俺はタクランケ!(歯学院生の日常)

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2018.05.10 Thursday

天を衝く「と」〜当別神社・阿蘇公園

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     先日、家族で石狩当別までドライブに行った。

     実は両親がふとみ銘泉の割引券をもらっていたので、親子で温泉に向かったのだ。ただ、せっかく遠出するのだからと、ちょっと町をドライブしたわけである。「もしかするとそろそろ桜も・・・」という淡い期待もあった。ただ、五月だというのに、桜どころかまだ雪が残っているような涼しさだった。さすが石狩・・・。

     ということで、そういう花見目的もあって「当別神社・阿蘇公園」というところに行ってみようということになったのだ。

     

     「当別神社」は石狩当別を開拓した伊達氏をお祭りしている神社で、神社の隣には伊達家旧居があった。生憎、休館だったので旧居の方は見学できなかったけれど、当別神社は参拝することが出来た。

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     「阿蘇公園」は「当別神社」の横にあった。境内の敷地と境目は曖昧になっていて、ワンセットのような感じになっていた。例えるならば、石狩当別の北海道神宮と円山公園といった感じだろうか。

     そして、この「当別神社」も昭和42年まで「阿蘇神社」といったらしい。

     

     私はまず「どうして阿蘇というのだろう?」と思った。阿蘇と聞いて真っ先に思い浮かぶのは熊本。なるほど、ここには熊本からの開拓移民が入植したのか・・・?と思ったが、神社でお祀りしている伊達氏は仙台藩の領主。ここいら一帯は仙台からの入植者によって開拓されているため、熊本からの移民ではない。

     ではなぜ?

     調べてみると、なかなか、この「阿蘇」という地名は奥が深いようだった。全国各地に「阿蘇(アソ)」という地名が点在しているのだという。それは記紀が由来だったりと諸説あるらしいのだが、ここで最も有力なのはアイヌ語で「火を吐く山」という意味の「アソ」が由来というものだ。むしろ熊本の「阿蘇」もアイヌ語由来だという説もある。なるほど、熊本に関係なくとも、ここが「阿蘇」だということに違和感が無くなって来た。あっそう、て感じ。

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     神社は綺麗に整備されていて、とても気持ちがよかった。

     

     私たちは参拝をすませて、隣の阿蘇公園へ行ってみた。

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     まず目に入るのが「阿蘇の鐘」。

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     題字は中曽根元首相。なんで?

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     そして、天を衝かんばかりに「と」。「当別(とうべつ)」の「と」か。調べてみると、これが「町章」なのだという。

    「と」。簡潔でいいね。

     

     公園をぐるりとまわって、また境内へ。このときに気が付いたのだが、公園と境内の間には沢山の石碑が並んでいた。

    IMG_4959.JPG

    「日露戦役凱旋記念碑」。この町からも大勢の兵士が出征したのだろうか。

     

     また、大東亜戦争に関係するものも。

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    「忠魂碑」と「生以天心誠碑」。

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    「生以天心誠碑」に刻み込まれているのは当別町出身の戦没者だろうか。向かって左には日本傷痍軍人会の綱領と、右には「顧聖戦」の漢詩が。

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    「国守ると…」

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     石碑ひとつひとつを見ていると「大東亜戦争戦捷記念」と刻み込まれていたり、もう一方のものには・・・。

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    「大日本国防婦人会統合記念」と刻み込まれていたり・・・。こういう田舎では、戦時下での、そういった組織というのもガチガチだったろうなぁ、となんとなく想像してしまった。

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     しかもそれらの石碑が設置されたのが、戦時中の天長節だったり。北海道でこういった神州の残り香を感じることができるとは思ってもいなかった。

     

     一方で立派な土俵。

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     当別町では相撲大会などが開催されたりするのだろうか。相撲は神事だから、神社に土俵というのは非常に自然なことなのだが、石碑といい、土俵といい、当別は古き良き日本の伝統的村落の名残を感じ取ることができる。

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     土俵の近くには「力士 若乃浦」と刻み込まれた石碑が。当別出身の有名な力士なのだろうか。

     

     これが、調べてみても詳細不明なのだ。石碑の裏を見ても、字が潰れてしまって見えないのだが「昭和九年」とか「大日本相撲協会」などは断片的に読み取ることが出来た。大日本相撲協会というのは戦時中に統合された相撲組織で、現在の相撲協会の前身だ。どうも「若乃浦」は戦前に活躍した力士のようだ。

     今度は「若乃浦」で調べてみても、戦後活躍した同名の別人と思われる力士のデータしか出てこない。まったく詳細不明。当別神社について書いてある他の方のブログをみても「かなり深いところまで調べないといけない」としたうえで管理が当別町であるため町役場に問い合わせて詳細がわかり次第追記するとあった。そこまで書いてあるにも関わらず追記がないところを見ると、町役場でも把握できていないんじゃないだろうかと思われる。

     

     ところで、北九州の花尾山というところには、土地の所有者の思想が強すぎて、二・二六事件の青年将校たちのお墓が勝手に造られたりしているらしい。二・二六事件で処刑された青年将校たちは北九州にも花尾山にも縁もゆかりもない。それゆえそのお墓には遺骨などは入っていない。ただ、地主が作りたいから作っただけのものだという。世間にはそういうことが起こりうる。

     

     もしかすると、神主さんが好きだけど当別町とは縁も所縁もない力士の石碑を建てたというだけかもしれない。真相はやぶの中。こうして取りこぼされた歴史には、妙な魅力があったりする。けれども、わからないというのはなかなかストレスだったりもする。私も今度、町役場に問い合わせてみようかしら。

     

     万が一、詳細をご存じの方は、是非教えてください。

     

     

     

     それでは、ばいちゃ☆

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