俺はタクランケ!(歯学院生の日常)

ハロー、ハロー聞こえますか?
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あなたの世界とちょっとよく似たこっちの世界。
そっちがこっちで、こっちがそっちのパラレルワールド。
平行と交錯、現実と虚構。
ここは、それらの混沌から滴り落ちた、雨粒のようなブログ。
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2017.10.22 Sunday

思い出に一票

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     久しぶりに休日らしく起きたい時間に起きた。

     母からのメールを見て、用意してもらっていた朝ごはんを食べた。少し休んで、サンダルを履いて外に出た。今日は総選挙。近所の小学校が会場になっていたので、散歩がてら、ふらっと行ってきた。

     

     選挙の鉛筆というのは、なぜあそこまで書きやすいのだろう。この鉛筆さえあればセンター試験だって満点取れてしまえそうな、それくらいの書きやすさだ。あの鉛筆は、あの書き心地だけで、妙な達成感がある。流れるように候補者の名と政党名を書き、流れるように会場を後にした。

     

     さて、こうして近所を散歩するというのは、思いがけず久しぶりのような気がした。私は行ってみたいところがあった。

     

     それは、高和堂という近所の駄菓子屋さんだった。

     この貫録の佇まい。小学校のすぐ近く。団地の建てなおし、銭湯の閉店・・・と所謂昭和な景色がどんどんと消えていく中、ここだけは時間が止まったままのようだった。

     

     高和堂。子供の頃の思い出の場所だったのだが、先月いっぱいで閉店してしまった。本当は潰れる前に最後にもう一度来てみたかったのだけれども、それは残念ながらできなかった。せめて、形が残っているうちに、と思って。

     「思い出の場所」と言ったけれど、正直そういう風には思っていなかった。でも、無くなっちゃうって聞いてから、堰を切ったようにいろんな思い出がよみがえって来て、後から気が付いた。

     

     沢山、文房具を買った。紐でとじた昔ながらの大学ノートを買って、よく漫画を描いていた。駄菓子もたくさん買った。ラムネ菓子が好きでよくここで買って食べていた。

     昭和感がすごい玩具もたくさん置いてあった。その中で私は一時期「ソフトグライダー」にはまった。

     小さい頃、「紫電改のタカ」という漫画にはまって、大東亜戦争時の戦闘機に詳しくなった時期があった。そのときに、このソフトグライダーがいい感じで目に留まったのである。

     発泡スチロールで出来た板っぺらを数枚組み合わせるだけで、スーッと風を切って飛んで行った。いい具合にプロペラも回って、非常に興奮したのを覚えている。一個100円くらいだったかな。お手頃価格だった。

     

     

     

     こうしたさまざまな思い出がある中で、一番のものを述べるならば、やはり「百人一首」の思い出だろう。

     

     私の通っていた小学校では、百人一首が盛んにおこなわれていた。取り札の暗記テストもあった。昼休みでは毎日、みんなで百人一首をやっていた。そして年に一回、学校全体で百人一首大会が開催されていた。

     そんな中で私も順当に百人一首にハマった。そしてある日「ぼくも大会に出てみたい」と思うようになった。

     大会は「源平合戦方式」と言われるチーム戦で、5人1チームでエントリーすることができた。私は大会に出るべく、友達に声をかけてチームを作った。チーム名は話し合って「ウルトラスーパー最強チーム」とかそういった、いかにも小学生な感じの名前になった。そして、この「ウルトラスーパー最強チーム」は大会で結構いいところまでいって、準優勝くらいしたんだったと思う。

     ただ、次の年、事件はおこった。

     また百人一首大会の季節がやってきた。そして「帰ってきたウルトラスーパー最強チーム」がエントリーされた。しかし、私はそれをエントリーチーム一覧を見て知った。そう、その「帰ってきたウルトラスーパー最強チーム」に私はくわえられていなかったのだ。私の知らないところで、私だけ省かれてしまったのだった。私が作ったチームだったのに。

     チーム名を変えてくれれば、もう少しショックは和らいだかもしれない。けれど、私だけ帰ってくることを許されなかったのだ。これは、ショックだった。仲間外れというのは、こうも堪えるものか。今でも覚えているくらいショックだった。

     私はどうして自分が省かれてしまったのかを考えた。いや、考えるまでもなかった。おそらく・・・私が弱かったからだろう。

     

     私は「帰ってきたウルトラスーパー最強チーム」に復讐を誓った。ぎゃふんと言わせてやりたかった。そのためには自主練が必要だと思った。自主練をするためには、マイ百人一首を持たなければいけないと思った。

     しかし、時期が時期。年末でもなければ年始でもない時期に、百人一首はお店に置いていなかった。どのおもちゃ屋さんやスーパーに行っても百人一首は置いていなかった。母も一緒に探してくれたけれど「時期がねぇ・・・」とあきらめムード。今だったら「ネットで買っちゃいましょう!」となるんだろうけれども、当時はまだネット販売が今ほど浸透していなかった。

     

     そんなある日、母が言った。「もしかしたら、高和堂にあるかも?」と。

     今でも鮮明に覚えている。高和堂に行って、おじちゃんに「あの、百人一首ありますか?」と聞いた。するとおじちゃんは笑って「あるよ〜」と言ってくれた。レジスターの下のガラスのショーケースの奥から、埃をかぶった百人一首が取り出された。「これは昔に作られた奴だから、取り札が天然の木で作られたいいやつなんだよ」と教えてくれた。「いくらですか?」と聞くと「五千円だよ」と言われた。

     私は走って家に帰って、貯金箱をひっくり返した。500円玉、100円玉、50円玉に10円玉。色とりどりの小銭を一生懸命、一枚一枚数えると、きちんと5000円あった。私は貯金していてよかったと思った。母に言うと「もしかしたら、お店が出来たときから置いてあった、年季の入った百人一首かもね。まさかおじさんも百人一首が売れる日が来るなんて思ってもみなかったでしょうね。」と笑っていた。

     私は小銭を握りしめて、高和堂へ走った。「おじさん、ありました!」とガラスのショーケースの上に、じゃらじゃらと小銭をばらまけた。今思うと、消費税とかもあっただろうのに、おじさんはおまけしてくれていたんだなぁ。あと、小銭でよく受け取ってくれたなぁ。おじさんは小銭を数えなかった。

     私は高和堂で手に入れた百人一首を抱きかかえながら家まで走った。本当にうれしかった。今思い出しても嬉しい。大会がどうこうとか、その後のことはまったく覚えていないが、このとき、高和堂で百人一首を買ったことは今でも忘れられない。

     このとき買った百人一首は、今でも我が家の和室にしまわれている。祖母が一時期、老人サークルで百人一首にはまったときにも、これが大活躍した。

     

     もう一度会って「ありがとう」と言いたかった・・・けど、おじさん覚えているかな。

     いつも夕方になると近所の子供たちであふれかえっていた。自転車がたくさん止まってて。そうだ、ここ、ひさしがあったよな。ガチャガチャと、小学ウン年生の雑誌の棚が外に出ていて。木枠にガラスがはめ込まれた引き戸で。

     私は近所の学校に通っているわけではなかったので、夕方の時間帯はちょっと入りにくかった。それも今となってはいい思い出だ。

     閉店の理由は「建物も古くなり危険なため」とのこと。やっぱり老朽化が原因か。この建物そのものも無くなってしまうのだろうか。てか、もみじ台の方にも高和堂があったのか、知らなかった。

     

     余談だけれど、高和堂の隣にパン屋さんがあって、そこもよく行ったっけ。お小遣いもって。パンくださいって。

     いまでは怪しいお店が入っているけれど。一時期はマルチ商法のお店が入ったりと、結構出入りが激しかった。シャッターから見るに、一番最初はクリーニング屋さんだったかな。隣にもクリーニング屋さんがあって、そこのうちの子とはよく遊んでいた。どちらももうないけれど。

     この景色も、もう見納めかもしれない。

     

     やっぱり、閉まる前に来たかった。

     

     

     

     それでは、ばいちゃ☆

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