幹事は父、場所は叙々苑。
私たち夫婦と如月家。
「今日は・・・お母さんの還暦のお祝いってことでいいんだな?」となぜか確認する幹事・父。そう言いたくなるくらい、色々とお祝いしなければいけないことも確かに多かった。
まず妹の大学院修了と学位取得、それに伴った送別。そして、私の退職と誕生日。でも、一番のメインは母の還暦。
「赤いちゃんちゃんこは着ないの?」ときいてみると「それは当日の楽しみにとってあるの」とのこと。ということで、赤い母の姿は誕生日当日までお預けとなった。
母に私たち夫婦からのプレゼント。よもやまさんが選んでくれて、二人で買いに行った。
よろこんでくれてよかった。
私も誕生日プレゼントをいただいた。
歯のネクタイピン。「あ!眼鏡かけてる!」と父。父は裸眼Ver.を持っているらしい。これで父子でオソロとなりました、ありがとうございます!
初めての叙々苑だったが、かなり美味しくて驚いた。
店員さんに焼いてもらっちゃったりして。
かなりオナカイッパイ・・・ご馳走様でした!
家に帰ってからも「おいしかったな〜」と夫婦で余韻に浸ってみたりして。
焼肉の余韻もそうだが、母ももう還暦か・・・と、しみじみ思って見たり。来週から実家の歯科医院に常勤として入るわけだが、なんだか区切りとしては非常に丁度良かったのかな、と改めて思ったりした。
実際の誕生日は母も私も来月だから、まだだけどね!
それでは、ばいちゃ☆
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立つ鳥跡を濁さずで、今日は朝から机やユニット、技工棚の整理に没頭。
バケツ5杯分の模型を処理。研修医時代の模型とかもなんとなく取っておいたけど、ひとつひとつに思い出があるな・・・と思いながら処分。来なくなった皆はどこへ行ったんだろう・・・皆元気かな。
跡を濁さず立つのも大変だ・・・。
きちんと技工部からお借りしていた咬合器も返却。後輩がこれを見て「借りすぎじゃないですか?」と笑っていた。
棚からは大量の旧義歯。さようなら、思い出たち。
机もきちんと綺麗さっぱり。
雪大病院でイチバン一緒に仕事をしていた技工士の緒方さんから餞別の品をもらった。
ありがとう!
でも、4月からも客員としてたまに来るといったら、まだ来るんだ!と少し残念そうだった。そんな残念がらんで・・・もう少しお世話になります。
明日から有給で来なくなるので、職員証とPHSを返却。首輪を外して、いよいよ辞めるって実感が湧いて来た。
夕方の医局会では私の最終症例検討会。
上級医の先生方から色々とアドバイスをいただいた。
教授が「ふ、今日は如月の最終症例か。厳しくいくか!」と笑っていたので、冗談かと思っていたが、きちんと厳しい愛の鞭をいただいた。
私は今日で退局だが、いただいたアドバイスは臨床家として今後に生かしていきたい。本当にありがとうございました!
ただその一方で、1補綴特有の雰囲気も十二分に味わうこともできた。それもこれで最後かと思うと、なんだかおもしろさがこみあげてきた。
それにしても、これまで色んな先生方の最終症例検討会を見てきたが、こんなに質疑応答が出るのは後にも先にも私くらいではなかっただろうか。しかも検討会終わりにも医局で第2ラウンドが用意されているとは。教授に救っていただき切り上げることができたが、おかげで送別会に遅刻するところだった。
正直、もうちょっと気持ちよく送り出していただけるものかと思っていたが、しっかりと後ろ足に砂をかけていただいた。この御砂、頂けなかった労いのお言葉の代わりと推察いたします。拝受した御砂、一生忘れません!
送別会は教授の隣!チームHに囲まれて!幹事はブンカダイくん!
さっきまですごい嫌な気持ちだったけれども、そうだこの先生方にお世話になっていたんだ!と思い出すことができて、これまでの日々に思いを馳せることができた。
国内外の学会遠征、深夜の実験・・・楽しかったこと、つらかったこと、あげればきりがない。教授、H先生、本当にありがとうございました!
実験中の雑談を思い出す、そんな楽しいひとときを過ごすことが出来た!
教授のお気に入りトピックスは、韓国への学会出張にて、私が終始韓国人に間違えられたという話。出国前の千歳で日本人スタッフから韓国語で応対された話は鉄板。
研修医に「おい、知ってるか!」と、私の肩を叩きながら笑って話をしている教授を見て、この上ない喜びを感じた。
磯兵衛さんにも大変お世話になりました。忘れないでね!
そして最後に退局祝いの盾をいただきました!
教授のお名前で授与される最後の盾とのこと。そのような名誉をいただくことができ感無量でした。8年間、大変お世話になりました!
あまりにもいつものように楽しんで、いつものように散会してしまったけれど、教授も御退官だし、こういう機会も今後はなくなるのか・・・と思い返して、初めてハッとした。
特にH先生や磯兵衛さんとかとは、いつもの感じすぎて、じゃあまた明日〜みたいなテンションでお別れしてしまった。まだ自分でも辞めるということがわかっていないみたい。
4月からは実家の歯科医院の常勤となるが、客員として雪大病院にはちらちら顔を出す予定。そのときはH先生や磯兵衛さんにも挨拶して、またおしゃべりしたいな。
だから全然お別れというよりかは、そういう意味では単なる区切りということで・・・と自分の中でなんとか思い直した。
ということで、立場は変わりますが、皆さま今後とも何卒よろしくお願いいたします!
それでは、ばいちゃ☆
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退職前日に?
という心境だったが、当番は当番。配当されたらどうしよう・・・と思っていたが、さすがにそんなことはなかった。
一緒に出ていた研修医とおしゃべりしながら、静かに時間が流れるのを待った。
その研修医がとある新患に絡まれていた。
「あんた名前なんていうの?はん、読めねえや!」
なんと失礼な・・・と思ってカルテを見ると、やはり80代男性。どうも歯の無い80代の男性というのは、なんともはや・・・という仕上がりの方が多いような気がする。
退職する私に出来ることは、研修医に「歯の無い80代男性には注意しろ」と根拠のない助言を残すことしかなかった。
今日は、我ながら退職前日とは思えないほど、なかなかアクティブな患者さんが多かった。
お別れと患者さんからお菓子をいただいたり・・・という場面もありながら、この期に及んで義歯の排列試適をするなど、本当に辞めるの?と思うようなアポイントだった。客員歯科医師の申請を出しておいてよかった。
夜は、明日の最終症例検討に向けてのスライドチェック。
本多正明先生の咬合補綴治療計画セミナーのテキストを引っ張り出して復習したり。今日も新患当番中は本多先生の著作を読んでいた。
まぁ、1補綴のことだ。8年もいたので知っているが、多分どんだけ仕上げて言っても、何かしら言われるとは思う。
以前、症例検討会にケースを出した時も「スピード感がない」とか言われて、いささか困惑した。当講座では治療用義歯を挟むとそのように言われる傾向があるのかも?じゃあ、今回も言われそうだな。
スピード感といえば・・・出張先でも、何十回も義歯調整して良くなっていない人がいて、それに私が調整を加えたところ、患者さんは良くなったと喜んでくれたのに、「私たちのスピーディーな診療の邪魔をしないで」と叱責されたことがある。
スピード感については、この教室の中では相対的にある方だとは思うけど。最後までよくわからなかったな。
前々回の医局会でクソに質問攻めを食らわせたので、報復質疑がくるかもしれない。
クソに対して「根拠に乏しい」とギャンギャンに詰めた手前、きちんと根拠を並べだてておかないと恥ずかしいよね。
まぁ、何を言われるにせよ、これが最後だと思えば乗り切れそう。
いつも写経みたいに文字だらけのスライドで、結局写真がないからよくわからん・・・みたいな症例検討が多いので、後輩たちには「これくらいはしないといけないんだよ」と先輩としての背中を見せつけたいと思う。
ちょっと饒舌が過ぎたかな。ビールのせいってことで。
それでは、ばいちゃ☆
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日中は珍しく特にこれといった用事もなかったので、明後日にせまった医局での最終症例検討会に向けての抄録とスライド作りに精を出した。
そして、その予演会を「木村家の食卓」で今夜行う予定にしていた。
ちなみに前回の食卓の様子はこちら。
今回は久しぶりにゲスト無し。
今日は一日、出不精を決め込んでいたので、ウーバーイーツで夕飯をオーダー。
スープカレーを食べて汗だくになったので、すぐにシャワーを浴びて、パジャマに着替えたら・・・食卓開始の時間にはすっかり眠たくなった。日曜日の夜にやるもんじゃないな・・・と思っていたら、父も寝ていたらしい。なかなかログインしないなと思っていたら、そういうことだったのね。
そんな時間帯にも関わらず、今日も多くの方に参加していただいた。
きっと皆さんも眠かったでしょう、本当にありがとうございます。
大学勤務8年間の集大成!
・・・と意気込んで作ったものの、色々と資料が足りなかったり、ああしておけばよかったとか、こうしておけばよかったとか、色々と気になるところができてきた。スライド作成ってそういうものだし、そういうところに気が付くことで成長できると思うことにして・・・。
クローズドな場なので、医局会で言うには憚られるような自分の正直な気持ちとか、裏話(?)とかもざっくばらんに申し述べていたら1時間も喋っていた。
後輩たちから質問も出て、ディスカッションも盛り上がった。
日曜日の夜に御参加いただいた皆様、そしてお父さん、今日もありがとうございました!
ちなみに今日食べたスープカレーはこちら。
べす。
私が一番好きなスープカレー屋さん。ウーバーだと頼めてしまうことがわかってから、しばしば頼みがち。全然映えないけど、なまら美味しいんだよね、これ。
明後日までに、煮詰められるところは煮詰めて・・・最後の発表に備えたい。
それでは、ばいちゃ☆
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土曜日だったので、午前中は実家でお仕事。それがなんとか終わって、一息ついていたら、かつての中国人留学生・馬から久しぶりにLINEが入った。
なんと馬はパーティーに出席するために、中国から日本にやってきたのだという。
日本まで来たのはいいけれど、スーツを忘れてきたとのこと(というかトレーナーで出席するつもりだったらしい)。
ユニクロで買うのであれば「感動ジャケット」なるものがあるよと勧めた。もしそれで駄目そうなら貸すから連絡くれと言ったところ・・・。
「感動服買いました。」
人民服みたいに言うてからに・・・。
それと同時に、パーティーに出席予定の諮問官ヤスから「スーツ?ネクタイいる?」とLINEが来たので「もちろん!」と返しておいた。
ちょっと早めに会場へ。
たまたま同じホテルの違う階でセミナーが開催される予定だったので、そちらに出てからパーティーに出席する予定にしていた。
16時から2階のクローバーで「北海道医療大学歯学部クラウンブリッジ・インプラント補綴学分野同門会主催学術講演会」を聞いて、18時から3階の扇の間で退官パーティー。
安藤琢真先生による「治療オプションとしてのPRO ARCH & ZYGOMA」というテーマ。
医局員として退官パーティーの方へ17時集合だったため、時間の許す限り聴講。残念ながらZYGOMAのお話は聴けずに中座。それでもかなり勉強になったし、かなり面白かった。父に勧められて聴講することにしたけれど、父が勧めてくれた理由もわかった気がした。
ということで、退官パーティーへ。
国内外から沢山の方が参席された。
感動服を着た馬と再会。久しぶり!
社会人大学院生だった諮問官ヤス。ネクタイもってきてエライね。
隣の席できちんと諮問されました。というのは半分冗談で、色々話せて楽しかったし、勉強になった。私の逆サイドには入局同期のコジマだった。
そして開宴。
いろんな方の挨拶を聞いて教授に思いを馳せたり・・・。
懐かしい写真を皆で見て笑ったり・・・素敵な時間を過ごすことが出来た。
教授が最終講義でも言われていた「人の和を大切に」を具現化したようなパーティーだった。
教授ともツーショット写真を撮ることが出来た。8年間、大変お世話になりました!
上の先生方は二次会へ。私は馬を札幌駅まで見送った。
馬は明日は小樽観光をするらしい。
非常に心温まるパーティーでした。参加出来てよかったです。
それでは、ばいちゃ☆
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出勤するよもやまさんを見送り、ちょっとゆっくりしながら朝の支度をした。
今日はせっかくの有給なので、先輩の歯科医院を見学しにいくことに。
さっぽろ元町歯科クリニック。
去年の夏にも見学させていただいた。
今日は見学だけでなく、毎週金曜に開催されているミーティングにも参加させていただき、お昼ご飯までごちそうになってしまった。
めっちゃ楽しかったです!先輩、ありがとうございました!
そのまま先輩の歯科医院を後にして、街まで出た。
今日の夜は妻とお笑いライブデートの予定だったのだ。
地下街のカフェでパソコンを開いてちょっとだけ仕事をしながら、仕事終わりの妻を待った。
妻が私を見つけやすいようにあえてテラス席にしていたのだ。
今回は真空ジェシカのライブ。妻がチケットを取ってくれた。「お笑いを沢山みて、いっぱい笑う一年にしたい」と妻は常々口にしているのだが、今日のライブはその計画のひとつ。
会場は道新ホール。
多分、去年開催された「兵藤・小藪のおしゃべり一本勝負」というライブのときぶりか。このライブも妻と一緒に見に行って、大いに笑ったが、タイミングを逃してブログにはしていない。
・・・タイミングを逃したというか、色々考えていたら書けなくなってしまったのだ。
これまで、お笑い通ぶって、このブログでも色んなお笑い番組やライブを批評したり感想を述べたりしてきた。ナイツの独演会の感想とかは、そういったお笑いファンの交流サイトにリンクを貼られたりしたこともあった。
だが、今になって読み返してみると「何様?」といった文章が多く、なんというか痛々しくて恥ずかしい。だから、あんまり知ったような感じで書かないようにしているのだが、行ったということと、行って楽しかったことは書いておきたい。
感想をずばり一言、すごく面白かった!
一番沸いたのは、冒頭のゴー☆ジャス。
一番笑ったのは、トム・ブラウン布川の「ハローケイスケね」。
一番印象に残ったのは札幌吉本所属の「秘蔵」だった。多分大丸で見たことあった気がするが・・・すごい面白かった!
最後の寄席のコーナーで、真空ジェシカは出脳のネタをやっていた。
一年前にhitaruで見たときも同じネタだった。札幌だと出脳なのかしら・・・と思ったが、たまたまかとも思った。司会のトンツカタン森本曰く「7分の持ち時間のところを15分やっていた」とのこと。
そして真空ジェシカ川北の影響で、いま夫婦では「もちろん!」を乱用してしまっている。
4月も妻が色々とお笑いイベントを抑えてくれているので、今からとても楽しみ。
基本的に有名人は敬称略。すみません、どうかあしからず。
それでは、ばいちゃ☆
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医員になってから3年。月1〜2回程度ではあったが、振り返れば色んなことを思い出す。
思い出したことを、イチイチここで書くようなことはしないけれど、どの局面にあってもスタッフさんのお陰でなんとか今日までやり切ることが出来たと思う。
3年も通っていると、患者さんの中には「如月先生で」と言ってくださる方もいて、今日はそういった方たちとのお別れの連続だった。電話で「行けないけど入れ歯の具合はすごく良いです」とわざわざ私によろしく伝えてくださる方もいた。
私が今日で最後であることを告げると、皆さんガク―っと首を折って「先生いなくなっちゃうんですか」と残念がってくれた。最後まで診てあげられなくて申し訳ない気持ちもあるが、名残を惜しまれると来た甲斐があったな、と嬉しくも思う。
ただ、今日は最後とは思えないくらい、かなり充実した一日だった。
だが、もう最後だと思えば、それはそれで頑張れた。かなりアクティブな処置をした方もいたが、その方にも「先生のところに通いたいです」と言っていただき、とても励まされた。
何が本当に良いのかは患者さんが一番よくわかっている。
だから色々言われても、結局は患者さんが喜んでくれることで、なんとか頑張れたのが、ここ小樽出張なのであった。
また、これはなくなった富良野出張にも共通して言えることなのだが、この出張業務を通じて自分の義歯臨床の実力が客観的にどれくらいかわかったのは、とてもよかったことかもしれない。
歯科診療室にて。私。もちろん自撮り。
いつも昼食を頂く医局は引越し作業でバタバタしているとのことで、スタッフの方が病院食を診療室まで持ってきてくれた。最後に大好きなサバの味噌煮。嬉しかった。
そして、最後なので・・・とスタッフの方がコーヒーをご馳走してくださった。本当にありがとうございました。
最後の患者さんが終わり、スタッフさんともお別れ。
なんと餞別の品までいただいてしまった。「先生がいなくなるのは病院としてはとても残念」と言っていただき、最後の最後で本当に報われた気持ちになった。3年間ありがとうございました!
いよいよ別れの時。さらば小樽よ!
もう理不尽に怒られることもなければ、忖度で頭を悩ませることもない。これで、自由だ!
それでは、ばいちゃ☆
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その節は色々とお世話になった・・・本当に結婚式は何もかもリルさんのお陰だった。改めてありがとうございます・・・という気持ちで門をくぐった。
結婚式のときにお世話になったマダムも挨拶に来てくださり、お祝いの言葉をかけていただいた。
あっという間だったような気もするし、かなり長かったような気もする。もう1年かと思う一方で、まだ1年かという気持ちあり、何とも言えない不思議な感覚に陥った。それくらいこの1年が充実していたということなのだろう。
入籍、結婚式、ハネムーン・・・この1年のことがしみじみと思い出される。不思議と話題に出たりして、言葉で振り返るようなことはしなかったが、きっと妻も同じように静かに振り返っていたに違いない。
お料理はやっぱり全部美味しかった。飲み物はワインのペアリングを勧められたが、以前別のお店でペアリングをしたときに、立ち上がれなくなりそうなくらいベロベロになったので、料理に合った白と赤をそれぞれ一杯ずつグラスでいただくことにした。
妻は少食なので・・・と事前にお伝えしていたが、どれくらいの量が良いかを最初に聞いてくださった。やはりここはおもてなしも安心して委ねることができる。変な言い方かもしれないけれども、嫌な思いをしてしまうんじゃないか?という冷や冷やがない。
リルさんから夫婦へのケーキのプレゼント。そして、私から妻への花のサプライズ。喜んでくれてよかった。
最高に幸せな一日となった。
よもやまさん、これからもよろしくね!
それでは、ばいちゃ☆
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患者さんたちともいよいよお別れといった感じで、ある人は実家を、ある人は近医を、またある人は引継ぎの先生を紹介。
「どうかお元気で」と皆さんから励ましのお声をいただく。お別れは寂しいけれど、そういって励ましていただくと、これまでの全てが思い出されて、そして報われたような気持ちになる。なかには「先生に診てもらいたかった」と恨めしそうにこちらを見てくる方もいるので、そういう方には「ごめんなさい」と謝るしかない。信頼されすぎて謝らなきゃいけないってこともあるんだな、と。人生は勉強と気づきの連続ですな。
最後の最後まで。全身全霊で全力投球!うなれ5倍速!吸えバキューム!!
と勢いづいた矢先にこれだよ。愛機2番のイニシエユニット。いよいよ寿命か?半日で治ったからいいけど・・・。
お昼休みに磯兵衛さんとカフェに行った。
いよいよこうやってランチをするのも最後かもしれない。先輩にも色々お世話になりました。そもそも正規の医員として年単位でカッチリ残れたのは、先輩の尽力によるもの。本当にありがとうございました。そしてごっつぁんです!
患者さんから餞別をいただいた。「歯科医師として当たり前のことをしているだけです」と断るも「先生だからよかったんです、どうか受け取ってください」と。
皆さん、本当にありがとう!!
診療の合間に有床義歯学会の認定医申請書類を出しに郵便局へ。
後ろを振り返って懐かしむだけではなく、常に前も向いている。これが受理されれば有床義歯学会認定医、言うなれば「入れ歯認定医」をゲットできるわけである。ますます「入れ歯ニキ」っぽくなっていく。
診療終わりに、日曜バイトでお世話になっていた精進歯科の院長先生にご挨拶すべく澄川へ。
院生時代の日曜日はほぼほぼここででお世話になっていた。医員になってからもちょこちょこお世話になっていたが、ここ1年以上はめっきりご無沙汰になっていた。
そしていよいよ大学病院退職ということになり、このままフェイドアウトしてしまうのも失礼だと思い、しっかりとお世話になったお礼を伝えに来た次第である。
なんだか懐かしい。本当に毎週のようにお邪魔していたのを思い出す。ここで開業医としての立ち振る舞い、治療、さらに言えば保険算定のハウツーなど、学ばせていただいた。自分が患者として受診したい歯科医院のひとつだ。
お昼は斜め向かいのブロンディーで、院長先生と一緒に昼食をいただいたが、今では日曜は営業していないらしい。マックスバリューのテナントもところどころ変わっていて、しばらく来ていなかったんだ・・・と肌で感じた。一方で、私がバイトとしてお邪魔していた頃からいるスタッフさんたちが「お久しぶりです〜!」と懐かしんでくれて、ちょっと嬉しかった。
お礼を伝えに来たのはずだったのだが、院長先生から「ご結婚されたと伺ったので、よかったら一席設けましょうか?」と言っていただいた!しかも大学院卒業のお祝いということで、妹も同席させていただき、兄妹でしっかりとお言葉に甘えて、しっかりと御治療になってしまった。
本当にごちそうさまでした・・・!!
6年間、大変お世話になりました!今後とも何卒よろしくお願いいたします!
それでは、ばいちゃ☆
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前回の様子はこちら。
これまで「義歯のカタチ」「総義歯の調整」「部分床義歯の調整」と回を重ねてきたけれど、最終回のテーマは「総義歯の顎位」。
私がこれまで色んなセミナーや教科書、論文を読んできて培ったものを後輩たちに還元。
わかりやすいなって思ったそこの研修医!そりゃそうだよ、有名な先生の受け売りだもの!もちろん引用元はすべて明示。人のふんどしは人のふんどしですと、きちんと言ってから相撲を取った。
むしろ後輩たちには、これをきっかけに、私がこれまで受けてきたようなセミナーにどんどん参加して欲しいと思う。それも伝えた。ふんどしを履いている本人の話をぜひ聞いてくれと。これは盗んだふんどしなんだよ、と。
ふんどしゼミ。
ただ、私がこれまで勉強していて、ずっと悩んでいたことがある。
総義歯の勉強をしている中でよく聞くのが「合わない義歯を入れていると前咬み癖がつくから、適合の良い義歯を入れると下顎位は後ろへ動く」というものである。
一方で、有歯顎の咬合再構成のセミナーなどに出ると「不良補綴物によって下顎位が後ろに押し込まれているから、治癒すると下顎位が前に動く」という話をよく聞く。
前なのか?後ろなのか?
しかも、有歯顎のセミナーでは「咬合再構成の基本は総義歯」と大抵言われる。総義歯が基本のはずなのに・・・どうしてそこでギャップが生じてしまうのだろうか・・・と、ずっと考えていた。
そして、どちらも実際に臨床現場で起こっているので、どちらも間違っていない。正しいのだ。じゃあ、どう解釈したらよいのか・・・。
といったところの、現時点での私の解釈をスライドにまとめた。
拙いながらも、自分の手掛けた症例を6つほど提示。200枚におよぶスライド、ゼミそのものは2時間半に及んだ。質疑応答もあり、非常に盛り上がった。
つくづく総義歯って歴史学だと思う。私は歴史が好きなので、よりそう思う。
よく総義歯は終わった学問と言われるが、終わっているからといって勉強しなくてよいというわけではないと思う。さらに言えば、終わっていると思われている中でも日々新しいことがわかったり、意外とまだわかっていないことがあったりするところは、本当に歴史学と同じだな、とも感じる。
そんな中で私が、最後の最後に受講生たちへどうしても贈りたかった言葉がこちら。
義歯を勉強するというのは、そういうことなんです。
私は自分が思い描く「歯科医師の原風景」を追い求めて、より一層、歯科医師らしくあるために精進していきたいと思う。
さあ、みんなも頑張ろう!とにかく色んなセミナーを受けなさい!と激励して、私のゼミは終了した。
最後にアンケートも取った。
みんなからの声に感激。やってよかったと本当に思えた。みんな、最後までついてきてくれてありがとう!!
全体での打ち上げは前回やったんだけど・・・何もなく終わるのは寂しすぎるので、行けるメンバーで軽く飲みに行くことに。
大学の近所の飲み屋で。
手前の彼女が、会場の手配や設営を全てやってくれた。本当にこのゼミの立役者、改めてこの記事でもお礼を言っておきたい。ありがとう!!
後ろの二人はまだ研修医。これからきっと有名になるだろうので、必ずお世話になった先生を聞かれたときに私の名前を出すように頼み込んでおいた。よろしくお願いします。
今回、このゼミのお陰で、自分の8年におよぶ大学病院での臨床をまとめ、振り返る貴重な機会を得ることが出来た。また、意外と曖昧だったりわかっていなかったりした部分も浮き彫りになり、これじゃいかん!と勉強しなおすこともできた。
みんなのお陰で、私が一番勉強することができた。そういう意味でも本当に企画してよかった、みんなありがとう!
これからもどんどん勉強していきましょう!
それでは、ばいちゃ☆
]]>【関連記事】【ハネムーン回想記】第16話:夜はかつての盟邦の雄たちとの共闘
7泊8日のツアーもいよいよ最終日。
昨日の興奮冷めあらぬ中、朝食会場へ行くとみんながいた。
昨日は自由行動だったが、最終日はまた全体での移動となった。
ガースーさんと相席した私たちは、お互いに昨日はどこへ行ったのか?という話になった。
ガースーさんは少し笑いながら「モモ夫婦と合流してタクシーに乗ったんですがね・・・」と語り始めた。昨日のガースーさんは途中「呪いのベルト事件」でおなじみのモモ夫婦と合流し、ホテルへ戻るためにタクシーに同乗したのだという。だが、タクシーの運ちゃんが道に迷い、さんざん連れまわされた挙句にホテルではなくテルミ二駅に着けられて代金を請求されたのだという。
さすがにおかしいと支払いを拒否していたらドアをロックされて閉じ込められて、しばらく問答したのだとか・・・。
「ローマの人はわからないって言えないらしくて、知らなくても知っているふりをするみたいですね」とガースーさん。
結局支払わずに済んだらしいが「モモ夫婦・・・やっぱり何か持ってますね」と笑っていた。
さて最終日は、割と朝早くにホテルを出て、みんなでヴァチカン美術館へ。
こういった美術館は事前予約がないとなかなか入場は難しいらしい。ツアー様様。
恐ろしく混んでおり、少しでも立ち止まったりすると「急げ!」とどやされた。乞食も全力で「金クレー!」みたいなことをおそらくイタリア語で叫んでいるが、それに気を取られて足を止めると警備に怒られる、そんな感じだった。
2班に分かれて入館。ヴァチカン美術館はこのツアー最大の目玉と言っても良い。よもやまさんもかなり楽しみにしていた。
ガイドの方が見処をしっかりと解説しながら教えてくれるので、本当にありがたかった。
中庭に出て「最後の審判」を見るための順番を待つ。
待っている間に解説をしてもらう。こういった解説用の立て看板が沢山あり、それぞれの場所でそれぞれのツアーのガイドさんが解説していた。
この絵の復元修復には日本がかなり関与していたらしい。修復したことで、このような鮮やかな青が表に出てきたんだとか。
松ぼっくりのオブジェで記念撮影。なんでここで撮ったのか、理由は忘れた。
「最後の審判」の部屋は私語厳禁で、絵も撮影禁止とのこと。そう聞いて、緊張しながら入室したのだが、なんてことはないイタリア人をはじめ諸外国の方々はめちゃくちゃ喋っていた。そんな喧騒の中で絵画見物。圧倒的スケール感に気圧されながら、時間が来たので退室。
そのまま美術館見学。
有名なやつも見れて満足。
それにしてもすごい人。世界中から来ているらしい。
目のところに水晶がはめ込まれている。他の彫刻も昔はああいう風に色を付けられていたけど、それがはがれちゃって今みたいになっているらしいが、水晶は色が落ちたりとかがないからそのままらしい。なんだか目が目だと急に人間っぽくなって、ちょっと怖いよね。
色んな展示を解説付きで見ることが出来た。それでも記憶に残っているのは、この圧倒的な人の数。
美術館を出た流れでサンピエトロ大聖堂の見学。昨日も来たけど、この日はクーポラまで行く時間は無し。昨日のうちに行っておいてよかった。
クーポラのところも大行列。それにしても係のおいちゃん、不機嫌すぎじゃない?
サンピエトロ大聖堂では聖水が売っていないか探したけれど、なかった。クーポラの通路が5年前と変わっているかどうかは結局のところわからず。上の売店がなくなったのかまだやっているのかもわからず。5年前にあったクーポラのところの売店には大量の聖水が売られていたんだけどな・・・。
聖水もどこにも売っていないので、売らなくなったのか。教授へのお土産にしたかったんだけど・・・。
そのまま空港へ。最後のバス移動。このときはまだワインボトル事件の前なので、こんなにお茶らけている。
ワインボトル事件は以前書いたので、本稿では割愛。
【関連記事】【簡易更新】割れると思っていた方が、割れないものだ(新婚旅行8日目)
大量のワインを手提げ袋に入れて機内預かりにしてしまったがために、ツアーガイドのTTさんから「何してるの!絶対に割れるわよ!」と言われてちょっと怒られた事件。
せっかくお土産に調達したのに・・・と意気消沈のまま出国。
意気消沈しすぎてか、ここからしばらく写真フォルダにデータがない。
気を取り直しての昼食。空港にて。夫婦でため息をつきながら食べた。この時の私に会えるのなら、教えてあげたい。結局、奇跡的に1本も割れずに済んだよ、と。いや、それよりも、もっとさかのぼってスーツケースに入れておくべきだったよと伝えるべきか。
割れてもいいように補充のお土産を買いながら、搭乗時間ギリギリまでイタリアをエンジョイ。
頼むぞー、割らないでくれよー、と窓越しに祈る。
機内食。行きでは米攻めされていた妻も、よいやっとイタリアンにありつけた様子。
電波障害?で、映画が途中で落ちたりなどしたが、搭載されているよくわからないゲームに夫婦で興じたりと、楽しい時間を過ごした。だがやはり遠い。片道12時間・・・特急オホーツクで札幌と網走を1往復・・・と思うと、まぁ近い?!?!
例えが下手なせいで、より距離感がわからなくなってしまった。
どう考えても着陸間際すぎるタイミングで、ばたばたとCAたちが動き出した。
軽食が配られたが、ドリンクは間に合わなかった。着陸準備にはいるタイミングだったためか、私たちの座席へのドリンク配布は割愛された。そんなことあるのか、最後の最後までイタリアだったな。
羽田に到着。皆さんと名残を惜しみながらお別れ。TTさんにもお礼を述べた。
皆さんとどこかでまた飲みましょう!と約束したのだが、結局実現していない。同じ北海道から参加だったヨギ夫婦とも結局飲めてないなぁ・・・。
羽田にて。札幌行きの飛行機を待つ間にエビス。ただいま・・・。
噂のワインたちは、国内線だとこのように丁重に扱われた。やっぱり日本最高!
千歳まではお義母さんが迎えに来てくださっており、そのまま車に乗せてもらって家まで帰ることが出来た。
お義母さんには早速、イタリアで調達してきたワインとチーズをお土産に手渡した。
お義母さんが買ってきてくれたお弁当を・・・濃い緑茶を入れていただいた。帰ってきた・・・と肩から力を抜け落ちたのを感じた。
それから時差ボケにはそこまで苦しまなかったが、翌日から仕事にしてしまっていたので、そこは休んでもよかったな、と思った。それから夫婦で交互に風邪を引いたっけ。それがこの旅行と関係しているかはわからないのだが、やっぱり心身ともに消耗が激しかったんだろうと思う。全身全霊で楽しんだし、合宿のようなスケジュールだったもんな。
これにてハネムーン回想記は終わり。じっくり書いていたら年をまたいでしまった。
ただ、今思い出しても、やっぱり楽しかった思い出しかない。7泊8日。ものすごく楽しかった。イタリアもまた行きたいし、今度はスペインとかにも挑戦してみたい。そのためにはお金を貯めないと・・・仕事頑張るぞ!
ということで、ばいちゃ☆
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左わき腹の伸びに定評のある診療。
夕方からは特急に乗って旭川を目指した。
今日はいつもお世話になっているテラバイト先輩から送別会に呼んでいただいた。テラバイト歯科への出張は、昨年いっぱいで終了していたので、テラバイト先輩やスタッフの皆さんとお会いするのも久しぶりだ。
移動も休憩にあてるのがプロの出張医。
というのは半分冗談で、特急オホーツクは自由席が少ないので、指定席を取ったという話。
そういえば、いつも乗っている特急カムイ・ライラックも今日から指定席が拡大して自由席が減っちゃうらしい。自由席ユーザーとしては、今後の混み具合が心配。
ゆったりと椅子を倒してのんびりしたかったので、隣席が空いていて、後ろの座席がないところを取った。
私も発車前のぎりぎりに取ったつもりだったが、ちゃんと隣にはおじさんが座ってきた。さらにぎりぎりに指定席を取ったということか。3Mの紙袋をぶらさげていたので、このおじさんももしかしたら同じ業界の人かもしれない。
真ん中の肘置きの領有権争いに勝利した私はちょっとビールを飲んでそのまま入眠。あまりにも寝すぎると、これはオホーツクなので網走に行ってしまう・・・が、ちょうどいいところで起きるのもプロの出張医。
ホテルは旭川席前のウィング。チェックインして、荷物を整理。
沖縄のお土産と、送別会で渡すお花を手にもって、いざ出陣。
兄さん、今日もお世話になります!
院長先生が来月から札幌でご開業ということで、今日はその送別会とのことだった。テラバイト先輩は理事長先生。
焼肉のかなめ屋さんは何度か連れてきていただいているが、本当に美味しい。
テラバイト先輩や皆さんに焼いていただいて・・・何から何まですみません!
二次会はスナックでカラオケ大会!
ここのスナックは、以前も連れてきてもらったことがあったが、火災で一度閉業していたのだとか。
そうそう、SJCD北海道のステップアップミーティングで、テラバイト先輩が自己紹介の時間に、そのスナックでのカラオケ大会の動画を映し出しながら「いつもこうやって楽しく仕事をして楽しく飲んでいます!あ、ここ、燃えました!」と言ったので、先輩の発表中にも関わらず「え!燃えたんすか!」と声を出してしまったので、妙に覚えている。
でも、不死鳥の如く復活したらしい。ママさんの顔を見たら、なんだか思い出してきた。
「三次会は寿司行きたいねー!でも、あの寿司屋の大将、亡くなったんだよね。」と、またもや衝撃の事実。昨年の忘年会の三次会で一度しか行ったことのないところだったが・・・美味しかったので残念。
そんな感じで、これまでの飲み会を振り返りながら・・・今日も完全燃焼!
兄さん、これからもよろしくお願いします!
退職される院長先生は、むしろ私とはエリアが近くなるので、札幌で飲みましょう!と約束した。
テラバイト歯科の皆さんも、また逢う日まで!!
テラバイト先輩、今日も本当にごちそうさまでした!!
さりげなく左わき腹を伸ばして左右のバランスを取っているのは秘密。
それでは、ばいちゃ☆
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前回は5年ぶりだったが、今回は半年ぶり!
【関連記事】九州時代の先輩・TESSYさん、お久しぶりです!
「札幌楽しかったからまた来るわ!」と言ってはいたけど、本当だった。
雪降りしきる中、ようこそ札幌へ!
道もつるつる・・・。
TESSY先輩、大丈夫か?と思っていたが、ちゃんと横転したらしい。内地の皆さん、お気をつけください!
前回と違うお店へ行こうということで、今回は「炭焼きジンギスカンやまか」へ。
以前、中村茂人先生セミナーの懇親会で行ったことがあり、美味しかったのでまた来たいと思っていたのだ。
やっぱり私はマトンが一番好きだ。ジンギスカン盛り合わせ、最高に美味しかった。
近況報告と、大学時代の思い出話。今回は前よりちょっと掘り下げた感じで、色々と話せてより楽しかった。
そして、掘り下げたとこで、ずっと心の中で引っかかっていたことを打ち明けることができて良かった。
それは、もちろん学生時代の話である。先輩と私は学生時代にゴスペラーズのコピーバンド(カスペラーズ!)をやっていた。そのライブでのとある失敗・・・いや、失敗そのものよりも、そのあとの立ち振る舞いをずっと後悔していた。
私がリードボーカルのところで、すっぽり歌詞が飛んでしまって、演奏を中断し仕切り直しさせてしまったのだ。しかも仕切りなおしても歌詞は飛んだまま戻ってこずに、結局歌えないまま終わってしまった。
それがあまりにもショックで、かなり取り乱した。自分がミスしてしまったこともそうだが、それをフォローしきれなかったこと、さらには自分のミスで先輩たちを振り回してしまったことがショックだった。普段優しくて無口な先輩(YOSSY先輩)がこぼした「マジか」という言葉が今も脳裏に焼き付いている。
そのことをしっかり謝ることができていなかった・・・とずっと気にしていた。動転しながら「スミマセン、スミマセン」と低く小さな声で呟くようには言っていたが、それではその失敗に対して誠意がなさすぎる・・・と。
そのライブ以降も何回か一緒にはなったが、話題に出すのも怖く、大学も違うので卒業してからはさらに接点もなくなってしまった。思い出してもやもやしては「先輩たちが普段通り接してくれているから大丈夫」と言い聞かせてきたのだが・・・。
今夜、意を決して。するとTESSY先輩は「そんなこともあったね。てか、僕も間違ってたからね」と。良くあることとして、全然気にも留めていなかったような感じで許してくれた。先輩の寛大さに改めて感謝した・・・。
二次会は宇宙。
後輩も呼びつけてカラオケ大会。
TESSY先輩の出身高校は合唱界では誰もが知る全国強豪校。後輩も私も手前味噌ではありますが、知る人ぞ知る合唱名門校。名門対決!と自分で煽りながら、かなり盛り上がった。
私は先輩の歌う、Baby Booの「プラネタリウム」が好きなので、それを聞けたので満足。この曲もカスペラーズでよくやった。というか、そのバンド活動で初めて知ったが、今では青春時代の思い出の一曲となっている。
誰かが「TSUNAMI」をいれた。前述の歌詞飛ばし、実は「TSUNAMI」だったんですよね・・・。「歌わないの?」とTESSY先輩が笑っていた。またひとつ許された気持ちになった。
そんなこちらの心の機微など知る由もなく、カウンターに座っていたオイチャンが楽しそうに歌っていた。
先輩のおかげで懐かしく、楽しい夜になりました!
次の来札は7月とのこと。またやりましょう!ごちそうさまでした!
それでは、ばいちゃ☆
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電車の中からもちらっとナチュラクスホテルが見える。おかげさまでかなりリフレッシュできた!ありがとう、ナチュラクス!
根室線でガタゴト揺られながら滝川まで行き、そこから深川へ。
根室線は脆弱なので、雪や鹿で泊まらないか心配だったけれども、定刻通り深川へ。
ここで豊田君に拾ってもらう予定だったのだけれど、事故による渋滞に巻き込まれてしまったとのこと。私はハイヤーで舟山歯科を目指した。「舟山歯科まで」と言うだけで、運チャンが「はいよ」と車を走らせる。やはりすごいね、深川のランドマーク。
舟山歯科はリニューアル工事がどんどん進んでいて、行くたびに何かが変わっているので、最近それが楽しみ。物の場所も変わっていることが多いけど、スタッフの皆がすぐに優しく教えてくれるのでありがたい。
ここでも沖縄のおすそ分け。
私が戦跡を巡ったという話をしたら、とあるスタッフの人が知り合いのおじいちゃんが沖縄で戦死して・・・という話をしていた。そういう話が出てくるなんて、さすが旭川(厳密には深川だけど)。
今日はホワイトデーということで、カズナリ先生がスタッフみんなにお返しを配っていた。こちらもさすがです。私からはちんすこうということで・・・。
深川に来るだけでInstagramのフォロワーが増える。カズナリ先生は発信力も、やっぱりすごい。
豊田君は遅れつつも無事に到着。4台前の車が事故にあって、そこから渋滞していたらしい。
「もうちょっと早く出ていれば巻き込まれなかった・・・けど、タイミングが悪かったら事故そのものに巻き込まれていたかも・・・」
なんだかそういう、意味が分かると怖い話みたいなやつなかったっけ。最近、YoutubeのShortで、そういうのばかり流れてくる。
お昼は三人で藤に行った。
私は「カレーライスかな〜」と呑気に言っていると「久しぶりに天丼でしょ」とカズナリ。
ということで、久しぶりの深川名物。
あまりのボリュームに目がうつろ・・・。
完食は出来ず・・・。カズナリが「もう二度と食べない」と言っていた。前もそう言っていたような。30代が食べるようなもんじゃないね・・・。天丼じゃなかった豊田君まで胃もたれしていた。
千鳥の相席食堂とかで紹介されていそう。この天丼、ちょっと待てぃ!のスイッチあったら押すもんな。
ここに来る途中も、路肩を歩いていた老人が、自分で押していたシルバーカーにおもむろに座りだして、寒空の下、車道の真ん中で休憩し始めたところを見てしまった。
(イメージ:シルバーカー)
文章だとこの衝撃と面白さを伝えきれないのがもどかしいのだが、これなんてもう、相席食堂だったらちょっと待つところだろう。
ちなみに、その老人がおじいさんだったのか、おばあさんだったのか。意見は真っ二つに割れて決着がついていない。インタビューすればよかったな。
少なくとも私の患者ではなかった。
今日の仕事はかなりパフォーマンスがよかったと思う。
前回、解決しきれなかった方を笑顔にして帰ってもらうことができたので、それが何より一番良かったことだと思う。
今月は今日しか来れないんだけど・・・色々と豊田君にアフターフォローをお願いしている。舟山歯科はドクター同士で連携が取れるので、本当にありがたい。
診療後はみんなでおしゃべりしたり、症例について話し合ったり。この時間がやっぱり一番楽しい。
帰りは駅まで豊田君に送ってもらった。
また来月もよろしくお願いします!
また、朝日放送の皆さま。相席食堂の次のロケ地、深川がおすすめですよ。深川はちょっと待てぃ!が沢山あります。ぜひぜひ。
それでは、ばいちゃ☆
]]>めっちゃ楽しくて、それきっかけで今月も誘っていただいた。
ちょうど深川出張の前の日だったので、今回の前泊地を富良野に設定。
診療終わりに特急に飛び乗った。
本当に時間がギリギリで、外来から医局、大学から駅、改札からホームへと久し振りに走ったので席についた頃には膝が笑っていた。
乗りたかった電車に乗れないと、1時間待たなければいけない。札幌での1時間は富良野での2時間に相当する。
滝川駅で乗り換え。快速狩勝。車内は国籍を問わず観光客でいっぱいだった。その隙間を縫うように座して富良野へ。
ということで、1カ月ぶりの富良野。
まさかこんなにすぐ来ることになろうとは・・・と思いつつも、よくもまぁ毎週通っていたもんだとも思った。医局の誰からも労われることも感謝されることもなく、それどころか嫌味なんかを言われることもあったが、2年もの間、無遅刻無欠勤だったことも表彰して欲しいくらいだったよ。
今となっては富良野時代のスタッフさんたちはこうやって声をかけてくれるし、旭川方面に友人は沢山増えたし、今の「入れ歯ニキ」としての生活のきっかけとなったので、よかったんだけどね。
今宵のお宿はナチュラクスホテル。
前述の「旭川方面の友人」の一人、ひーくんに事前に連絡をとり、予約を取ってもらっちゃったりした。友人というか先輩だけど。先輩に「君付け」は失礼だったら、ひー兄さん。
富良野駅から、本当に目と鼻の先。ここはひー兄さんの実家。
実は富良野時代は、ドラム歯科への通勤路として、このホテルの駐車場を横切って歩いたりしていたのだ。以前それをひー兄さんに言ったら、真顔で「やめてください」と言われた。その節はすみません。
当時はコロナ禍で休業していたが、こうして泊まる日が来ようとは。
いつも外観は見上げていたので、興味津々。
部屋もめちゃくちゃ綺麗でいい感じだった。一階には大浴場もあって、かなり助かった。
浴室と寝室が丸見えなのが、ちょっとエッチですね。
荷物を置いて、そそくさと飲み会会場へ。
みんなに沖縄土産も。忘れずに持ってきた。
飲み会はすごく楽しかった。楽しかったけど、写真を撮るの忘れた。
院長とかになってしまったら、おそらく聴けなくなってしまうような、スタッフさんたちの本音の連続に、最初は笑っていたが、だんだん怖くもなった。だが、非常に勉強になるし、なかなかない貴重な機会なのでありがたい。
とあるベテランスタッフさんから言われたのだが、私が「スタッフの話を聴くことができる理解あるドクター」なのではなく、「まだそういう時期」かもしれないのだという。なるほど、確かに今のみんなと私は雇用関係にないわけだし、私自身も人事や経営のことはまったくわからないから「そんなことはない」と力強くは言えない。
「いずれ・・・なっちゃうのかもよ〜」と、また別のスタッフさんが言う。
そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。今日のやり取りはYボタンを押して覚えておくことにしよう。
院長になったときに「ふかくおもいだす」で反芻すれば、その時にこそ何か思うところがでてくるのではないだろうか。
日付が変わる前に解散。私もみんなも明日は朝から仕事。今日もとても楽しかった。
コロナ禍ということもあったかもしれないけど、私が出張医として通っていたときに、この飲み会が開催されていれば・・・色んなことを皆と情報共有しながら、もっと楽しく通えたかもしれなかったな・・・と。
今呼んでもらって楽しく飲めているからいいんだけど!
それでは、ばいちゃ☆
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