人生をやり直せるとしたら?
センター試験などの大学受験シーズンになってくると、ラヂオなどで受験のときの思い出を募集するのと同時に「もし人生やりなおせるとしたら?」といった類のテーマで投稿を募集しているのをしばしば耳にする。
こういうのを聴くと、つい自分も「人生やり直せたら・・・」と考えてしまったりする。皆さんはどうだろうか。
実は私はそんなことを、受験シーズンに関係なく、たまに考えてみたりすることがある。私の悪い癖である。だが、そんなくだらないことでも、考え出すと結構面白いのだ。さて、やりなおせるとしたら、どのタイミングでやり直したいだろう。そんなつまんないことを、ちらっと考えてしまう。
大学6年間をやりなおす?
やりなおしたら、部活で起こってしまった人間関係の摩擦や軋轢を回避することができるかもしれない。けどなぁ。体育祭とか、楽しかったけれど、もう一回やれと言われたら嫌だ。登院実習も今となっては良い思い出だけど、もう一回やると思うと気が引ける。もう先生たちから理不尽なことで怒られたりどつかれたりしたくない。一過性だから耐えられることが沢山あったように思う。
そしてなにより、国家試験。もう、嫌だ。国試を受けると思うと、大学はやり直さなくていいように思う。よしんばまた入学当初からやり直せるとして、また同じように力いっぱいの6年間を過ごせる自信がない。
大学受験をやり直す?
じゃあ、そもそも入る大学を決めるところからやり直す?そうすると、高校生活を見直さないといけない。私は浪人しているから、やり直すタイミングがあるとすれば、高校一年生のときかな。
けど、これまた、文字通り心身を削って部活に死力を尽くして取り組んだ3年間は、もう一度と言われたら・・・無理だなぁ。放送部で頑張ったことも、合唱部で頑張ったことも、そこで培ったもの、絆、すべてが私の基礎となっている、かけがえのないものばかりだ。しかし、やりなおすとしたら、部活はひとつしか入らないだろう。同じ三年は過ごせない。そして、既にすごした三年を超える濃い三年が送れるとは思えない。あれは、向こう見ずで捨て身だったからできた三年間だったのだ。
また、浪人したことも、なんだかんだで良い思い出だし。センター試験には失敗したけれど、九州修羅大学に進学したことは、本当に自分にとってよかったと思っているので、別にやりなおさなくてもいい。多分だけど、雪大歯学部に進学するより、九州修羅大学に進学していた方が、自分には合っていたと思う。雪大に進学していたら、もっとクセのない人間になっていただろうな。
高校入試をやり直す?
北国高校の入試・・・もう受けたくないな。入試は緊張しすぎて、急性胃潰瘍になったし。
じゃあ、中学三年間をやり直す?
中学のとき、私にはあいこりんしか友達がいなかった。修学旅行で「好きな人とグループつくっていいぞ」と先生が言って、結果的に、私一人だけがあぶれてしまったことがあったくらい、友達がいなかった。友達がいないこと、自分というものを確立すること。かっこよく言えば、アイデンティティの確立のために葛藤していた、暗く辛い三年間だった思い出がある。そういう葛藤の中で、私は国家主義に傾倒していくのだが、それはまた別の話し。
やり直したら、友達たくさんの楽しい三年間が送れるのかもしれない。けどなぁ。中学時代の色んな経験が、自分にとっては結果的に生きているようなところがあるわけ。
そして、中学を上手くやり直しても、また高校入試があると思うと、胃潰瘍が再発しそうだし、高校三年間を経てまた大学受験をしなきゃいけないと思うと、貧乏ゆすりが止まらない。さらに大学六年間を経て、国試を・・・と思うと、げろ吐きそう。そうだな、俺、どのタイミングであっても、全然戻りたくない。
そうだな、俺、全然戻りたくない!
そういう結論に至った時、言い換えたら、今のところ、自分の人生に後悔は無い・・・ということになるのか?と思うと、なんだか照れくさい。
これが齢を重ねていけば、陽水の「人生が二度あれば」を歌いながら涙を流すような境地に至るのだろうか。「人生をやり直したくない」というのは27歳時点での、若気の至りなのかもしれない。未来の私はこの記事をどんな気持ちで読むのだろうか。「この頃に戻りたい・・・」と後悔にまみれて涙を流しているかもしれない。まぁ、それもそれで、人生らしくていいんじゃないか、未来の如月くん!
大学を出る時、私を見て教授が「俺も帰らなきゃ、明日、センター試験だから」と言った。私はふざけて「再受験ですか?」と聴くと、「バッ!試験監督だ!」と言われた。
それでは、ばいちゃ☆