乃木大将はフラビーガムだった?
今日は「木村家の食卓」だった。
来週、JPDA若手育成の会が開催される。テーマがフラビーガム症例ということで、手元にある症例の資料をまとめたり、色々な本や論文を読んだりして、スライドを鋭意作成中である。
今日は作りかけのスライドを父に見てもらい、アドバイスをもらうという食卓でした。今日のことを受けて、今週末さらにブラッシュアップをかけるぞ!
一応このブログは歯科関係者以外の人も読んでいる設定なので・・・フラビーガムとは何かについて一言添えておこう。フラビーガムとはざっくりいうと、入れ歯の下の歯茎がこんにゃくみたいにぷにぷにになってしまった状態のことを言う。
また、研修医も読んでるかもしれないので、補綴学会の専門用語集からの引用しておこう。
フラビーガム:顎堤に発現する可動性の大きい粘膜組織.歯槽骨の吸収と粘膜の肥厚および粘膜下組織の線維性増生がみられるが,不適切な義歯の長期使用による慢性的な機械的刺激が原因とされる.上顎前歯部が好発部位である.
(歯科補綴学専門用語集 第5版より)
そうそう、いま補綴学専門用語集はPDF版だと無料ダウンロードできるよ。
さて、私の勉強しているアピールはここまでにして・・・。
フラビーガムを調べているうちに、面白いことを知った。
乃木将軍はフラビーガムだった!?
フラビーガムで論文検索していたら引っかかってきちゃった。そもそも乃木将軍が総義歯だったとは知らなかった。
というか、今どきの若い人は乃木将軍も知らないかもしれない。WGIPの弊害や、祖国の英雄も知らんなんて・・・。
乃木 希典(のぎ まれすけ、1849年12月25日(嘉永2年11月11日) - 1912年(大正元年)9月13日)は、日本の陸軍軍人、教育者。日露戦争における旅順攻囲戦の指揮や、明治天皇を慕い、あとを追って殉死したことで国際的にも著名である。最終階級は陸軍大将。栄典は贈正二位勲一等功一級伯爵。明治天皇より第10代学習院長に任じられ、迪宮裕仁親王(昭和天皇)の教育係も務めた。人々より「乃木大将」や「乃木将軍」と呼ばれて深く敬愛され、「乃木神社」や「乃木坂」にも名前を残している。
これはもちろんWikipedia先生から。
調べてみると、乃木将軍が総義歯だったのは結構有名な話だったようで、石膏模型まで残っているらしい。
以下は色々とネットで拾ってきた画像たちだ。
これが乃木将軍の上顎模型らしい。
第 114 回 日本医史学会・第 41 回 日本歯科医史学会 合同総会 一般演題、大野粛英先生らの「乃木希典大将の総義歯と上顎石膏模型」の抄録によれば次の通りだ。
上顎の歯型は,乃木が明治 44 年英国皇帝の戴冠式参列 1 カ月前に,赤坂紀尾井町の木谷茂吉歯科医が印象を取り,16 個複製して所縁のある人に配布した内のひとつである.しかし,乃木日記には,木谷歯科医に受診した記録はない.
乃木は 43 歳で上顎は無歯顎で総義歯,下顎は何本か歯が残った状態で局部義歯を装着したことが分った.
いやはや、この日本歯科医史学会には入会しようかどうか、常々迷っていたのだが、この一般演題はぜひ聞いてみたかった。
じゃあ、これも義歯?
なかなか良さそうだが・・・。
さらにこの抄録では、乃木将軍がフラビーガムであったことが指摘されている。
明治 44 年の乃木の歯型には,上顎前歯部に大きなフラビーガム(骨が吸収した部分へ軟組織の増殖)があり,上顎右側口蓋面には軽度の骨隆起が認められ,義歯不安定の一つの原因であったと推測できた.
明治24年には入れ歯が合わないことを理由に陸軍大臣に休職届を提出していたことが記録として残っていたり、色んな記録から、義歯に悩んでいたことがわかっているらしい。ちなみに、明治24年のエピソードはWikipediaからの引用なのだが、そのさらに引用元は2013年の大野先生の論文らしい。
そんな乃木将軍の総義歯がこれらしい。
ゴム床義歯、人工歯は陶歯とのこと。どうやら京都の乃木神社に奉納されているらしい。ぜひ、現物を手に取ってみてみたいものだ。手に取るのは無理か、どうにかならんかね。
乃木将軍は43歳の時点で上顎は無歯顎、下顎は数本の歯しか残っていなかったらしい。
計算したところ、日露戦争の旅順作戦のときは55歳。日露戦争では児玉源太郎が歯が悪く、鎮痛剤として正露丸を用いていたことは有名なエピソードとして知っていたが、まさか乃木将軍までも歯が悪かったとは。歯の痛みを通り越して、一本もなかったんだから、そりゃ痛みはせんわな。
じゃあ、敵の将軍ステッセル、さらにはクロパトキンの歯は?と思って調べたところ、特に出てこず。むしろ乃木将軍や児玉源太郎の歯の話が資料を伴った形でわかることがすごいことなのかもしれない。
もしタイムスリップしたら・無理か
この男爵たる私めが、義歯を製作してさしあげますのに・・・。
私は歯科医師になるのが100年遅かった。無念。
それでは、ばいちゃ☆