札幌が静止した日(2)
そのまま夜が明けて、今日になった。
明け方までには停電は解消されるかと思っていたけれども、我が家は停電のままだった。一部は復旧し始めたとラジオが言っていたが、どうやらここはその「一部」ではないようだった。電気がないということは、こうまでも堪えるものか。私はまたラジオでしきりに言われていた通りに、鼻からゆっくり息をすって、ゆっくり吐くことによって、精神を落ち着けた。そう、しきりにカウンセラーが出てきては、このような呼吸を一晩中促していたのだ。
如月歯科の電話は電気が復旧しないと機能しないものらしい。電話がつながれば如月歯科は復旧したということになる。母が試しにかけてみると「あら!かかったわ!」ということで、朝から如月歯科へ。
おお!如月歯科は復旧していた!
ということで、今日から如月歯科は診療開始。
予約帳には昨日の欄に「大地震」と書き込まれた。
母がスタッフさんたちと連絡を取り合いながら、来れるスタッフさんを迎えに車を走らせた。私は今日も、食料を調達しにまたコンビニへ。
家の周りは全然だが、駅前のあたりはすっかり復旧しているみたい。
コンビニも明るくなっていたが、戸棚には何もなかった。
電池もまったくなくなっていた。停電したとき、電池は生命線だ。
売れ残っていたものといえば、激辛ペヤング。ん?昨日よりもちょっとだけ減ってる?
私は医局の人たちと連絡を取り合っていた。昨晩の段階で、雪大病院は休診するという連絡を受けていた。よって、私は今日は如月歯科の手伝いをしようと思っていた。
コンビニで食べ物や飲み物を買って、如月歯科に戻り、出勤したスタッフさんたちと挨拶をして、ふと携帯で雪大病院のホームページを見ると・・・。
知らない間に休診が撤回されていた!
連絡先を知っている先生や先輩に聴いたところ、先生たちも初耳といった感じだった。昨日から思っていたけれども、どうして病院の診療の可否が、職員たちに達せられないのだろうか。「医科だけじゃないのか?」という話もあったけれども、どうも歯科も通常通りの診療をするということらしかった。
私は行こうにも、バスも、JRも、地下鉄もすべて運休していたので行くことができなかった。万が一、私の患者が来た時の対応を先輩にお願いして、私は何かしらの交通機関の復旧を待った。
如月歯科のお手伝いをしながら、院内に流れるラジオで復旧情報を待った。
地下鉄も昼過ぎの復旧を目指しているとのことだった。私は札幌市営交通局のホームページの更新ボタンを診療室のパソコンの前を通りがかる度にクリックした。
路面電車はすぐに復旧したそうだが、路面電車が復旧したってねぇ・・・。
JR北海道はもっとてんてこ舞いっぽかった。
昼過ぎに、ラジオから、快速エアポートが午後一時から運行を再開するというニュースが飛び込んだ。地下鉄も「昼過ぎ」と言っているし、さすがに一時くらいには復旧するだろうと考えて、一時に如月歯科を出て、新札幌駅に向かった。新札幌駅は地下鉄もJRも通っているので、交通の便がとても良い。
まずJR駅に向かった。
駅舎に入ることもできずに人がごった返していた。
ついに復旧して駅が開いたが、札幌行きは14:43発。一時間半も待つことになるので、私は地下鉄の方へ下りた。
しかし・・・。
8番出口。
5番出口。
6番出口。後ろから。
6番出口。表から。
いつ復旧するのかもわからない状態でこの有様。
もちろんバスは復旧の目処はさらに立っていない様子。
バスターミナルのコンセントはすべて開放されていた。たこ足が付けられてるところもあり、皆そこに屯して充電していた。
駅前のお店の中にはコンセントを開放したり、軽い食事を提供するところもあった。
このとき、私はH先生とやり取りをしていたのだが、先生がキャッチした情報によると、地下鉄の復旧は午後2時からとのことだった。JRも結局あの時刻だったので、私は一旦、如月歯科に戻って一息ついた。
午後2時。地下鉄も復旧した。駅のシャッターを開かれていた。
新さっぽろは始発駅。宮の沢行きは2時20分とのことだった。思ったよりも混んでいなくって、椅子がびっちり埋まる程度の人数であった。
南北線や東豊線も順次復旧するとのことだったが、私の乗り換えには間に合わないようだったので、私は大通駅で降りてから、雪大病院まで歩いた。
大通駅から札幌駅までのチカホは避難スペースになっていたようで、配られた毛布で休息をとる旅行客が多数見受けられた。観光旅行で来て被災してしまったのだとしたら、本当にお気の毒だ。
札幌駅から雪大までの道も、震災の爪痕が散見された。
雪大もぼろぼろ。これは震災直前に直撃した台風の爪痕かしら。あの台風も「今世紀最大」と言われていたけど、震災のせいでちょっと忘れがちになるよね。
あら、歯学部棟は停電しているみたい・・・それどころか、断水も。てっきり天下の旧帝大は真っ先に復旧しているかと思った。
真っ暗。
地震の影響で壁にはヒビ、天井は崩落の危機。
もちろん、病院棟は完全復旧していた。私が雪大病院に到着したのは3時半。病院の詰め所に行くと、もう終わるところだった。幸い、私の患者さんは誰も来なかったそうだ。ということで、私は特に何もすることはなかったのだが、医局の人たちの顔を見ることができて、なんだか安心した。
H先生と、この非常時にあって駆り出された磯兵衛さん。チームHで今夜の災害対策。だって、本震から48時間後が危ないと、ラジオもネットも言うんだもん。ここでは酒を飲み過ぎない!けど飲まなきゃやってらんない!崩れた物は崩れたままにしておく!倒れそうなものは倒しておく!ということで結論が出た。
この時点で、皆、停電していなかった。教授は昨晩復旧していたようで「なんなら朝の連続テレビ小説まで見てきてしまったぞ」と優雅に医局で新聞を読んでいた。こんな震災の最中にあっても、1補綴は1補綴であった。
雪大で元気をもらって、また帰路についた。
続々とH先生や先輩たちから復旧の報が入る。停電したままなのは私だけになってしまった。
経産相のコメントだと「全道の復旧には最短で1週間」ということだから、まさかの1週間コースか?と家族で戦々恐々だった。本当に電気が無いと堪える。
やけくそになって、残り少ないバッテリーでFacebookに懐中電灯をかざした顔をうつした写真をアップしたりした。
・・・「電気いいなぁ」と窓を眺めていた。復旧した区画の市営団地が煌々と光って見えた。
すると、真っ暗だったマンションの階段の部分が一気に、ぱっと明かりがともった。「あれ!」と声を出していると、その手前の家も、その隣の家も・・・といった感じで、ぱっぱっぱ、と明かりが我が家の方まで近づいてきたのだ!「あ!あ!」と声を出しているうちに、我が家の前の家がぱっと明るくなった!
そして!我が家にも明かりが!!
また今夜もランタンフェスか・・・と思っていたところに!
明かり!
思わず「おーー!」と声をあげてしまった。
「あかりだ!あかりがついてるぞっ!」
戦争が終わった時の手塚治虫ばりに踊るように喜んでしまった。
祖父母のところへ行くと、祖母が本当に嬉しそうに「そうだ!テレビみましょう!テレビ〜!」と声をあげていた。
かくして電気のありがたさを痛感した二日間となった。
ランタンを囲んでずっと親と一緒にいるというのも、普段なかなか作ることの出来ない家族団らんの時間を得ることが出来た・・・と思わなくもないが、やっぱり明かりがあるということは、こんなにも安心するものなのかと、そっちの安堵感の方がはるかに勝った。やっぱり暗闇の中で余震に震えているのは怖くて怖くてたまらない。
余震がやんだわけではないが、テレビで気ままにバラエティ番組を見ることができるのが、こんなにも嬉しいことだとは知らなかった。明るいということは素晴らしい。そりゃ、神は最初に「光」つくるわ。
「運命の48時間」が怖いから、今日までは両親と一緒の部屋で寝ようと思う。
こうして、また緩やかに日常生活へ戻って・・・いけたらいいな。
それでは、ばいちゃ☆