どうして入れ歯や歯無しは面白いんだろうか?
私はお笑いが大好きなので、見れるときに見れるものを一生懸命見ている。
今も心に焼き付いているのは、ちょっと前に開催されたIPPONグランプリでのバカリズムだ。
あまりにもぐっと来てしまったのでテレビ画面を写真に収めるという荒業に出てしまった。
お題:「呪いの入れ歯」はめるとどうなる?
バカリズム「保険がきかない」
このときの表情も格別だ。
なんでか笑ってしまったし、今でも鮮烈に覚えている。たまに思い出し笑いしてしまう。でも、どうして笑ってしまったんだろう。
別に保険がきかない自費の義歯(入れ歯)だってこの世には当たり前のようにある。国民のなかに「保険がきかない」もしくは「自費」というだけでネガティブなイメージが少なからずあるのだろう。以前、飲み屋でたまたま会った人が自費のことを「ぼったくり」と言っていたのを聞いて、何とも言えない気持ちになったことも併せて思い出した。
でも、だからといって、これが不愉快な回答かといったら、それも違うと思う。そうだな、保険適応でも十分な義歯を入れたのに、それが保険がきかないっつったら、まぁ、嫌だよね。そりゃ呪いだ。そういうことなんだ、と解釈して、私はまた素直に笑うことが出来るようになった。
呪いのアイテムは装備すると外せないのが世の情け。教会で10ゴールドで呪いを解いたら、「呪いの入れ歯」は砕け散ってしまうのだろうか。
ただ、いつも思うのだが、「入れ歯」さらには「歯無し」というのは、昔っからお笑いの大切なファクターなんだけれども・・・どうして面白いんだろう。
お笑いを見ていると、入れ歯や歯が無いってだけで面白い場面に幾度となく遭遇する。私はいつもどうして面白いのかわからないままに笑っている。
最近だと「月曜から夜更かし」とか。
たびたび、街中で出くわした歯の無い人にスポットを当てて色々な企画をやっている。
特にひどいのは「水曜日のダウンタウン」。
歯が無い人がテレビに映る度にテロップとナレーションでいじり倒す。
歯が無いということを馬鹿にして嘲け笑っているから面白いのだろうか。いや、多分、そういった陰湿な笑いではないはずなのだ、これは。
だって、私は「ガキの使いやあらへんで!」のピカデリー梅田は笑っちゃうけど、別に馬鹿にはしていない。
でもこれは入れ歯じゃなきゃ面白くない。
この歯とお笑いの関係はテレビだけではない。漫画でもお笑いの要素として用いられている。その中でも最たるものとして「浦安鉄筋家族」があげられる。
この作品では歯が抜けて無くなったりする表現が多様されているだけではなく、入れ歯が感情の起伏を表現する飛び道具だったりボケの小道具になったりする。
面白い、けど、なんで面白いんだろう。
コントや漫才のネタにもよくなっている。それくらい生活に密接な職業ということなんだろうけど。芸人は他の人よりも、歯のあたりに関心が高いんじゃないかと思う。
先日見たトークイベントの動画で、天竺鼠の川原と野生爆弾のくっきーが歯茎について語り合っていた。
トークそのものは全然面白くはなかったんだけれども、関心があるんだなぁ、と思った。
いやはや、それにしても不思議である。どうしてこうも歯が無かったり、入れ歯だったりするだけで面白いんだろうか。
別に私は診療してて、患者の欠損形態を見て笑いたくなったこともない。
別に田原総一朗の入れ歯があっていなくたって、面白くはないもんな。
不思議。
先日、例のプレパラートの一件で、H先生から「お笑い歯学博士を目指しなさい!」と激励された手前、この入れ歯・歯無しの笑いのロジックが解き明かせないと、笑いの学位を取ることができない。
てか、笑いの学位って、表示があるとしたら「博士(笑い)」ってなっちゃうのかな。なんだか、なんちゃって博士みたいになっちゃうなぁ。そういえば「笑いの大学」ってあったよね。そこ通わなきゃ。
まぁ、話はそれたけれども、不思議だなぁ・・・と思っているだけで、別に答えは出ていないというのが今日のオハナシ。ただただ、私の作る義歯が患者さんにとって「呪いの入れ歯」になっていないことを願うばかりである。
それでは、ばいちゃ☆