俺はタクランケ!(歯学院生の日常)

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2018.12.13 Thursday

「クラスプを応用した木彫部分床義歯の1例について」を読んで

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     先日、これまたネットでたまたま見つけた古い和文論文なのだが、私がかねてから関心を高めていた木製義歯についての症例報告があったので、今日はこれを勝手に抄読していきたい。

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     これは昭和44年に東京医科歯科大学第1補綴教室より発表されたものらしい。

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     さて、そもそも「木製義歯」ってなんだ?という方が大勢いらっしゃるだろうから、この論文より文章の一部を引用して説明していきたい。

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     そもそも本文中でも呼び方がひとつに定まっていないのだが、「木彫義歯」「木製義歯」「木床義歯」「皇国義歯」はすべて日本で作られていた木製の入れ歯のことである。

     西洋では近代歯科医学が確立される以前までは、バネや象牙などの動物の歯を用いて、あくまで見栄えのためだけの入れ歯が使われていた。一方で日本では平安時代あたりから、この「木で出来た入れ歯」が実際に人々の生活の中で用いられていたのである。その入れ歯のことを西洋に対しての名前で呼ぶ際に「皇国義歯」、その主成分をもって呼ぶ際には「木彫義歯」とか「木製義歯」、「木床義歯」となる。この記事では「木製義歯」で統一したいと思う。

     この世界に誇る「木製義歯」は、「明治初期になって欧米より輸入されたゴム床義歯、西洋入歯に駆逐」されてしまい消滅した。それは一説には「木製義歯」を担っていたのが仏像を造る仏具師だったり、口中医と呼ばれた漢方医だったためとされている。明治以降、我が国にも近代歯科医学が流入し、その担い手としての歯科医師という職業が確立したとき、仏具師・口中医と歯科医師でまるで東洋対西洋といったような対立構造のようなものがあったのではないかと思われる。

     

     しかし、私が驚いたのは次の記述である。

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     木製義歯は近代歯科医学が我が国で確立してからもしばらく用いられており、明治中期まで製作が続けられ、現在用いられている義歯のルーツとなる西洋から流入してきた「ゴム床義歯」と並行して国民に用いられていたのだという。この論文には書いていないが、ものによっては昭和初期まで用いられている木製義歯も見つかっている。

     木製義歯は「ゴム床義歯と同程度の維持安定や、咀嚼機能の回復が実際に行われてたものとうかがうことができる」としながら「この時代には西洋義歯と皇国義歯を両方とも製作していた者もおり」とある。さらにはその中で、西洋歯学を木製義歯に応用したものもあるとしたうえで、「西洋義歯の技術によるワイヤー・クラスプを、皇国歯学による木彫義歯に応用した極めて珍しい1例を入手したのでここに報告する」と、筆者の若干の興奮を感じ取ることのできる「はじめに」であった。

     

     その「極めて珍しい」木製義歯がこちら。

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     どこが珍しいのかと言うと、右下の3番(犬歯)にワイヤークラスプが付与されているところと、臼歯部に金属板と釘が打ち付けられており咀嚼機能の向上が図られているというところらしい。

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     エックス線撮影までしてあった。臼歯部に釘が打ち込まれている木製義歯は珍しくないが、臼歯部の全面にわたって銀板となっているものは非常に珍しいらしい。

     

     この木製義歯が発見されたのは郡山のあたりだという。どうしてこのような西洋医学との混血児のような木製義歯が東京から遠く離れた郡山で発見されたのかについても次のように考察されていた。

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     どうやら戦前より郡山には東京歯科医学専門学校(現在の東京歯科大学)の卒業生が開業しており、さらにはそれよりも前に2人も開業していたため、比較的「歯学が盛んであった」ということらしい。歯科医師が3人いただけで「歯学が盛ん」だなんて、当時の人が今の日本を見たら卒倒してしまうだろう。

     

     さて、まずは臼歯部に打ち付けられている釘と銀板について考察について見ていこう。木製義歯への釘・銀板の取り付けは、日本人の食生活の変遷が関係しているのだという。もともと、木製義歯には基本的には釘などは打ち付けられていなかったのだという。

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     それというのも日本人は仏教の影響によって「肉食を忌避して米穀および柔軟なる魚肉を摂取」していたため、咬合面が木でも大丈夫だったのだという。しかし、明治に入り食生活が一変したことによって「肉食も数多く摂るようになり」、木製義歯よりも「陶歯が歓迎」されるようになり、木製義歯でも「臼歯部に金属鋲その他の補強または咀嚼能率の向上を図る目的の装置を用いるようなった」のだという。

     しかしこれはひとつの意見であって、一方で今から300年以上前から臼歯部に釘が打ち込まれているものも発見されており、古来から咀嚼能力に応じて様々な加工が為されていたという報告もある・・・らしい。

     

     いよいよ話題はクラスプについてである。ここではクラスプを用いた背景にはどんな残存歯の状態があったのかなど、義歯の粘膜面から口腔内を逆算で考察している記述がありながら、当時(明治時代)のクラスプの扱いについても伺い知ることができる。

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     そもそも西洋義歯が流入してくる前は、クラスプの代わりに「絹糸や馬毛で残存しに結紮」したり「義歯の残存歯部の形態をリング様の形に造り、残存歯に嵌め」るなどしていたそうだ。そうだったのか。

     

     さらに、「当時のクラスプの扱い」と前述したように、現代とは違った考えが明治日本にはあったようだ。というのも、私たちは大学で基本的にはクラスプをかける義歯を学ぶ。クラスプの数や形状についての議論はあれど、またはクラスプをかけないという意見も歯の状態を踏まえたうえでの論議であって、そのものの害悪性については特に語られることはない。しかし、当時はどうも違ったらしい。

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     なんと西洋歯学においても「クラスプの使用頻度はあまり高くはなかったようである」。

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     クラスプを用いることによって「常に鉤歯にカリエスの多発する危険」があると考えられていたのだという。なるほど、西洋歯学においても倦厭されがちだったクラスプを木製義歯に応用していたいるというところも、「極めて珍しい」とされる由縁なのだろうか。

     

     まとめがこちら。

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     ちなみに、この黒塗りはすでに私が見たときに施されていたものである。どうやら個人情報であるために伏せられているみたい。(表1)も削除されていたため、何が載っていたのか気になるところだが、深入りはすまい。

     

     義歯の歴史をうかがい知ることのできる論文であった。

     

     

     

     それでは、ばいちゃ☆

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