北海道立文学館の「無言館展」に行ってきた
先日、渡辺淳一文学館へ行った際、もう一ヶ所立ち寄ったところがあった。
それは北海道立文学館である。
私は北九州市立文学館には度々足を運んでいたのだが、そういえば故郷の文学館には行ったことがなかったと思い立ち、行ってみることにしたのだ。
緑燃える中島公園を歩いていると、ふっと近代的な建物が現れる。
ここが北海道立文学館・・・か。
玄関にある大きな立て看板に目をやると、なんと特別展で「無言館展」をやっているようだった。
「無言館」。
そこには先の大戦で絵筆ではなく銃を持たざるを得なくなった画学生たちの遺作が展示されているという。
私もその存在は最近知った。それもZEROで、桜井君がリポートしていた。是非行ってみたいと思ったが、無言館そのものは長野にあるとのこと。長野となると、なかなか行く機会が無いので、こうして札幌で特別展をやってくれるというのは、なんともありがたかった。
「無言館」という名前は、展示されている絵は何も語らずに無言であるが、見る側に言葉以上に多くを語り掛けるということで付けられているそうだ。そして、見る側も無言になってしまうという意味も含まれているという。
確かに、その通りかもしれない・・・と、絵を見ながら私は静かにそう思った。
特に印象に残ったのは、展示の一枚目にあったお婆ちゃんの絵だ。
蜂谷清さんの描いた「祖母の像」という作品。
おばあちゃん子だったという蜂谷さんが出征前に大好きだったお婆ちゃんを描いた作品だという。蜂谷さんは銀座のデザイン会社「松原工房」に勤務していたが、昭和十八年、20歳のときに出征。その後、昭和二十年にフィリッピンのレイテ島にて戦死、享年22歳であったという。
私はこの絵から目を離すことができなかった。
描いた蜂谷さんはどんな気持ちだったのだろうか?
描かれているお婆ちゃんの気持ちは・・・。
そう思いながら絵の中の御婆ちゃんの表情にまた私は沈黙を深めた。言葉にできる気持ちと言葉では言い表せないような気持ちがないまぜになって私の胸中に渡来した。
じっと絵を見ていると、何とも言えない引き込まれる感じがあって(安直な言い回しではあるが、絵に込められた魂や思いが気迫となって迫ってくるような)、なんだかこみあげてくるものがあった。
そうだ。ここにある作品を描いた当時の画学生たちは、いずれも20歳そこそこで戦地へ赴き、命を落としている。すべて、私よりも年下なのである(勝手に同い年くらいかと思っていた)。それに気が付いたとき、私ははっとしてしまった。私はこのとき、戦争というものの恐ろしさを肌で感じたような気がした。
もしも戦争がはじまって、戦地へ行かなければいけなくなったとき。私は出征するその日までの間に何をするだろうか。彼らのように絵を描くだろうか。このままブログを更新し続けるだろうか。なにか小説でも書くだろうか。それとも、毎日飲んだくれるだろうか。
また一方で、この絵を描いた彼らが、戦争というものが無くて平和な世の中で人生を謳歌していたら・・・。
どちらも一生懸命想像してみようとしたけれど、まったくわからなかった。ただ私にできることは、(仮初めと言えども)今の平和な世にあって、やりたいことに一生懸命取り組むことができているこの現状に、感謝することだけであった。
抽象画、デッサン、肖像画、風景画。私には絵のことはよくわからないけれども、どれも胸に深く鋭く刺さるものばかりであった。
繊細な線、大胆な構図、豊かな色彩。
まるで、つい昨日、描かれたばかりのようなものもあった。そして、その絵の作者が既に七十年も昔に死んでしまっていることに気が付いては、そのたびに私は言葉を失ってしまうのであった。
そういう時代が確かにあった。その事実をしっかりと胸に刻みこんで、私は文学館を後にしたのであった。
「無言館展」は来月の九日までやっているそうだ。
それでは、ばいちゃ☆