ずっと気になっていたこと(テレビで見た入れ歯の話)
もう7年前に見たテレビ番組でのことなんだけれども、ずっと気になっていたことがあった。
ずっとずっと気になっていて、腑に落ちないことがあったんだけど、もしかしたら自分の勉強不足かもしれない・・・と思って黙っていた。けど、きちんと卒業して国試にも受かり、歯科医師になったうえで補綴科に3年残ってみたところで、「やっぱりおかしい」という結論に至ったので、ちょっと書いて行きたいと思う。
ちなみに、そのテレビ番組を見たときの私自身のブログでは、その気になった話題にはまったく触れていない。
当時の私は、ただの素人が根拠のない悪口を吐くような記事になってしまうことを警戒していたようで、必要以上にタレント歯科医師の中田彩先生を褒めそやしている。
さて、私がずっと気になっていたのは7年前の「深イイ話」でタレント歯科医師の中田彩先生が披露したエピソードだ。
中田先生が新人だったころ先輩歯科医師と一緒に、80歳の老夫婦を診ていたのだという。老夫婦はとても仲良しで毎月、義歯調整で通院していたらしい。しかし、旦那さんが亡くなってから、2ヶ月ほど奥さんは姿を見せずに、久しぶりにやってきたと思ったら随分とやせ細っていたのだという。奥さんは旦那さんを失った悲しみとショックで食事を作ることも出来ないとのことだった。
そこで先輩歯科医師は「ご主人の入れ歯を使って、奥さんの入れ歯を作りましょう!」と提案。中田先生も「そうすれば、ご主人と一緒に食事も美味しく食べられますよ!」と患者さんを後押し。
番組上では「こうして、ご主人の入れ歯を使った、新しい入れ歯づくりがスタート。奥さんも試着の為、再び病院に通い、徐々に明るさも戻ってきた。」とあり、具体的な方法については述べられていないが、完成した義歯を見て奥さんは大喜び「また、主人と一緒に病院に通いますわね」とかつての元気を取り戻したのだという。
中田先生はこの症例を通じて、歯科医は歯の治療だけでなく、心のケアもできると実感した・・・そうだ。
話としては一見美談なのだけれども、補綴科に所属している私としては(というかそうでなくとも歯科医師であるのならば)、その「ご主人の入れ歯を使って、奥さんの入れ歯を作りましょう」の部分が気になるところである。一体、どうやったんだ?
旦那さんと奥さんの口腔内が奇跡的にまったく同じ顎堤形態をしているのであれば、納得なのだが、そんなことは一卵性の双子であってもあり得ないことなので、それはないだろう。
そんなつげ義春の「窓の手」みたいに、人の入れ歯を入れたらぴったりはまったから、その入れ歯は恋人のものだ的なことにはならない。そもそも「窓の手」に出てくるのは中間欠損の部分床義歯であり、この話はどうやら総義歯なのだから、一層不思議である。相変わらず例えがマニアックでごめん。
もしかすると、旦那さんの義歯をリラインして奥さんにいれたのだろうか。もしはいったとして、顎位は大丈夫なのだろうか。フレンジ形態は微妙だろう。そもそも、ちゃんと咬むのか。咬んだとして、そこは奥さんの咬む位置なのだろうか。旦那さんの義歯をリラインして入れたとすると、奥さんが適切な位置で咬めている可能性は極めて低い。もしそうだとして「患者が喜んでいるからヨシ」とするのであれば、それは歯科医師の良心を疑いかねない。
そうでないとすると、旦那さんの義歯の人工歯を一つ一つ外して排列し直したのだろうか?保険の義歯にそこまでのよくわからない手間暇をかけるだろうか。タレント歯科医師もしくはその先輩が自分で排列するとも考えにくい。自費だとしても、義歯としては微妙な話だ。そもそも、義歯から人工歯をはずせるのか?これは純粋な疑問。そんなこと、進んでする奴なんて普通はいねぇからな。
もしや、この先輩歯科医師、嘘こいてる可能性すらある。奥さんにそういうことを言っておいて、しっかりと普通に新しいのを造っているかもしれない。その方が歯科医師としては納得なのであるが、それはそれで、患者に嘘をついて騙していいのか?とかいう話になっちゃうわけで。
多少はテレビ用に盛られちゃっているところもあるんだろうな、多分。
素人が聴くと、すっごい美談のように聞こえるけれど、大陸やインドの露天商じゃあるまいし、義歯というのは非常に奥が深く難しいものなのだ。患者ごとに全然違う形のものができる。こっちがダメだから、はいこっちというわけにはいかない。
だから、全然合わない義歯をいれさせて「心のケアもできる」と自己陶酔にひたっているパターンなのか、もしくは患者に嘘を吹き込んで実際には殆ど新製したような義歯をこさえたのか。そのどっちかだと思うんだよね。
異論はあるのかもしれないけれども、補綴の専門家だったら、もし今使っている義歯が具合が悪いのであれば、ばしっと調整する。そうでないなら新しく作り直す。そして咬めるようにしてあげる。それが仕事であって、他人の義歯をまた別の人の口の中に無理やり入るようにするのは仕事ではない。しかもそれは困難を極めるうえに、具合が良いなんことは殆どあり得ない。もし、心が云々言うのであれば、それはその専門のドクターにお願いするのが、またプロとしての責務なんじゃないだろうか。
さらに嫌なことを言えば、義歯の再製によって心が上向いたように語られているが、もしかするとそこに因果関係はないかもしれないじゃない。時間が多少解決してくれて、勝手に精神的に回復してきているところに、義歯の再製が時期としてぶつかっただけのことであって、これを以って「歯科医師は心のケアもできる」とうっとりしてはいけないと思う。
そりゃ歯科医師はもちろん患者の心と生活に寄り添う。寄り添うんだけど、寄り添うエピソードとしては、この話は非常に微妙であると言わざるを得ない。
私が気に入らないのは、この話の実態というよりも、テレビでこういった話を美談として軽々しく披露してしまうところと言えるだろう。正直、そこに嫌悪感すら抱くわけなのである。この話の実際がどうであれ、あくまでドクターと患者との間の狭い信頼関係によって補綴治療は為されていくわけであって、その小宇宙をこれ見よがしに美談として全体に披露する神経がわからない。2人だけの秘密を皆に言いふらしているような、そういう恥ずかしさがあるわけである。
この話をテレビで見たときは、まだ歯科に関しては殆ど素人だったため「はぇー」と感心するばかりであったが、勉強すればするほど、そんな話しあり得るの?と疑問ばかりが大きくなっていった。さらに私はこのエピソードのせいで義歯のことが勘違いされてしまいそうで嫌だと思った。
ぜひとも、そのレシピを見せていただきたい物である。
それでは、ばいちゃ☆