兵十へ捧げる鎮魂歌
家に帰ると、うなぎが私を待っていた。
鹿児島県のうなぎ。ふるさと納税だという。実は、母方の祖父が鹿児島県出身で、私は鹿児島のクォーターということになる。私にとって鹿児島は四分の一ふるさとなのだ。
うんうん、ほほほ。やっぱり25%くらいふるさとの味がしたな。
私はうなぎを食べながら、はっとした。
あの、帰り道に会ったキツネは・・・もしや。
そうだ、今日、家へ続く長い一本道をとぼとぼと歩いていると、目の前に影がうずくまっていたのだ。影は少しずつこちらへ近づいてきた。
私も少しずつ目が慣れてきた。よく目を凝らしてみると、なんと、その影の正体は、狐だったのだ。
ごん。お前は、ごんだったのだろうか。
狐は私を一瞥して、また闇の中へと消え、再び影となった。
だが、私は安心している。
ここには、うなぎを食べられずに死んだ母親もいない。ごんを殺してしまった無念に打ちひしがれる兵十もいない。そして、悲しみのなかで死んでいったごんもいない。
あの物語は、この上なく切なく悲しい。
ごんの無邪気な悪戯で、兵十は危篤の母にうなぎを食べさせてやれなかった。兵十はもちろん、ごんもこれ以上ない後悔の念に苛まれただろう。
さらに、ごんの償いはなかなか結実しない。それもまた何ともやりきれない。後悔が後悔を呼ぶ負の連鎖。折り重なる悲しみの中で、最後に残るのも、また深い悲しみでしかなかったのだ。こんなにつらい物語がほかにあったろうか。
兵十の腕の中で、ごんは眠る。ごんは眠りながら、光になり、影になり、石になり雲になる夢をみていたのかもしれない。夢は次第にふくらんでしまって、無限大にひろがってしまって、宇宙そのものになって・・・。その宇宙の彼方から、生命の連なりのなかで、またごんは私の目の前に現れたのかもしれない。
そうか、ごんよ。お前はあの兵十のうなぎへの悪戯が生んだ悲しみの連鎖から、反省を繰り返して、わが家のうなぎには手を出さなかったのか。
おかげで、ごんよ。私も母の微笑みの中で、美味しいうなぎを食べることができたよ。
おお、ごん。
今宵は貴様を殺し、二度と戻ることの出来ない後悔の淵の奥底へ落ち込んでしまった兵十のために、この唄を歌おう。
ビートルズで「兵十」。
兵十はエキノコックスに感染しながら、いったい何を思ったのだろうか・・・。
それでは、ばいちゃ☆
【参考文献】
新美南吉「ごん狐」
蔵原伸二郎「老いた狐」
ビートルズ「Hey Judo」