俺はタクランケ!(歯学院生の日常)

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2017.12.09 Saturday

【考察】どうして「宇宙戦艦ヤマト2199」のデスラーはああなってしまったのか

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     以前、当ブログでも紹介したが、私は豊田有恒氏が書いた『「宇宙戦艦ヤマト」の真実』を読んだ。

    【関連記事】豊田有恒著「宇宙戦艦ヤマト」の真実を読んで

     そして私は、あることを思った。

     

     それは・・・宇宙戦艦ヤマトのリメイク作品で知られる「宇宙戦艦ヤマト2199」のデスラー総統があのようになったのには、理由があったのではないか?!ということである。

     

     私は以前、宇宙戦艦ヤマト2199を「宇宙戦艦ヤマトテイストの単なる美少女アニメ」であるとして、出渕監督を激しく非難した。

    【関連記事】追憶の宇宙戦艦ヤマト2199

     なぜなら、2199では、ヤマトとガミラスの決戦が省略されており、その省略した分が美少女キャラたちの遊泳シーンに置き換わっていたのに加えて、ガミラスのデスラー総統がまったくの小悪党という設定にされてしまっていたからである。

     私がヤマトに心を奪われたのは、やはりヤマトとガミラスの血で血を洗う必死の戦いの末に得る教訓と絆である。大好きなシーンやキャラクターが軒並み骨抜きにされてしまっては、褒めたいものも褒められなくなった。

     

     しかし、豊田氏の著作を読んで、私はあることを考えるようになったのだ。

     

     これらの改変には出渕監督のメッセージが込められていたのではないか?という仮説である。さらに踏み込んで述べると、

    出渕監督は西崎作品の中で、西崎氏へのアンチテーゼを作中に盛り込んだのではないか?

    という説である。

     勿論、根拠はない。以下のことは私から垂れ流される憶測である。そうじゃない!こうじゃない!と真剣に議論するつもりはない。「そういう意見もあるのかぁ」という広い心で読んでいただきたい。

     

     

     

    出渕監督は西崎作品の中で、西崎氏へのアンチテーゼを作中に盛り込んだのではないか?

    【目次】

    <踏まえておきたいこと>

    1.旧作のデスラー総統のモデルは西崎義展である

    2.ヤマトの著作権は西崎氏にある

    3.2199のデスラーは旧作デスラーとは全く変わってしまった

    <豊田氏の著作を読んで知ったこと>

    1.西崎氏はデスラーのヒーロー化に一躍買っている

    2.出渕氏は2199の監督をするにあたって松本零士氏に謝罪している

    <考察>

    1.2199のデスラー改変に関する考察

     

     

     

    <踏まえておきたいこと>

    1.旧作のデスラー総統のモデルは西崎義展である。

     旧作のデスラー総統は西崎プロデューサーがモデルだと言われている。見た目だけでなく、性格も・・・らしい。旧作のデスラーは完全にヒール(悪役)である。制作スタッフからは、クリエイターをこき使う西崎氏は巨大な敵に見えていたのかもしれない。

     

    (デスラー)

     

    (西崎氏)

     

     ただ、西崎氏は次第にデスラー総統にのめり込むようになる。自身のことをゼネラルプロデューサーをもじって、ガミラスプロデューサーと言うこともあったのだという。

     

     

     

    2.ヤマトの著作権者は西崎氏にある

     裁判の結果、宇宙戦艦ヤマトの原作者は西崎氏となり、西崎氏亡き今、著作権を保有しているのはその関係者ということになっている。よって、ヤマトは西崎陣営のものになっているのである。

     2199のOPテロップにも、しっかりと「原作 西崎義展」とある。

     また、企画にも西崎氏の養子である「西崎彰司」の名が。ヤマトは西崎陣営のもの。もちろん、松本氏や豊田氏、藤川氏などの表示はない。

     これまでのヤマトシリーズからもうかがい知れる西崎陣営の商魂の逞しさが、戦闘シーンを削減してまでの水着シーンの挿入だったのかもしれないと考えると、これまで出渕氏のことを「萌え豚に媚びた豚め!」と蔑んでいたが、そうでもないかもしれないと思えてきた。もしかすると、出渕氏は西崎陣営からの圧力で泣く泣く水着シーンを挿入したのかもしれない。

     

     

     

    3.2199のデスラーは旧作デスラーとは全く変わってしまった

     2199のデスラーは旧作のデスラーとは全く違っていた。旧作のデスラーはヒールでありながらも民族の存亡をかけてヤマトと戦う尊敬すべき大いなる敵であった。さらには、シリーズ作品の中で、どんどんヒーロー化が進む。ヤマトファンの中にもデスラー総統ファンは相当多いこと間違いなしである。

     しかし、2199でのデスラーは旧作のデスラーとは全く違ったキャラクターとして描かれていた。言うなれば単なる小悪党。平気で同胞を見殺しにしてしまうような、全く魅力のない自己陶酔型の狂った独裁者として描かれてしまう。

     2199を見守っていた旧作ファンがアンチにまわってしまったのは、このデスラー総統の描かれ方の変わりようによるところが大きかったように思う。私もその一人だ。

     

     

     

    <豊田氏の著作を読んで知ったこと>

    1.西崎氏はデスラーのヒーロー化に一躍買っている

     デスラーは「さらば」もしくは「2」以降、ヤマトと共に戦うことが増えてくる。戦いの中で芽生えた友情で、ヤマトを助けたり、ヤマトに助けられたりすることが多くなってくる。その中で、デスラーはどんどんとヒールではなくヒーロー化してくる。シリーズ中で、最もデスラー総統がヒーローとして魅力的に描かれているのが「新たなる」である。

     「新たなる」でのデスラーは本当に主役級の描かれ方をする。

     愛するスターシャを守るために、敵に対峙して、死力を尽くして戦うのである。敵の要塞につっこんでヤマトに「私諸共、波動砲で撃て!」と特攻を測るシーンなど、素晴らしい。最後は本当の主人公である古代に、ガミラスの再興と再会を約束してマントを翻して颯爽と立ち去るところなど、この作品を見てデスラーのことを好きにならない人はいないだろう。

     ただ、このデスラー総統の一連のシーンは、西崎氏による意見が採用された形なのだという。これは豊田氏の著作に書かれていた。そう聞いてしまうと、ちょっと複雑な気持ちである。

     

     

     

    2.出渕氏は2199の監督をするにあたって松本零士氏に謝罪している

     豊田氏の著作には出渕氏は次のように描かれている。

     「出渕が、さるデザイン事務所に出入りして、メカデザイナーを志していることは聞いていたが、わが家に遊びにくるSFファンの一人としか思わなかったから、これほどの才能とは想像もつかなかった。

     さっそく西崎のところへ出渕を連れていく。絵を描かせてみれば、才能は一目瞭然である。さっそくにも仕事を任された。一話だけしか登場しない<やられメカ>だが、一話ごとに異なるメカが必要になるから、すっかり重宝されるようになる。」

     「今や、アニメ界の重鎮として知らぬ者はいない出渕裕だが、本格的なキャリアはヤマトから始まった。(中略)その出渕が、2012年のリメーク版ヤマトの総監督を務めているのも、なにかの因縁というものだろう。」

     出渕氏をヤマトの仕事に引き込んだのは豊田氏であったようだ。

     

     出渕氏が2199の総監督となったときのことについても著作にあったので、以下に引用したい。

     「出渕は、申し訳ないと、しきりに繰り返した。『宇宙戦艦ヤマト』のリメークながら、クレジットのどこにも、松本やぼくの名はない。出渕は、制作プロにも、掛け合ってくれたらしい。」

     「出渕が、どうしても、松本零士に謝りたいというので、ぼくは、さる機会をとらえて、かつてのヤマト以来、数十年ぶりに、松本に出渕を引き合わせた。(中略)出渕も、気まずい部分を乗り越えて、同じクリエイターとして、先駆者である松本に、あらためて挨拶し、仁義を切ろうと覚悟していたらしい。」

     「松本は、三十数年前に、メカデザイナーとして手伝ってくれた出渕を覚えていた。出渕が、新作の総監督を担当することになり、なんとか松本やぼくのクレジットを入れるよう、制作プロに働きかけたものの、及ばなかったことなど、事情を説明した。

    「わかった。やるからには、頑張って、よい作品を作りなさい」

     松本派、出渕の説明を聞いて、意外にも励ましの言葉を口にした。」

     このことから、私は出渕監督の意識の中には松本零士がヤマトにとって欠かすことの出来ない人、さらに踏み込んで言えば「真の原作者」という気持ちがあったのではないかと推測している。この一幕から考えるに、極めて一面的な見方ではあるが、出渕氏は「松本派」の一人なのではないだろうか。

     

     

     

    <考察>

    1.2199のデスラー改変に関する考察

     これまでの5つのことを簡単にまとめると、次のようになる。

    1.旧作デスラー=西崎義展

    2.西崎によって旧作デスラーはヒーロー化した

    3.2199は西崎陣営のもの

    3.2199監督の出渕は松本派

    4.2199のデスラーは旧作と違う

     

     旧作のヤマトに携わった出渕が、ファンの多いデスラー総統を、あのように描き方を変えるには、きっと深い考えがあってのことだったに違いない。

     よってまとめると・・・。

     旧作デスラーを否定することで西崎を否定していた!?

     あのデスラー改変は、松本派の出渕が西崎作品の中で反西崎の意思を示そうとした!ということなんじゃないだろうか?

     

     もしくは、デスラー=西崎の方程式を遵守して、2199のデスラーを(自己陶酔型の狂った独裁者)として描かくことで、西崎の闇を作中に込めようとしていたのかもしれない・・・。

     

     

     

     そうじゃないと、あのリメイクは納得できないっ!

     

     

     

     それでは、ばいちゃ☆

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