俺はタクランケ!X

ハロー、ハロー聞こえますか?
こちら太陽系第三惑星地球・・・。
あなたの世界とちょっとよく似たこっちの世界。
そっちがこっちで、こっちがそっちのパラレルワールド。
平行と交錯、現実と虚構。
ここは、それらの混沌から滴り落ちた、雨粒のようなブログ。
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2017.08.04 Friday

追体験-Nacherleben-

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     夏になって、戦争に関する報道が増えてきた。そういう季節だ。

     

     今日、たまたまニュース番組で広島の女子高生が取り上げられていた。美術部の子が、被爆体験者の方との対話の中で、その方の体験を絵画におこしていくというドキュメンタリーだった。直向にキャンバスと向き合いながら、描いては消して、また描いては消して・・・。何度も行き詰っては、そのたびに被爆体験者の方に相談していたその子の瞳は本当に真っ直ぐだった。その葛藤している様子に私は胸を打たれた。

     完成した絵は原爆記念館に展示されていた。被爆体験者の方がその子に「よく頑張ってくれた」と激励しながらも「これで最後にしようと思っていた」と悲し気に語っていた。

     語り部たちの高齢化・・・。アナウンサーが「あの子は、いわば遺言を形にしたのですね」と言葉を紡いでいた。

     

     コメンテーターが「この子は、ただ話しを聴いているだけではなくて、絵画を形にしていくという課程の中で、Nacherleben(追体験)をしている」と言った。戦争を知らない世代は、戦争を経験はしていないけれども、対話と想像の中で、追体験することができるという発想は、本当にその通りだと思った。

     

     私はテレビの向こうの女の子に、高校生の頃の自分を見ているような気持ちになった。

     私は絵画という形ではなかったが、放送部で戦争ドキュメンタリーを製作したことがあった。あれはまさに「追体験」だった。戦争体験は非常に貴重で衝撃的だ。証言は歴史ではないけれども、歴史は証言の集合でもあるわけだから、やはり聴くことはとても意義深いものがある。ただ、それを作品にするためには、ただ聴いただけの状態では不十分なのだ。それでは本当に他人事になってしまって、作品に説得力が生まれないのである。

     私はドキュメンタリーを製作する過程で、何度も何度もテープを巻き戻して証言を繰り返し聴いた。体験記も繰り返し読んだ。そのサイクルの中で、その証言が自分の中に沁み込んでいくような不思議な感覚を得るに至るわけである。もちろん自分の体験ではないけれど、まるで自分が体験しているかのような、そんな感覚。

     その瞬間のその人の気持ちを、表面だけではなく、心の底から感じることができるようになる。それは乱暴に言ってしまえば、単なる想像かもしれない。けれども、それはそんな薄っぺらいものではなかった。これは何だろう?といつも思っていた。それを言葉にするとなると「追体験」だったのかもしれない。いままで私は「疑似体験」と言っていたが、これは「疑似体験」ではなく「追体験」と言った方がしっくり来た。

     

     ところで、合唱というジャンルも戦争にまつわる楽曲が多い。私は合唱部にも所属していたため、中高生の頃はこの季節になるといつも戦争に関係する楽曲に取り組んでいた。仲間とともに詩を読解したり、旋律に心を震わせたり、あれもまた「追体験」だったのかもしれない。しかし、私が思うに、合唱はちょっと放送部で感じた追体験とは違うような感じがした。やはり、作曲者や作詞者の意図のようなものが、そこにあるからである。

     既に、作曲者・作詞者によって解釈がなされ消化された状態で作品として出来上がっているものを介して・・・というものは、作曲者・作詞者という第三者によってバイアスがかかってしまっていたような気がするのだ。戦争体験を聴いているのではなく、戦争体験を聴いた人が感じたものを聴いているのは、また少し感触が変わってくるのではないだろうか。だからといって、それが意味がないとは言わない。前述の彼女のように絵画にしたりする者もいて、絵や音楽によって、その追体験をつないでいくこともとても大切なことだからだ。

     

     ただ、私が言いたいのは、私は戦争ドキュメンタリーの作製というプロセスを通して、戦争体験者の方と言わば一対一で対話し、その証言にフラットな状態で一人で真剣に取り組み、より高濃度な追体験が出来たという確信がある。その経験から、語り部の高齢化という問題が囁かれて久しいが、戦争体験を生で聞ける最後の世代として、彼女や私のように誠実な追体験をした者が、次世代にそれをつないでいかなければならないのだろう・・・と、勝手に使命感を抱いているのである。

     

     これが最後のチャンス。映像作品や小説、音楽で追体験を補おうとするのではなく、出来るだけ生の言葉を肌で感じる経験を今のうちにしておくべきである。せっかく夏になると、そういう雰囲気になるのだから。身近にいる誰かに、その時代の話しをまずは聴くことから初めてみてはいかがだろう。

     

     そんなことを感じた夜であった。

     

     

     

     それでは、ばいちゃ☆

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