三笠1:念願の三笠鉄道村に行ってきたよ!
以前、月形町へ訪れたときの記事で触れたが、母と私はある筑波大学の教授の言葉がずっと気になっていた。
それは「北海道開拓の歴史の概要を学びたければ、(中略)ただ、夕張の石炭博物館、三笠の鉄道記念館、月形の樺戸監獄(樺戸博物館)の3つ見ればそれで足ります」というものだった。
私たち親子はその言葉に沿うように、夕張の石炭博物館へ行き、月形の樺戸博物館へも足を伸ばした。そして今回、やっと三笠の鉄道記念館へ行くことになったのだった。
北海道三笠市。道内でも屈指の炭鉱町として栄え、歴史も古い。だが、歌志内・夕張と同様に、産業構造の変化により石炭が衰退すると、町そのものもみるみるうちに力を失っていった。人口1万人を切った市としては、三笠は歌志内、夕張に次いで三番目である。
私達が三笠へ訪れたのは9月末の休日。雪国の悲しいところで、10月になるとこういった展示施設は休館になってしまうのだ。今回は閉まる前になんとか来ることが出来た。
さて、今回訪れた三笠鉄道記念館は、北海道で初めて(日本では三番目)開業した鉄道である幌内鉄道の終着駅である幌内太駅の跡地に設置されている。ちなみに、その道内初の鉄道の始発駅は手宮(小樽)で、手宮駅の跡地には小樽鉄道記念館があったりする。小樽の方はすでに行ったのだが、そこもとてもよかったよ。
【関連記事】北海道の鉄道を語るならここ!小樽市総合博物館(旧小樽交通記念館)!(1)
ということで、両親と三笠鉄道記念館にやって来た。
記念館は三笠鉄道村の真ん中にあるようで、記念館の周囲には村というだけあって、野外展示が充実していた。SLだって走っていた。
まずは義経橋を渡って村へ。
義経というのは、幌内鉄道の開業にあたってアメリカから輸入された蒸気機関車の名前である。おそらく、それにちなんでつけられた橋の名前だろう。すぐにピンとくるあたり、道内各地の資料館をまわっているうちに私もなかなか高まってきているようだ。
鉄道村の中を、SL(S-304)が濛々と煙を上げて走っていた。
調べてみると、このSLは新日鉄室蘭製鐵所にいたもので、日本で一番遅くまで現役をはっていたのだという。
一回300円で乗車できる。ということで・・・。
乗っちゃうよね。
どうして、こう、SLというのは、なんか、ロマンというか、ノスタルジーというか、そういった心の奥底のものを掻き立てる。ただ、別に私はSLの世代ではない。SLをみて「懐かしい」と思うことすら不思議な年代だ。どうなんだろう。これは、銀河鉄道999とか、色々な作品を見て、「SLは懐かしいもの」と心のどこかに刷り込まれているのだろうか。そうであろうとなかろうと、私はSLが好き。
SLには親子連れの家族が何組か乗っていた。どういうわけか、子供たちは「あっちの新幹線に乗りたい!」と駄々をこねていた。ある子供は、泣きながら、SLを下車する者までいた。私は「新幹線?」と思ったが、SLの車窓からは見つけることができなかった。SLの車内で「新幹線に乗りたい!」。こんな残酷なシチュエーション、誰が想定できただろうか。
SLは短い区間を行って帰ってきた。それでも、私は満足だった。
充実した野外展示・・・といったものの、どうしても小樽の方と比べると、若干見劣りしてしまう感もあった。それは、三笠がショボいというよりは、小樽がスゴイと言った方がよかった。
こうして国鉄時代の車両を眺めていると、またも別の家族の子供が「新幹線ー!」と騒いでいた。こんなに子供たちを駆り立てる新幹線がここに存在するのか。私も心もざわついた。
そんな動揺をよそに、時代を支えた車両たちへときめく我が心。
基本的にはどの車両にも乗ることができた。
やっぱりこういう、むき出しのパイプ、無骨なバルブ。こういうのが良い。男の子って感じだ。
両親も楽しそう。
気分は鉄郎・・・というより、ゴダイゴ?こういうセットで歌う場面を見たことがある。
子供の頃の気持ちを思い出して、無邪気に鉄道と触れ合う。そんな折、またもや「新幹線!」と叫ぶ子供の声。ふと目をやると・・・。
こ、これかぁ!新幹線は!
子供が乗る、小さいやーつ。子供たちを狂わせる、これが噂の・・・新幹線。なるほど。
やっぱり子供は新しいものが好きなのだろうか。けれども、私は小さくたって、この新幹線よりも、大きくて力強いSLの方に心奪われただろうと思う。多分。やっぱりさ、SLだよね。
そりゃ、現実的な移動手段としては新幹線を選ぶだろうけれども。泣き叫んでまで汽車を下りて新幹線に乗った子供たちが、SLの魅力に気が付くのに、あと何年かかるのだろうか。
それでは、ばいちゃ☆(つづく!)