなのだということで、元合唱愛好家としては嬉しい限りだ。
そんな中で割と困る切り返しも多い。
しかし、面とむかって困るとも言えないし、かといって共感する人も少なそう・・・でも、私の心のうちは知って欲しい。それにあるあると共感してくれる人はこっそり教えて欲しい。そんなときはここ。場末ブログはこういうときのためにある。
困ったこと、その1。
「合唱部だったんだ!歌うまいね!千の風になって、歌ってよ!」
このリクエストが一番困る。
歌いたくないって言っているのに、人によっては勝手にデンモクに入れたりしているので、本当に困る。そもそも私がこの曲を好きじゃないというのもあるんだけど、それ以上に音域が違う。
僕、ローベースなので・・・。
この図で言うと、バスの中の低い方。一番左。ソロの時に時々バリトン。
「千の風になって」の秋川さん、テノールだから。
「うまいね!じゃあ、布施明うたってよ!」
「尾崎紀世彦うたってよ」
みーーーーんなトップテノールだから!
尾崎紀世彦は低いっぽい声質と顔つきなだけで、めちゃくちゃ高いから。実は私が尾崎紀世彦うたっているとき、みんなの見えないところで、めっちゃキー下げてるんだから。声量でごまかしてるんだから。
「布施明でないの?じゃあチャゲアスならいけるでしょ」
なんでやねん。もっとだめだろ。
ギリ、加山雄三だから。
その2。学生時代の校内の合唱コンクールの話をすごいされる。
なんか嫌なんだよね。でも、みんなそれぞれに思い出があるから、無碍にもできないし。なんで嫌なんだろう。
もしかして「ねぇ男子!ちゃんと歌ってよ!」と言う真面目な合唱部員サイドだったからかな。実際に中1のときには言ったことあるしね。大抵、そういうところでの合唱部って悪者だったりするんだよな。
さらに校内の合唱コンクールの話と、部活としてのコンクールの話って全然違うジャンルだと思っていて、さらに校内の話も学校によって違うから、その人の「校内でやった合唱」のイメージでそのまま合唱の話をすごい降られると、時々まったく的外れなことがある。
なんだろう、例えば甲子園出場経験のある人に、クラス対抗スポーツ大会でやった野球の話ってしないでしょ。思い出を否定するつもりもないから、その話題は「あるある!」とはしゃげる人同士でするのをお勧めします!
ちなみに、そういうのがテーマのショート動画とかも苦手。
わがまま言うと、Nコンの課題曲とかで盛り上がりたいんです・・・。
その3。JPOPの合唱編曲の話をされる。
「めっちゃ合唱やっていた!」と話を膨らませてくれるのは本当にありがたいんだけど・・・。
でてくる曲でてくる曲、みんなJPOPだったりすると、非常に反応に困る。
「それJPOPの合唱編曲でしょ?そういうのって、正直合唱じゃないよ」なんて言えない。言った瞬間やなやつ確定。そういう曲って、これまた校内の合唱コンクールでやってたりするから、その人にとっては思い出の曲だったりするんだよね。
思い出を否定するのは本意ではないから、切り返しに困る。
でも、JPOPの合唱編曲は、もう慰問演奏って認識なんだよね。慰問演奏では熱く語れない。私は誰もわからない眠くなるような合唱曲が好き。「海道東征」の話とかしたい。しないけど。
その4。何を歌っていたの?と聞かれる。
話を振ってつなげてくれようとするのは本当にありがたい。
だからこそ「絶対に知らないし、聞いてもわからないよ」と話をそらそうとするんだけど、聞いてくる人って折れないことが多い。
だから「三善晃の嫁ぐ娘に」とか「信長貴富の厄払いの唄」とか仕方なく正直に答えるけど、絶対変な空気になる。ほらみたことか。
この質問に正直に答えて「おー!」と盛り上がったことがあるのは、全国有数の合唱強豪校・岡崎高校出身の先輩から聞かれて答えたときだけ。
大体、この質問からのJPOP連打の展開に入ると、もう帰りたい。
会話の発端は僕の「合唱部でした」というコメントからなんだけど、トークテーマが合唱であるにも関わらず、元合唱部員が自由にしゃべれないという不思議な構図になるのだ。
昔、とある居酒屋のカウンターで一人飲んでいたとき、大将から話かけられて合唱の話になったことがある。
確か、演奏会の後、打ち上げのゼロ次会を一人でしていて、スーツケースを持っていたから「それなんですか?」から始まって、その話題になったのだ。
大将も「学校の合唱コンクール頑張ってましたよ」と。あ、もしかして困る流れでは?と警戒しつつ、逆にいつもされて困る質問をこっちからしてやれと思い、「大将はどんな歌うたってたんですか?」と聞いてみた。どうせJPOPの合唱編曲を言われるんだろうな・・・と思っていたら。
「空駆ける天馬」と「チコタン」。
ここはいい店だと思って、今でもちょくちょく使わせてもらってます。
結局、私のコミュニケーション能力の問題だとも思うんだけど。
合唱部のときに「がんばってね」を「顔晴ってね」って変換するのが流行っていて、それもすごい嫌だったから、単なるひねくれものなだけかも。
ひねくれものの独り言ということで。
ばいちゃ☆
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今月末にあるゼミにむけて、参加者のみんなとグループLINEで質疑応答とディスカッション。結局、休みの日も入れ歯のことばかり考えている。
来月、JPDA若手育成の会で咬合調整をテーマにショートプレゼンをするので、それに向けてちょっとお勉強と思って村岡秀明先生の本も読んでみたり。
村岡先生・・・。
昼過ぎから街へ出た。自動車免許の更新を終えたよもやまさんと合流。
ちょっとスーツを試着してみたり脱いでみたり。
そんでもって、久しぶりに「浜っ子」へ行ってみることにした。
ネットから予約をして、時間通りに入店。「予約していた如月ですが」と言うと「あれ?多分別のお店じゃないですか?」と言われてしまった。
そんなはずは・・・とネット予約時に来たメールを確認してみると。
く、釧路!
市内の別店舗ならまだしも・・・なんと私は釧路の同じ名前のお店に予約を入れていたようだ。
「あ・・・釧路だ・・・」とつぶやくと、それを聞いた店員さんは「あらー、遠いですね、そちらの方へ行ってらっしゃい」と言った。こんなに真正面からきちんといじわるを言われたのは久しぶりのことである。
ただ、「予約なしで入れませんか?」と聞いてみると「確認してみますね」ともったいぶった感じで言われたが、すぐに席に通された。そりゃそうさ、席がらがらだったもの。いつもは混んでいるんだけどね。
感じの悪い店員からは「ちゃんと釧路の方にはキャンセルの電話してあげてくださいよ?」と言われた。言われんでもするわ・・・とは言わなかったけれども、一旦店の外に出て電話。
「あのー・・・」と事情を説明。釧路の方の店員さんも「あー・・・」と何とも言えない声を出していた。すみません。
ということで、札幌の浜っ子。あの店員だけが底抜けに感じが悪いだけで、飯はうまいし、他のスタッフは別に普通だから・・・そこは我慢。
その感じの悪さを我慢しても食べたくなる魅力が、このかき田楽にはあるよね。おいしい。
ここで海の幸を堪能し、まだ時間が早かったので、締めパフェすることに。
部屋にこもって一人静かに休日を終えることにならなくてよかった!
パフェを食べながら、よもやまさんから免許更新の講習の話を聴いたりした。
よもやまさんは今回、初回講習。やはり悲しいドラマを見せられたのだという。私の初回講習のときはどうだっただろうか。ブログに書いてあるはず・・・と調べてみるも見つからなかった。免許を取った時のことや、2回目の更新のときの記事は出てくるんだけど。
とりあえず、無事に免許更新おめでとう!
ということで明日からまたお仕事がんばろう!
それでは、ばいちゃ☆
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実家の和室で祖父母の遺影に見守られながら就寝。
愛犬くろの重みで起床。
絶対にどかない。かわいい。あったかい。でもこいつのせいか、腰が痛い。
そして、おふくろの味。温かい味噌汁が体にしみる。
ということで、いつもよりちょっと早めに出勤。
アシスタントモード!スタンバイ、オッケー!
実家の歯科医院は、なんとなく義歯のイメージが強いかもしれないが、インプラントケースも数は少ないがあるはある。
父はITI Study Clubの古くからのメンバーだし、私も実はISC北海道アカデミーの一員だったりする。
今日のスクラブだって、ちゃんとITIのにしてきたんだよね!
さて、今日の患者さんは、父がプランニングした方。ストローマンのプランニングアカデミーなどでの症例検討を経てのケース。事前に父から色々と聞かせてもらっていた。執刀はお招きした外科ドクター。第一介助が私。父は第二介助。
ポイントポイントで写真も撮らせてもらい、記録も取ることが出来た。
いままでも何度かアシストには着いたことがあったが、今回は今まで以上に「もし自分がやるとしたら」という目線で見ることが出来たように思う。
来年度から、実家でペリオ・インプラントケースに取り組んでいきたいと思っているので、すぐには無理でも、いずれはこの規模のオペを私自身で執り行えるように研鑽を積みたい。
オペの後は家族で昼食。
こんな勉強できる環境を準備してくれる父に改めて感謝。
春から実家に勤務するというのが、だんだん現実味を帯びてきたね。
今日は午後からは特に予定がなかったので、家に帰ってお勉強。
実家に置いてあった本を何冊か持ってきた。ゼミや食卓、さらにはJPDA若手育成の会での発表があるので、それらに向けて。でも、やっぱり我ながらあきれるほどの遅読家。読書は苦手・・・。
あまりの寒さに、今日も結局ウーバーイーツで、好きなスープカレーを注文。
そんな感じで、もうすっかり引きこもり。
腰に湿布貼って寝ます。
それでは、ばいちゃ☆
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明日、実家・如月歯科でインプラントオペがあり、私はそのアシスタントをするということで、前入り。実家に前入りってなんか不思議。
せっかくの新札幌なので、後輩の良寛くんとご飯に行った。
良寛くん、久しぶり!
良寛くんは、この間の新札幌飲み以来。
DSJを一緒に受けたり、坂本塾に参加していたときはよく会っていたけど、最近はめっきり。「愛のある歯科治療を目指す会」は一緒だけど、あれはWeb越しだから会ってる感じはないしね。
近況報告をしつつ・・・うん、話題は色々あったけれども、どれも近況報告だったな。
今日は明日と健康のことを考えてノンアルでいかせてもらってます。
歯科医師としては先輩だけど、ライフステージの上り具合で言えば良寛くんの方が先輩なので、色々と聞かせてもらって、すごく刺激をもらった。
ノンアル、ソフトドリンクだったけどはしごして、結構じっくりおしゃべりすることができた。新札幌の高架下で後輩と語り合う日が来るなんて、なんだか不思議。
喋りながら、それぞれの家路に就いた。
私は私で、新札幌界隈の昔の話などをしながら。
いつも実家に帰るときに使っている団地の中の道が除雪で行けなかった。
大学院生のとき、大雪のなかその道を歩いていたら大きな除雪機と正面から鉢合わせて「死んだ」と思ったことがあったから、この季節のその道はかなり警戒している。
色んな種類の除雪車。怖いけど、カッコいいよね。
通っていた幼稚園の前。先輩のお子さんも通っているし、後輩のお子さんも通うことになるらしい。皆、俺の後輩になる。よろしくな!新約聖書買った?俺、劇では天使の役で、ベツレヘムの星を指し示したんだぜ!
誰かから幼稚園の出身で先輩風を吹かせる奴を初めて見たと言われた。そうなの?
徒歩数十分。
実家に到着。
実家でてから1年ちょっとしか経っていないけど、もうずいぶんと帰っていないような気分になった。家の雰囲気もちょっと変わって、妙に広く感じたのは、同居していた祖父母が亡くなったからだろうか。
祖父が亡くなってから、そろそろ丸一年。まだ一年経ってないのか、不思議。
明日は朝早くからオペなので、早く寝なきゃ。
それでは、ばいちゃ☆
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朝、家出た瞬間にびっくりしちゃったんだけど・・・寒くね?
今日は氷点下7度。いや、マジで寒い。でも、これが例年並みなんだって。そっかぁ・・・。
早起きは三文の徳ということで、一本早い電車に乗ることが出来た。しかもそれは普通電車なのに快速車両。無料で指定席に座ることが出来た。ラッキー。
石狩湾を眺めながら。景色は綺麗だけど窓が汚い。
小樽駅に到着。
太陽は出ているけど雪も降っているという不思議な天気。とにかく寒い。
病院の最寄りまでバス移動。バス停の向かいにあるアイス屋。さすがにやっていない。
今日は珍しく、高速バスの車両が来た。
ラッキー!と思っていたら、持ってきた白衣のズボンの腰ひもが中に入り込んでしまって取り出せなくなってしまった。アンラッキー。
診療も滞りなく。多分。叱られるのは、いつも忘れた頃だから、まだわかんない。
わかっているのは目の前の雪の凄さ。これ、病院の中庭だよ。
雪で中庭埋まっちゃいそう。
冬の寒い日にこそフキが美味しい気がする。今日もおいしゅうございました。
とにかく雪が心配だった。
来るときにそれなりに降っていたが、帰るときには日も差していたので、ちょっと安心。なんだ、吹雪くと報じられていたけれども、そんなことはなさそう・・・と思っていたら、バスを待っているうちにみるみる降り始めた。束の間の安心は完全に油断となった。
寒空の下、バスを待っていたら、老婆がバス停の時刻表を見る感じの自然な流れで堂々の横入り。堂々と横入りする高齢者はヤバそうだし、足場も悪いので転ばれても困る・・・と思い、とりあえず眉間にしわを寄せた。
横入り老婆に続いてバスに乗るとき、滑って膝をついた。アンラッキー。
駅に着くと、電車は雪のせいで遅延とのこと。
全身を震わせながらホームで待っていると、4人組の韓国人の家族が列じゃない方に並びだした。さらに家族写真をパシャパシャ。私も5人目みたいな構図で映り込んでしまったので、とりあえずしっかりとカメラ目線にしておいた。
「おいおい、列はそっちじゃねぇぞ」と思っていたら、どんどん私の後ろにも人が来て列が伸びてしまったので、言うに言えず。とりあえず私が横入りされなければいい・・・と思って、韓国人らに向けて警戒を強めた。
電車が駅に入ってきた。韓国人らは列には並んではいなかったが、順番は守るといった風情で、横入りする素振りはなかった。
それよりも、後ろにいた関西人!
「急げ急げ!」とキャリーバッグを盾にして、どかどかと真後ろからの横入り。私の意識は横の韓国人らに向けられていたこともあり、加えてその猛烈な勢いに気圧されてしまい、あっけなく横入りを許してしまった。許さんぞ。
なんで関西人とわかっているかというと「ほんま寒いなー!」と言っていたからだ。むしろ疑ってすまんかった、韓国人ファミリーよ。私はメロスを疑ってしまったセリヌンティウスだ。さあ、殴れ!右頬を殴られたら左を差しだそうぞ!
とにかく満席で、外国人観光客も多い。海外の電車みたい。
家に帰ると、ガク―っと疲れが出てしまった。小樽ってなんか、帰ってくるとすごい疲れている。
お義母さんにもらったガリをつまみに。
あとはこれ食べて、元気を出そう!
それでは、ばいちゃ☆
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色々とディスカッションしながら楽しくアシストすることが出来た。
磯兵衛さんがお礼にと昼ご飯をご馳走してくれた。御馳走様でした!
午後の診療も大成功。
私がベストパフォーマンスなのはもちろんのことなのだが、他講座との連携が必要な大学らしい治療の予定があり、その調整に奔走していた。
夜は札幌駅のあたりで、よもやまさんと合流して夜ご飯。
ちょっとビールも飲んじゃったりして、すっかり花金気分だ。水曜日だけど。
まぁ、そんなこと言わずに、今日が金曜日ってことで、どうかよろしく頼みますよ。
帰路についたところで、携帯にニュースの通知が。
男・山根、逝ったか・・・。
正直、山根さんが何でどう有名になってテレビに出てきたのかはよく知らない。
昔、お正月のお笑い番組に山根さんがちょこちょこ登場していて、共演者たちがかなり扱いずらそうにしていたのが印象的だった。
そして何より、大学院1年生のときに診ていた患者さんに、もうクリソツなのである。
しかも、ただ患者さんに似ているってだけじゃなくて、底抜けに私を怒鳴りつけたジジイに。
公私ともにこれまで様々なジジイに怒鳴られてきたが、この方もかなり印象に残っていて、今でも色々と思い返すことが多い。
今の自分が対応していたらどうなっていただろうか。作ったばかりの義歯をやすりで滅多打ちにされることも、蝋義歯を吐きつけられることもなかったかもしれない。ましてやバチクソに怒鳴られることも・・・。いや、どうかな。
勝手に「山根」というあだ名をつけて心の中で呼んでいたのだが。
私の心の中で思い描いている「山根」はまだ健在だろうか。もちろん怒鳴られてからは私の手を離れてしまったので知る由もないのだが。
山根らのご冥福をお祈り申し上げます。
それでは、ばいちゃ☆
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外来へ向かう通路で、ベテラン上級医のハムウ女史と鉢合わせた。
「あ、如月君さ〜」と呼びかけられ、ちょっとビクッ!としてしまった。また出張先の診療のことで怒られるのか?!と構えてしまったが「引継ぎ大変でしょ?」という労いのお言葉だった。
「ご実家へどんどん連れていっちゃってください!」
正直、「え、いいの?」という心境だったが、これで太鼓判を頂いた。
これでまで患者さんに実家を紹介するのがちょっと後ろめたかったけれども、それがなくなるのは精神的には楽。
心情的には、せっかく自分が手掛けたのだから、私と出会った全員を最後まで見届けたいというのが本音。
実家・如月歯科のセールスという気持ちは全くなく、引き続き担当させてください!という気持ちなのだが、マッチしたり、アンマッチだったり。
さっき計算してみたのだが、実際に「新札幌まで行くよ!」と言ってくれた方は10人あたり1.3人ほど。これが多いのか少ないのかはわからないけれども、嬉しい限りだ。
その一方で、雪大病院に残留される方、もしくは他の近医へ行くという方や紹介元へ戻る方もいる。実家に来ないから知らんよということは勿論ない。一人ひとりに出来る限りのことはしているつもりだ。そういうわけで診療の合間には色んな方面に手紙を書いたり、メールをしたりしている。最近はそんな毎日だ。
引継ぎ取りこぼしゼロを目指して!1年以上連絡もなしに来ていない人はその限りではないが。
医局に医局会の日程が貼りだされた。
ついに私の最終症例検討会の日程が決まった。
年度最後の医局会。
医局長からは「3/26で大丈夫だった?」と後から確認で聞かれた。ちょっと終わり際すぎやしねぇか?と思わなくもなかったが、別にこれと言って駄目な理由もないので「大丈夫です」と答えた。
「このとき、おそらく楯が贈られると思う」と医局長。え!贈られないこともあるんですか?と聞くと、納品の都合でということらしい。よかった「お前に楯を授与する価値はない」という意味だったらショックだったので。
喋りついでに「あれ、今年度いっぱいでやめる、みちお君の最終症例検討会はないんですか?」と聞いてみた。
みちおは度々このブログでも取り上げているファンタジスタみちお。
ファンタジスタみちお
医局長は苦虫を噛み潰したような顔で「彼は先月の医局会で症例検討をしたばかりだから、厳しいんじゃないかな・・・」と。どうやら医局長の裁量で免除されたらしい。
そんなことあるのか・・・と思ったけれども、よくよく思い返してみれば、しれっとやらずに退局していった人もちらほらいたっけ。
正直、俺のも免除してくれー!という心境だが、せっかくの機会なので、しっかり準備して臨みたいと思う。感謝の最終症例発表。感謝しかないですよ。。。
冗談はさておいて、最終症例は何を出そうかな・・・と、今からちょっと緊張する。
なんだかんだで残り2か月。頑張ります!
それでは、ばいちゃ☆
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というのも、これには色々な思いがあった。
7年前。私が大学院1年生のとき、たまたま複数の上級医が退職するタイミングで、突然70人くらいの患者が配当された。正確に数えたわけではないけれども、それくらいはいたかと思う。
今思い返しても、かなり大変だった。
その頃からの患者さんも何人もいて、今でこそ馴染の患者さんとなって、「先生上手ダネ」だなんて信頼してくれているが、少なからずの患者さんが離れて行ったことも事実だ。これはひとえに私の実力の無さだったと反省している。
あのときこうしていれば・・・ああしていれば・・・後悔は今でも尽きない。
その頃の私は常々こう思っていた。
「誰か”正解”を教えてくれ!」と。
ということで、「私が”正解”だ」と言い切るつもりはないけれども、後輩たちにとっては出来るだけそういう存在でありたいという気持ちからゼミを提案した。
また、この度の退職で後輩たちにも多くの患者さんをお願いする。
それぞれの患者さんにどういった経緯があり、どういったコンセプトで義歯を作ってきたのか。そういった引継ぎ事項を丁寧に伝える機会が欲しかったという思いもあった。
ただ、私のような末端医局員が出しゃばって、後輩たちを捕まえてゼミをするだなんて・・・医局の上の先生たちに知れてしまったら、何か言われそう・・・と思い、他講座の後輩に打診。2保存の後輩の計らいで、そっちからのルートでセミナールームを手配してもらった。
その流れで「ぜひ参加したいです!」と、これまた色んな後輩たちから言ってもらった。さらには後輩がまた別の後輩を連れてくるといった流れで、どんどん参加人数が増えて、当初想定していたよりも割と規模が大きくなってしまった。
こうやって、人数が自然と増えたことは、正直いってかなり嬉しかった。
途中メンバーの出入りもありつつ、10人規模でのゼミ開催となった。みんな知りたいんだね、その期待に応えられるように頑張る!
ゼミは全部で4回。今日は1回目ということで、テーマは「義歯のカタチ」。
入局したての時は色んな上級医から「入れ歯のカタチにして」と言われたものだったが、何をどうすれば入れ歯のカタチになるのかは誰も教えてくれなかった。なので、後輩たちにはそれを教えてしまおうという試み。
前述の後輩たちへの引継ぎ症例も含めつつ、これまで私が診てきた患者さんたちの義歯を40床ほど見てもらった。
スクリーンいっぱいに義歯の写真を提示し、その方の主訴を伝えて、そのうえでひとりひとりに「これどう思う?」とカタチに対する感想を聞いた。
最初は「全然わかりません」と言っていた人もいたくらいだったが、そういう人も30床すぎたあたりから「ここが短いですか?」と良い線を突くようになってきて、かなり嬉しかった。
これである程度、「良い義歯のカタチ」を共有することができたと思う。これで明日から、義歯を診たときに何か思えるようになっていれば大成功。
インタビュー方式で18時から始まったゼミはみっちり3時間。ちょっと長くなっちゃったね、みんなお疲れ様!
次回は「総義歯の調整」がテーマ。スライドは目下のところ鋭意製作中。
ゼミの興奮が冷めあらぬまま、ひとりでスープカレーを食べた。さすがに9時も回っていたし、そこまで後輩たちを突き合わせるのも悪い気がして。そういうわけで、久しぶりのピカンティ。
ダサい表現だが、達成感の味がした。後輩たちの感想は後日また聞くとして・・・。
次回も頑張りましょう!
それでは、ばいちゃ☆
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久しぶりに寝坊して、ゆっくりと家を出た。
まず腹ごしらえに赤星。
値上がり増税の時節柄にあって、まだラーメン一杯500円で頑張っている。どれくらい前のことかは思い出せないが、すけに教えてもらってからの大ファン。今ではよもやまさんも「赤星食べたい〜」と大ファンになってしまっている。
のり増量で。ちゃっかり昼からビールも。銘柄はここでは決まって札幌ラガービール。赤い星が良い感じ。
赤星の行列は、私たちの前後は殆ど外国人だった。海外からの観光客にも人気なのね。それにしても、増えたよね。これから雪まつりの時期だから、もっと増えるのかしら。
よもやまさんと一緒に買い物をすると、店員さんと喋ることになるので、色んなことを知ることが出来る。
それは、よもやまさんが色々と店員さんに聞いてみるスタイルだからだ。これには毎回、実は感銘を受けている。店員さんと目が合うと、無条件でそらしてしまうし、店員さんが近づいて来れば足早に遠ざかる。私ってば一人だとそういう買い物しかできないので、よもやまさんが居てくれると心強いし、楽しい。
そんな中、今日はとあるお店で接客を担当してくれたスタッフの方が、ものすごい口が臭かった。
もっと色々見たかったし、なんならもっと話しも聴きたかった・・・が、如何せん口が臭かった。
きっと疲れていたんだろう。
私は以前ネットの海で拾った広告のスクショを思い出した。
あまりのイラストのひどさにスクショしてしまった。もちろんクリックはしていない。
これを言っている歯科助手を連れてきて欲しい。口臭爆速消滅法。みなさんも口に出して3回連続でいってみてください。かなり早口言葉。噛んだ人は、このブログの他の記事を10個読まなきゃ駄目ね!
そんなハプニング(?)もありながら、楽しい一日となった。
お!
は?
とある企画展でムーンスターの方とおしゃべりした。
独自製法の靴ということで、作り方の動画も見せてもらいながらセールスを受けた。作り方を見せられちゃうと、かなり説得力があるね。これは自費の義歯コンサルにも使えるかもしれない。
すぐにInstagramをフォローした。今度買ってみようかしら。
Instagramをフォローした人には特典でステッカーをもらえるということで、よもやまさんと併せて2人分もらった。もらって、すぐにマイPCに貼ってもらった。この星のマークが活かしている。
星に始まり、星に終わる。
明日からも頑張ろう!
それでは、ばいちゃ☆
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