一子相伝の個人トレー?!
ついに私にも弟弟子が出来た!
10月になって、外に出ていた一部の研修医が雪大に帰ってきた。弟弟子もその一人だった。先日の医局会で「お久しぶりです!」とかっちり挨拶された。なんだか弟弟子というか、舎弟でも出来たような気分になった。これで晴れて私も「兄弟子」となったわけである。
弟弟子!なんて良い響きだ!私もついつい先輩風ならぬ兄弟子風を吹かせてしまう。
「おい、おまえ!おれの名をいってみろ!!」
念願の弟弟子!兄弟子風はびゅうびゅうである!!
「フフフッ…、おれの名をいってみろ!!」
早速、弟弟子から「技工を教えてください!」とお願いされた。ということで昨日、弟弟子に個人トレーの作り方をレクチャーした。
「我が一門の個人トレーは一子相伝・・・」
私は眉間にしわを寄せた。すると弟弟子が言った。
「今日、師匠に如月さんから個人トレーの奥義を教わりに行ってきます!と言いました!」
私は思わず「え、師匠に奥義って言ったの?」と聞き返してしまった。師匠は「ふふ」と笑っていたという。
望むのであれば、伝授しよう、その奥義を!
私も研修医のとき、兄弟子に技工は大変お世話になったものだ。兄弟子から享受したものは、弟弟子に。我が一門は兄弟弟子によって、その秘訣が脈々と伝えられている・・・はずだ。私は自分の研修医のときのことを思いだしながら、弟弟子に「ここをこうするといいよ」「ああするといいよ」と教えたのであった。
こうして弟弟子を見ていると、一年前の自分のことを思いだす。思い出すけど、なかなか弟弟子は手が動く。
よくできた弟弟子である。
私なんて、最初はトレーレジンの粉液比を間違っていて、なかなかトレーの形にするのも大変だったものだ。さっさと先輩に聞けばよかったんだけれど、当時は恥ずかしくて聴けなかったんだよね・・・。
ところが粉液比を正しくしても、なかなかうまくはいかなかった。そこで当時の私は休日を返上して練習をしたり、動画サイトで技工士さんのアップした動画を見たり、いろいろと自分なりに研究してみたものだった。
また研修中盤になっても、「取っ手がすごく使い辛い」と師匠に指摘されたこともあった。そこで何十個ものトレーの取っ手を修正するために、年末休みを返上して技工室に籠ったこともあった。研修時代、私は常に個人トレーと共にあった。
今でも、時々、師匠に「もっとここを…」と指導される。個人トレーは奥が深い。なかなか私自身も、免許皆伝には程遠い状態だ。
ただ、この間、ひょんなことから2補綴の研修医の前で個人トレーをこさえるところを披露することになった。雪大の九州県人会の先輩が2補綴にいて、話の流れで「如月くんの個人トレーつくるところ、研修医に見せてやってよ」みたいな感じになった。誰かに見られながら個人トレーを作るというのも、非常に緊張するものだが、腹をくくった。俺だって1補綴の端くれだ!個人トレーくらい作れるぜ!
ええい、ままよと作ると「おお、素晴らしい!」と、まず先輩に褒められた。そして研修医も「綺麗だ・・・」と言ってくれたので、面目は立ったようで安心した。というか、素直にほめられてうれしかった。こうした周囲のリアクションを見ていると、研修1年でそんじょそこらの木石よりは多少はうまくはなっているのかもしれないと思った。
さて、そんな風に思い出に浸りながら、弟弟子の個人トレー1号の誕生に立ち会った。彼はこれから、手にモノマーの匂いがしみ込むくらい(浸み込まないけど)トレーレジンをこねにこねて、研修が終わるころには、ばしっとした個人トレーを作るようになるのかと思うと、なんだか感慨深くなった。感慨深くなるには、めちゃめちゃ早いけど。
私も弟弟子と一緒に、また半年、初心を忘れずに勉強していきたいと思う。
ところで・・・。
私の弟子留年の件はどうなったのだろうか。
それでは、ばいちゃ☆