アメリカから来た男
今日から仕事はじめだった。
ただ、外来ががらんとしていたとか、急患が沢山来たとか、仕事が始まったことへの拒否反応か風邪がぶり返して来たとか、さらには病院の前の電柱に「神は医術を見直す!」と文字がびっしり書かれた怪しいビラが貼られていたとか、そんなことを書いてもあんまり面白くはならなそうなので、今日は年末にヤナギと会って飲んだときのことを書いて行きたい。
12月末。
高校来からの大親友であるヤナギが札幌に帰ってくるというので、一緒に飲む約束をしていた。決めていたのは日付だけ。場所を抑えておいてくれたのは、ヤナギの双子の弟のびすけだった。ヤナギ、のびすけ、私。学生時代はここに、M下というなんちゃってワンダーウーマンが加わり4人でよく飲んでいたが、M下は東京へ行ってしまったので不在だった。
ヤナギについては以前もちらっと書いたが、現在、アメリカに留学している。その優秀さを買われて会社から「アメリカに行ってこい」と言われたのだという。なんと、法律関係の勉強をしに渡米しているとのこと。すごいじゃないか。法律関係で渡米した日本人なんて、私の知る限り、小村壽太郎以来の快挙なんじゃないだろうか。私はそれ以外の人を知らない。
小村壽太郎(1855-1911)
ただ、アメリカだなんて、大丈夫だろうか。私は生まれてこの方、日本を出たことがないので、海外に関する知識はすべて本や新聞によるものだ。アメリカに関する知識、私はそのほとんどを「婦人之友」で得ている。私が読んだ「婦人之友」には、あまりアメリカに関して良いことは書かれていなかった。
婦人之友(1908-)
そういうわけでヤナギがアメリカに行ったときいて、その安否を案じていたのだが、アメリカのマクドナルドで「トゥーチーズバーガー」と注文して四つのチーズバーガーが出てきたというエピソードを聴いて安心した。話を聴く限り、北九州の方が治安が悪そうである。
さて、のびすけが押さえておいてくれたのは「すすきのジンギスカン」だった。
ジンギスカン[Dschinghis Khan]
(1979-1985,ドイツ)
ちょっとジンギスカンが食べたいと思っていたところだったので、のびすけグッチョイス!
のびすけ(1990-)
焼いてくれるのびすけ。さっきからヤナギの話ばかりだが、のびすけは立派なお役人様だ。ついこの間まで、ただの酒飲み大学生だったのにな。こうやって段々、大人になっていくんだなぁ。ま、三人中二人がまだ学生だけどな!(私とヤナギ!)
ヤナギ(1990-)
私はヤナギにその都度「アメリカはどうなの?」と話をふる。すると「気候が東海岸と・・・」とヤナギが親切に答えてくれる。そこで私が「すぐアメリカだすなぁ!」と理不尽なツッコミ(?)を入れるという、我ながら整合性の取れていないことをやって楽しんでみたりした。
「お前は変わったよ!アメリカに行くや否や、LINEの名前が漢字表示からローマ字表示に切り替わるんだもの!」
そんなことを言いながら、自分がアメリカに留学とかなったら・・・とこっそり想像を膨らましてみたり。ないだろうけれども、私も友達に「渡米すんだよね」とか言ってみたい。私は米国に順応できるだろうか。どうだろうか。言語の壁は思っているより厚いだろうな。手近にいるチャイニーズとも、未だに十分なコミュニケーションを取れていないというのに。馬のことだけど。
米国、米国言っていたら、米が食いたくなってしまった。
(米)
お酒飲むから・・・と思っていたけれど、ジンギスカンにはやっぱり白い米だよね。結局頼んで、おかわりまでしてしまった。
そうだ、ヤナギはアメリカに住んでいるわけだから、常にあめりか〜んなものを食べているのかと思い「向こうでは米、食えてんの?」と聴いてみた。すると「向こうじゃ日本食だよ」とのこと。「へぇー」と普通に感心してしまった。世界はどんどん、小さくなっているんだなぁ。
酔いの回りきった私は、コカ・コーラを片手にアメリカを捕まえて「きゃつら」と吐き捨て、海の向こうに思いを馳せた。想像でわかる。すごく、遠い。そんな遠いところに、ヤナギはいるんだ・・・と思うと、なんだか感動的な気分になるような。
貴重な日本での滞在期間で、冬の会も含めて2回も会えて本当によかったと思う。次に会うのはいつだろう。いつまでも変わらないでいてほしい・・・という気持ちもあるけれども、金髪にして、英語しか喋らなくなってしまった、そんなアメリカナイズされたヤナギも見てみたいような気がする。
拝啓、アメリカ様!どうか、どうかヤナギを!自由の名のもとに、アメリカの色に染めてやってくだせぇ!
また逢う日まで。
【文責】
如月サディ[Kisaragi Sady]
(1990-,日本)
それでは、ばいちゃ☆