サディのイタリア旅行記(14):最終回!帰国して、その後の話!
9/19〜9/26の一週間、私は幼馴染ミロの結婚式に出席するためにイタリアへ旅立っていた!初めての海外旅行!何もかもが初めて尽くしのこの旅は、刺激に満ち満ちていた!この「サディのイタリア旅行記」は、このイタリア旅行を振り返りながら思い出を書き綴るのみならず、一人の男の成長を記録した冒険譚である!
この記事では日本に帰国してからのことを書いていく。
これまでのあらすじはこちら!
【関連記事】サディのイタリア旅行記(1):日本の皆さん、さよーなら!
【関連記事】サディのイタリア旅行記(3):ボロネーゼはどこだ!
【関連記事】サディのイタリア旅行記(4):結婚おめでとう、ミロ!
【関連記事】サディのイタリア旅行記(6):江過龍猛的羅馬假期
【関連記事】サディのイタリア旅行記(7):【激白】私がイルミナティだ!
【関連記事】サディのイタリア旅行記(8):ローマを踏破せよ!(前篇)
【関連記事】サディのイタリア旅行記(9):ローマを踏破せよ!(中篇)
【関連記事】サディのイタリア旅行記(10):ローマを踏破せよ!(後篇)
【関連記事】サディのイタリア旅行記(11):クーポラってなんだYO!
【関連記事】サディのイタリア旅行記(12):愛のイタリア超特急、地獄行き!
【関連記事】サディのイタリア旅行記(13):さらばイタリア!ただいま、日本!
サディのイタリア旅行記(14)
最終回!帰国して、その後の話!
私はイタリア遠征に際して、その出発に先立ち、旅の安全を願って北海道神宮を参拝したことは、以下の記事の通りである。
やはり神様が見守っていてくださったのか、神宮で買った御守りを握りしめての旅路は、まさに平穏無事そのものであり、無事に日本に帰ってくることができた。強いて言えば、ジプシーのような老婆に肩を叩かれかけたが「No!No!」と言って、小走りで退散して事なきを得た。ネットや「地球の歩き方」に載っているようなことにも巻き込まれずにいたことは、本当に幸運だった。イタリアの治安が良くなったのかと思う位、何もなかった。
ということで、イタリアから帰国して2日後の土曜日。私は帰国のご報告と旅の安全であったことのお礼をするために、再び北海道神宮へ足を運んだ。
テーンテテテーンテテテテテテテテテ〜(ファンファーレ)
テッテッテッテッテッテッテッテッテッテッテッテッテ〜(軽快に)
テッテッテッテッテッテテテテテ〜テテテテ〜!!(強く)
先月九月廿六日
欧州に於いて吾が如月氏は伊太利亜を猛襲せり
本記事は如月サディにより執筆されたるものにして
故意に氏の國際性をば宣傳せんとする編輯の跡を見るも
氏は本遠征に撃沈せられたる事実は後日自ら発表せる所なり
本記事に依って吾々は國際情勢の凄愴苛烈なる様相に接すると共に
遥か西方の地にあって皇國の威光を拝し祖國の崇高なる姿を眼のあたりにし
吾が同胞の勇猛類なき國際精神に襟を正し頭を垂れるものである
如月氏、帰国。
イタリア遠征の平穏無事は、ひとえに畏くも天皇陛下の大御稜威によるものであり、天皇皇后両陛下が吾ら民草の安寧を日夜お祈りしてくださっているからであると深く信じるところである。
ここに慎みて北海道神宮を参拝し、無事に帰国できたことをご報告ぞ申し上げ奉りける。
神州男児の厳かかつ晴れやかな気持ちとは裏腹に、この日の札幌は曇天模様であった。
天皇陛下への感謝の気持ちを自分の中で改めて確認するように一歩一歩、足取りを確かに境内を進んだ。
不思議とこの日は、大陸からの観光客の多さにも寛容になれた。
・・・静かに手を合わせて、旅の無事をご報告奉り、心安らに旅を終えることができたことを感謝した。
帰りがけに、手水舎にて、ある歌が目に入った。
夕茜に入りゆく一機若き日の吾がごとく行く飛行機やある
「皇后陛下御歌」である。なんだか、恐れ多くも自分のことを言っていただいているような気がした。
陛下ぁ・・・!!
皇后陛下が若き日を思って仰ぎご覧遊ばれた飛行機に、同じように夕茜の方角へ進み行った自分の旅客機を照らし合わせ、心強い気持ちになった。
今後とも、ますます国民としての自覚をもって、職責を全うするとともに、大御心に副い奉らんと決意した若人、如月サディ。
如月サディはこの日、友人と杯を交わした。
え、何を食べたかって?
それはね・・・。
秘密だよ。
それでは、
ばいちゃ☆
(サディのイタリア旅行記 完)
(2020.1.5 ブログネーム一部修正)